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自分の価値観と願望を明確にすること

以前の記事でも書きましたが、私はHSP気質で周りの目が気になるタイプです。

1人になりたい時もあるのに、狭い家に家族と同居のため1人になれる時間を取れず、コロナ禍なので長時間・長距離の外出も難しい日々が1年半以上続いています。

自分がどうしたいかということよりも、どうすべきかという頭で選択をしてきた日々でした。

コロナをどう捉えるか、というのは個人によって違います。
それが良いとか悪いとかではなく、私は楽観しすぎることも、悲観しすぎることもせず、バランス感を持ちたいなと常に考えています。

個人的には、騒いだり不特定多数の人が集まることはまずありませんし、出かけたからと言ってたくさんの人と接触するかというとそういう訳でもなく。

自分の気分転換として、いつもと違う場所に行き、心身を癒すことがそんなにいけないことなのだろうか?という思いをずっと抱えていました。

身体の健康も、もちろん大事です。
でも私は心の健康も同じくらい大事だと思っています。
人によっては、心の健康を犠牲にしても今は身体の健康を守る時。
そういう人もいるかもしれません。
ただ私はそうは思えず、価値観は人それぞれで、人とぶつかって争ってまで、自分の価値観を理解してもらおうとしてなかっただけでした。

実は人一倍好奇心が旺盛な私は
今まで気になるワークショップや学びの講座を
時間と金額で諦めることが多く、できない理由を探し自分を納得させていました。

でもそれをやめようと思った矢先のコロナ禍
受けたいと思う気持ちと、私がこれに行くと言ったら家族はどう思うだろう?何て言うだろう?
そんな考えが脳裏をよぎり、自分が感じる不安以上にそれが重くなり、自己規制をかけたことがたくさんありました。
家族の心配は理解できるのですが、私の行動を信頼してほしかったんだと思います。
私の本心からの、〜がしたいという思いを認めてほしかっただけだったのです。

前述の記事にも書きましたが
HSPであるが故に周りに合わせるのが上手で
それが楽でもあり、苦しくもありました。
そこに自分の意思が乗っていないことが多々あったと思います。

空気を読んで、それに同意できなくても周りに流される。
そんなことが当たり前で、むしろその方が周りにどう思われるか?ということを気にしなくていい分、楽だったように思います。

そんなことを繰り返してきた結果が今なのだろうなと、コロナ禍の閉塞感と身動きが取れないストレス。
誰かの望む自分で居続け、反抗などしないと、そう思わせた私がそのストレスを生み出していたのです。

私はどうしたいのだろう?
どうありたいのだろう?
どうなりたいのだろう?

そんな問いかけをしてみると私の願望は、とてもささやかなことでした。

どうしても行きたいところに行きたい時に行き
どうしても会いたい人に会いたい時に会う。
そんな些細なことを我慢しなければならない状態から自由になる。
自分の責任で物事をきちんと決め行い、自立する。

たぶん人間なら当たり前の願望であり
それを言うのはわがままと思っていたのですが
書き出してみるとそんな大袈裟なのものではなかったのかなと感じました。

誰がどう思おうが言われようが、好きなことをすればいいのでは?
そう私にアドバイスしてくる人もいます。

今の環境で自分の自由を勝ち取ることもひとつの道かもしれない。
でもそれでは自分の甘えが出てしまう。
自由と責任は等価交換なのかなという思い。
コンフォートゾーンから抜け出し、自身の成長の糧にしたいという思い。

色んな思いがない混ぜになっていますが
おそらくまず、私がすべきことは
そんな思いを言葉にして伝えること。

それに尽きると思っています。
この文章を書き上げるのに、ひと月以上もかかってしまいました。

拙い文章を読んでくださった方ありがとうございます!
背中を押していただけると幸いです♡

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