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should to〜ではなく、want to〜という生き方

はじめに

HSP気質な自分との向き合い方として、自分の思考を整理するために綴っています。
あまり書くまいと思っていたネガティブな表現を含みますので、苦手な方はスルーしていただけると幸いです。

HSPって

HSP(Highly Sensitive Person)という言葉は、何度も聞いたことがあっても、自分自身がそうだとは去年まで全く気づいていなかった私です。
繊細な人って大変ね、くらいにしか考えていませんでした。
と言うのも、極端な騒音や光、人混みは人並みに疲れるし嫌いだけど、過度に反応する訳ではなかった自分はそんな繊細な人間ではないし、違うんだと思っていたんです。

たまたまフォローしている方がHSPについて書かれていて、気になって簡単なネット診断をやってみたのがきっかけでした。
テレビや本の登場人物に感情移入しすぎて涙腺が緩みやすかったり、周囲の人の機嫌に自分の気持ちが影響を受けて左右されたり、空気を読むことが得意だったり人が何を考えていて、どうして欲しいか?ということを何となく察することができる。
そういうことは大抵の人がそうであり、できるものだと思い込んでいたんです。

ネットの診断結果を見て、「だから時々生きにくさを感じていたんだな」と目から鱗でした。
昔から周囲が自分にどうして欲しいか、なら自分はどうすべきか。
あの人はこう思っていそう。だからこう言おう。
それを軸に色んな選択をしてきたのだと思います。

いままで

ずっと自分の気持ちを抑えて、周りの気持ちや空気を尊重し、それが当たり前に人生の大半を生きてきて、私の意思を確認されたり、主張する必要性がある場面に遭遇すると
なら自分はどうしたいか?ということを改めて考えると、何と答えていいのか頭を悩ませてしまうということがよくあります。

周囲の状況や、その人の顔色、言動から読み取れるものから推測できる、こうすべき答え方。
そんなことばかり上手くなって、自分の本心を蔑ろにしていました。
たぶんそれは子供の頃からだったのだろうけど、それが大人なんだなと思っていたのかな。

ある時を境に自分が〜すべきで言葉や言動を選んでいたことに気づき、きちんと自分の気持ちに正直でありたいと思うようになりました。
でもそうすることは、今まで空気を読んできた自分と正直な自分との狭間で悩むことでもありました。
状況や周囲の反応からは、こう反応するべきと分かる。けれど自分の本心は違う。
自分の本心の声に耳を傾けることができるようになったことで、それに苦しむようにもなりました。
自分の本心というものは、ただのわがままなのではないか?これを本当に伝えてしまっていいのか?
物分かりのいい自分でいられないこと、それによって扱いにくい人間になること。
たぶんそれによって、自分が嫌われてしまうことが怖かったのだと思います。
それをしたところで、そう思う人がどれだけいるかも分からないのに。

これから

はいっ。想像力の逞しいのはHSPさんの特徴ですね。笑
あることないこと色々考えてしまって、その自分の思考に疲れて、自己嫌悪に陥る。
その悪循環を断ち切りたいなと思って、このまとまりのない思考を文章にし、客観的に自分を見てみる機会にしました。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます!

客観的にこの話を聞いたとしたら、「考えすぎ!」「自分の希望は言ってもいいんだよ」って簡単に言えるのですが。笑

ここ数年、自分のしたいことをできるだけしたり、本心を口にすること。背中を押してくれる大切な人の存在のお陰で、これでも少しずつできるようになってきました。
きっとまだまだ同じことで時折悩んでしまうでしょう。
でもその度に自分の正直な気持ちをたとえ言えなかったとしても、大事にできる自分でいたいなと思うのです。
〜したいと思うことや正直な気持ちを表現することをいけないことと思わず、認めてあげられる、そんな自分自身を愛してあげられる生き方を。

諦めずに投げ出さずに私に関わり続け、そのままでいいよと等身大の私を大切にしてくれる人のためにも、たとえ拙くても言葉を尽くし続けます。ありったけのありがとうを込めて。

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