僕らは忘れていく生き物。つらいことはいいけれど、楽しかったこともすぐに忘れてしまう。 けれど『心残り』、その名の通り出来なかったことや、伝えきれなかった想いがあると忘れられない生き物でもある。 いい記憶もあれば、執拗にネチネチと覚えてることだってあるだろう。 あの時こうだったんだよね、こう思ってたんだよね。伝えることはきっと簡単だと思う。それでも伝えないのは忘れたくないからで、伝えてしまうと、するりと指の隙間から記憶と記憶のわずかな隙間から溢れ落ちそうでこわい。 心残りはあ
忙しいことに慣れる弊害は、正にその状況においてだけではない。慣れることは自分のキャパが増える点では良いように聞こえる。 忙しいとやりたいことに時間を費やせないことはもちろん、そこから抜け出した後にぽっかり穴が空いたように感じることもがある。 忙しい中で自分の時間を見つけて趣味に充てるような、フルスロットルな生き方が恋しくなる。でもきっとそれは仕事が実生活まで侵食している証拠だと思う。 いわゆるワークライフバランスは均等が正解ではなくて、僕にとってはライフが重要で、誰かにと
寒くなると特に丁寧に暮らそうという気になる。 朝からホットミルクを作ったり、それを使ったホットグラノーラも美味しいかもしれない。 自粛期間中、いやそれよりずっと前から丁寧な暮らしごっことでもいうのか、素敵な暮らしをする人たちへの憧れを形にしてきた。 それでも忙しくなるとなかなか難しくて、リズムは崩れ、ストレスは溜まり表情に現れる。 もっと穏やかでリズム良く、とはいっても速すぎず遅すぎず自分のリズムで毎日を送りたい。 朝からお味噌汁を作るのをルーティンにしたいし、休み
僕の中で”甘える”は”頼る”に似ている。頼る相手は僕なりに大きな信頼がある。 僕が頼らなくなったら一つの区切りだと思うし、そうなりたくないと一縷の望みをかけて、信用して頼ることもある。信頼と信用の話なんだけど、これは割愛。 自分を俯瞰できる人、その癖がある人、無意識でできる人にとって、その言葉や言動は一種の暗示であり、縛りにすらなる。 僕は僕という一人の人間を僕という別の視点で見るし、時にはその言動は演じているという表現がぴったりな場合もある。頭で描く通りに僕が動いてシナリオ
昔ほど強くはないけれど、時々ふと頭をかすめる時もある。 それでもあの頃は今よりちょっとだけ強く思っていた。 あの頃僕は女の子になりたかった。 とは言ったもののLGBDの話ではない。 男として生まれて別に嫌でもない。 それでも、女の子はボーイッシュに決めてもかっこよくて、ファッション的に魅力を感じるものが、男の僕の視点からはあった。 一種の憧れだと思う。 現にメンズ!!!って感じの服には全然惹かれないし、どちらかと言うとユニセックスや、レディースの服の方
コロナの影響で自宅待機が続いている。 リモートワークもない仕事柄、補助を貰いながらダラダラする、いわゆる大人の夏休みを過ごした。 最初の方は有意義に時間を使おうとがんばった。 もちろん今も自炊の習慣化や、中国語の勉強、Adobeソフトの使い方のおさらい等、使い方を見つけてはいる。 しかし、どうも気怠い。何かに取り憑かれたかのように身体が重い。 あぁ、、多分今日は昼過ぎまで寝たからだ、、、 僕は朝起きて動かないと一日を無駄にしてしまう人間である。 これから自己紹介での決まり
丁寧な暮らしって何だろう、、、 以前この疑問について深く考えてみた。 何度読み返しても、なるほどな、、、と思うが何かが足りない気がする。 言葉不足なのか、本質に気付けていないのか、それに付随するものがあるのか、、、 きっと丁寧な暮らしの本質は「めんどくさい」だ。そこは今も揺るがない。 めんどくさいことに一手間かける姿に人は丁寧さを見るのだろう。 丁寧な暮らしはそれでいいと思うが、他のは「丁寧」はどうだろう。 丁寧な仕事、丁寧な対応、、、 一手間だけじゃ言い表せない丁寧が
特に朝の習慣を持つ人に惹かれる。 目覚めの一杯のコーヒーは欠かさない。そんな素敵なルーティンを持つ人もいれば、お白湯を毎日飲んでいる人だっているだろう。 朝は必ずお味噌汁だって人もいいな。 僕は毎朝窓を開けて換気をする。箒で床をはく。 この2つは自然と体が動くまでになった。 朝の習慣はその日をより素敵なもの、、、にするのも当然だろうが、より確実なものにすると思う。 何に確実さを持つかはそれぞれだろうが、1日の流れを作るの間違いなく朝だろう。 毎日を前向きに始められる人
これを考えることは”自分”を整理する上でとても大切なことだと思う。 もちろん考えるのは「なぜ好きか」だけじゃない。 なんで嫌いなの?もあれば、なんでやってるんだろう、、もある。 でも”自分”を構成するのはとりわけ”好き”だ。 僕はお酒をやめろと言われれば辞めるだろう。 大好きなサイゼリヤのミラノ風ドリアも食べるなと言われれば食べない。 でもコーヒーだけはやめろと言われて快諾出来る自信がない。 落ち着くから珈琲が好きでドリップの門を叩いた。 ラテアートの興味を持ち今の門を叩
テーブルフォトに少しばかりこだわりがある。僕の好きなテーブルフォトってなんだろう、、と研究さえしてきた。その結果、僕のテーブルフォトを好んでくれる方も増えました。(ありがたい、、、) そこで僕が気をつけてることを作例を元にいくつか紹介します。 Point!! 1.真上から 2.光は自然光 3.配色とバランス 4.切り取り方でインパクトを 1.真上から 僕が所謂テーブルフォトとして載せている写真は全て真上から撮ってます。 『なんで真上から?』って思いますか? 思わないなら
時間はいつも経つもの流れるものだけど、時には使うもの、待つもの。そして時には潰すものでもある。 ある休日のおやつ時ベッドごろんとなって、テーブルの上の朝食べた食パンを見ていた。 それがどうという事でもなくて、ただ食パンだ、、ってぼーっとした後、まだ15時かとふと思った。 この日16時頃から待ち合わせがあり、その他の予定は朝からすっかり終わらせてしまっていた。 ぼーっとする時間と待つ時間が共存していた。 時間が経つのがゆっくりで忙しない毎日の中で束の間の休息とも感じられた。
物の共有であれ心配事などの気持ち・精神面の共有であれお互いが共有と認識しなければそれは成り立たない。 物であれば「貸して欲しい。」と一言言えば良い。しかし、精神面の共有となれば特に慎重にならなければならない。 心の扉をノックして扉を開けてもらうまで待てるかが重要となる。 分かりやすい例が心配事への便乗。 便乗と言ったのは既に共有の範囲を超えているからだ。 当事者より過剰に受け取り行動さえ起こす。 扉に気付かず気にかける行為はまさしくお節介。 もちろん楽しい面にもずけずけと入
写真でテーブルフォトを撮る時気をつけてることは”美味しそう”を伝えることだ。 きっとビジネスにも通じていて、美味しいを伝えるとそこで完結してしまう。 美味しいを伝えられる写真は素晴らしいと思うがその先に何があるのか僕には分からない。 「美味しそう、、、」「やってみようかな、、」「買ってみよう!」「行ってみよう!」写真には未来を作ることが出来る。 え、ここどこ? そんな風に思われたら最高だ。 これは最近作ったズボラ飯。 シーチキン、またはサラダチキンと塩昆布、ごま油で混ぜ
今僕はコーヒー業界で一日何百杯ものコーヒーを淹れ、たくさんのハートを届けている。 ラテアートのスキルの向上と抽出するコーヒーのクオリティの向上が今の職場での目標だ。 美味しいラテとは何か。 かつてSTREAMER COFFEE COMPANYでアジア人初のラテアートの大会で優勝を果たした澤田 洋史 氏は 「ラテアートは完璧なエスプレッソと究極にきめ細やかなフォームミルクがあってできるもの。最高のラテアートは最高に美味しいカフェラテの証明である。」と言っている。 間違いな
欲しいものがあるから貯金は頑張れる。 僕もあれが欲しい、これが欲しいは湧いてきてやまない。 でもお金の使い道を少しずつ”時間”にシフトしてきた。 自転車を買うと移動が楽になった。 ワンルームだから箒とクイックルワイパーで済ませていた掃除にお掃除ロボットを加えた。出勤時に稼働させるだけで帰る頃には目立つゴミはなくなってる。 以前使っていた夜行バスは使わず、新幹線や飛行機を使うようにした。飛行機と格安で間に合えば使うが時間を優先するようにした。 すると当たり前だが自然と時間に余
暮らしを整えるということ。 余分なものを取り除いて必要最低限で暮らすことだろうか。 ちょっと贅沢して盛り付けにこだわってみたり、細かいところに気を配ることだろうか。 いいものだけ集めることだろうか。 ちょっと背伸びしてみたり、余計なものを省いたり、気合い入れて細かいところを気にしてみたり。 多分全部合ってる。 暮らしを整えるって気持ちの整理だと思う。 背伸びすると見えてなかったものが見えたり 最低限に整理すると気持ちが晴れる。 丁寧な暮らしは仕切りが高いものじゃなく