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丁寧な暮らしを再考してみた。

丁寧な暮らしって何だろう、、、
以前この疑問について深く考えてみた。

何度読み返しても、なるほどな、、、と思うが何かが足りない気がする。
言葉不足なのか、本質に気付けていないのか、それに付随するものがあるのか、、、

きっと丁寧な暮らしの本質は「めんどくさい」だ。そこは今も揺るがない。
めんどくさいことに一手間かける姿に人は丁寧さを見るのだろう。

丁寧な暮らしはそれでいいと思うが、他のは「丁寧」はどうだろう。
丁寧な仕事、丁寧な対応、、、
一手間だけじゃ言い表せない丁寧がいくつもあった。

そもそも、丁寧な暮らしが出来る人はあたかも当然の様にこなす。人よりめんどくさいと思う度合いが違うのではないだろうか。
本質は「めんどくさい」だけどそれは何かに別物に昇華してる気がする。
真の核となるものが別にあるはずだ。

きっとそこには思いやりがある。気遣いがある。
身体のことを気遣う、使う人のことを思いやる、道具にも愛着を持ち大切に扱う。
きっとそんな人を僕たちは「丁寧な人」だと呼ぶのだろう。

コロナウィルスの影響で、リモートワーク、自宅待機になり、より家で過ごす時間が多くなった。
Twitter、Instagram等で、お菓子やスイーツの写真が頻繁に流れてくる。
かく言う僕自身も普段より自炊の時間を増やしテーブルフォトと題しては写真を撮り、投稿している一人だ。
それでも、写真からは丁寧暮らし”っぽさ”は垣間見れても、その本質までは見抜けない。

丁寧な暮らしは決して真似事なんかじゃない。
本質を見極めた、日々の積み重ねることで踏み入れらる一つの領域とさえ思う。

そんなことを思いながら、今日も僕は珈琲を淹れている。

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