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石巻が育てた天才彫刻家たち

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石巻市複合文化施設「マルホンまきあーとテラス」には、地元出身の彫刻家高橋英吉(1911―1942年)の作品群が展示されています。震災前の文化センターに常設展示され、人々に感動を与…
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#宮城県

昭和12年9月 水利事業の功労者

昭和12年9月 水利事業の功労者

 私の目の前に達のアルバムに貼られた「氏家栄次翁 桃生郡佳景山」と書かれた写真があります。日記を調べると昭和12年に制作されたことが分かりました。

 始まりは3月15日「鹿又村の熊谷喜蔵氏から水利翁氏家氏の胸像建立するに就きその代価の問い合わせに接した」でした。その後、制作を依頼され、5月5日に渡辺忠右ヱ門と一緒に佳景山の広渕水利事務所を訪ねました。

 そこで、胸像建設委員に会い建設予定地を調

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第1部 英吉と達⑩ 未来へ 夢は2人の作品展

石巻が育てた天才彫刻家たち 第1部 英吉と達⑩ 未来へ 夢は2人の作品展

 私の手元に石巻を題材にした高橋幸子さんの木版画作品「大漁唄い込み」のポストカードがあります。この中には石巻の風景と「三十五反の帆を巻きあげて行くよ仙台石巻」といった歌詞が描かれています。

 幸子さんとの交流や石巻市内の幸子さんのファンの方と話をする中で、以前に石巻文化センターで幸子さんの木版画教室が開かれていたことを知りました。同時に、東日本大震災以降、石巻と幸子さんの関わりが少なくなってしま

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年7月 初めての石巻訪問

石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年7月 初めての石巻訪問

 彫刻家・小室達(1899-1953年)は、昭和初期に石巻をたびたび訪れ、多くの人と親交を深めた。日記にはその時々の感想や思い出などがつづられており、当時の石巻の様子を伝える記録としても貴重だ。第2部は達とゆかりの人たちに焦点を当てていく。(全20回)

 「石巻渡辺氏からの書面があった。人間小室は、石巻に好印象を与えたらしい」。私の目の前にある昭和6年の小室達の日記に、こう記されています。

 

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和4年8月 キーパーソン「渡忠」

石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和4年8月 キーパーソン「渡忠」

 私の目の前に達の昭和4年の日記があります。巻末の人名録には初代忠犬ハチ公の制作者安藤照や村田勝四郎などの美術仲間の住所が並んでいます。その中に「石巻 渡忠 石巻町中町内海橋通り」という記載がありました。6年7月の石巻訪問以前のことを再度調べた時、巻末で見つけました。

 最初に調べた時は、主な出来事と作品制作ばかりに目がいっていたため、石巻関連で見逃している部分がありました。日記に初めて石巻のこ

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年7月㊤ 石母田市長との親交

石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年7月㊤ 石母田市長との親交

 私の目の前に「石母田正輔」の写真があります。達が残した写真帳に貼ってあるもので、写真の下には「石巻市長 石母田殿」と書かれています。撮影場所は、正輔宅だと思われますが、どのようなつながりで、石巻市長と親しくなったのでしょうか。

 達の日記に正輔が登場するのは町長だった昭和6年です。7月の石巻訪問の2日目の夕方に町長宅の招待会に出席した時です。日記によると、やはりトレードマークの長ひげが印象的だ

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石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年7月㊦ 金華山参拝の御利益

石巻が育てた天才彫刻家たち 第2部 昭和6年7月㊦ 金華山参拝の御利益

 私の目の前に「金華山灯台」の写真があります。撮影者は達で、前に並んでいるのは同行者です。

 昭和6年7月6日に親友の佐藤忠太郎と石巻を訪問した達は、渡辺邸に泊まりました。2日目の朝は7時に起床し、町へ入浴に行きました。その後、木村得太郎の出迎えを受け、10時の汽船で金華山に向かいました。

達が撮影した金華山灯台(しばたの郷土館所蔵)

 日記には「波静かなれども海上はトテモ寒く我慢出来ず船長

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