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おまけだって思えば、人生を楽に生きられる気がする

死を意識すると、人間は生き方が変わる。

言われるまでもない事実のような気さえする、この現象。私も例に洩れず、死を意識した前と後で、すっかり人生の過ごし方が変わったと思います。

今日は、そんな話をシェアしたいと思います。
(心を込めて書いていたら、2,000字超の長文になってしまいました。ぜひ、お時間ある時にお読みください。このnoteを読んでくださる皆さん自身が、プレッシャーなどを感じずに、人生を楽しめるようになることを祈っております。)


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初めて死を意識したのはいつだったでしょう。恐らく、モフ1号(我が家の初代マルチーズ)が死んでしまった時だと思います。

おぼろげながら、車のなかで空を見ながら、もうモフ1号はどこかに行ってしまったのだ、とぼんやり考えていた記憶があります。

でも、これは幻のような記憶ですし、死に対して、私は何も感じていませんでした。悲しみにも届かない、寂しさの一歩手前のような感じ。私自身が人生の入り口に近すぎて、死が私に影響を与えることができなかったのだと思います。

その後の人生で、モフ2号、祖父母、モフ3号、と身近な人やワンコを失いました。けれど、その前後で人生が変わったかというと、そうでもありません。子ども時代をずっと一緒に過ごしてきたモフ3号が死んでしまった時、「私の子ども時代も、今日で終わったのだ」と感じたことはありますが。

それでは、私の人生が徹底的に変わったのは誰の死かというと、自分自身の死です。もちろん、正確には、死んでいません。ただ、それまでの人生のなかでは限りなく死に近かった時期がありました。

学生時代、毎日毎日苦しくて、食事がだんだんにとれなくなっていきました。自分の体重が明らかに減っているのを感じました。今も、細いとよく言われますが、今よりも7~8kgは痩せていました。

このまま消えるんじゃないかと思い、なぜまだ生きているのか、生きていることを恨んでさえいました。(生きたいのに生きられない人だっているのになんて贅沢だ、という批判は分かります。でも、この時の私は、だからこそ自分は生きているべきではないと思っていました。)

いま思い返しても、どうやって生き返ったのか、よく分かりません。「このまま死ぬのかもしれない」「もう終わりにしてほしい」と毎日のように思い続けていた日があったということを覚えているだけです。

でも、もう少しだけ生きてみようと希望を持てるきっかけがあったおかげで、私は少しずつ病気を治す努力を始めました。心も体も受け付けなかった食事が、だんだんにできるようになり、少しずつ、心も体も穏やかになっていきました。

けれど、ふと健康に戻った時、自分は生かされたのだ、とは思えませんでした。もし、何かが私を生かしてくれているなら、なぜあんなに私を苦しめたのかが分からなかったからです。

この先の人生を、どんな心持ちで生きたらいいのだろう、と思った時、私の頭に浮かんだのは、これからの人生は、おまけなのかもしれない、という考えでした。

今、私が生きているのは、まだ生きてていいよって、追加されたおまけのような人生。"死"の後で私が得たのは、そんな人生なのかもしれないと思うようになったのです。

おまけのような人生を受け取る前の私の人生への向き合い方は、ストイックなものでした。頭の中は、自分を駆り立てるような考えでいっぱいでした。

経験がないなら、とにかく努力。
周りに迷惑をかけちゃだめ。
まずは他人、自分は後回し。
自分の気持ちは押し込める。
何かで一番にならなくちゃ。
遅れをとるなんてダメ。
優秀でい続けよう。
もっと、努力……。

これらを実現することは美徳と言われているかもしれませんが、いつからか、こういった考えは私には過去の人生のものに思われました。

今日を生きているはずじゃなかった私が、そんなに自分を責め立てても、大して意味がないと思ったのです。

全てにおいて頑張らなくていいと思っているわけではありません。与えられた仕事は全うすべきといつでも思っていますし、noteを書く時間を確保する努力や文章をよりよくする努力を怠るつもりだってありません。

けれど、全てを頑張って文字通り身を削らなくてもいい、と思うようになったのです。

もし、あなたが買い物に行って、偶然おまけをもらえるとしたら、何も、不要なものや嫌いなものを進んで手に取ろうとは思わないでしょう。
選べるなら、きっと、自分の好きなものや欲しいものを手に取るはずです。私も、そんな人生を選びたいと思っているのかもしれません。

また、自分の人生をおまけのように感じてからは、損したとか得したとか、そんなことでは動じなくなりました。

だって、すでに、得してると思うのです。

今日の空も、庭で聞く鳥の声も、友達との会話も、悩みも、食事も、趣味も、味わえる体と時間を、余分にいただいている……。社会人になる頃には、今日も生きることができてよかった、と心から思えるようになっていました。


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皆さんに、死を意識した経験がおありかどうかは分かりません。でも、誰しも、少なからずそういう経験があるものだと思います。その前後で、どんな風に考えが変わるかも、人それぞれだとも思います。

私の場合は、死を意識して、再び健康になれてからは、人生を楽しんでもいいのだと思えるようになりました。
病気になる前は、人生を重荷のように感じていました。うまくやらないといけなくて、いつも頑張っていないといけない、苦しいものだったのです。

でも、おまけだって思えば、人生もそんなに悪くない、と思うのです。

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