私たちのヒロインズ⭐︎ジャーニー
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🇺🇸「通信社でバリバリ記者職をしていた最中での出来事。人生に急ブレーキをかけられたような体験でしたが、それがあってヨガと出会えたんです」
ちあきさんQ、どんな子ども時代だった? A、親に聞いた話では、物おじしない子だったそうです。2歳の頃、祖母宅で行方不明になったと思ったら、河原で1人遊んでいたり(笑)。「広い世界を見てみたい」って冒険心が昔からあったんでしょうね。 海外に憧れたのも早かったかな。小学6年生のとき、初めて英語の本を手にとって「apple」という筆記体を練習したのが私の英語学習のスタート。当時は学校で男の子にいじめられたこともあったんですが、英語の勉強は楽しくて、心の支えだったのかもしれません。
🇯🇵「自分軸を叩き起こせたら『大切なものは足元にあった!』と気づける。納得感を持って、自分の人生を生きられるようになるんです」
パンダみゆきさんQ、どんな子ども時代だった? A、無邪気なふりをしている子どもでした(笑)。小学生になる前から、いつも周りを気にしては「どう楽しませようか」と考えて動いていましたね。エンターテイナー気質で、実は吉本興業に行こうかと思っていたこともありました。 Q、いつどんな時、ビジネスのアイディアを思いついた? A、当時2歳くらいだった娘を寝かしつけて、夜中に1人でテレビ番組を見ている時。整理収納アドバイザーが特集されていて「私がやるのはこれだ!」とピンときたんです。 実
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🇺🇸「孤独で苦しかった時、くまのプーさんの物語に出会ったんです。『ありのままで仲間に受け入れられ、愛されている』ってことがすごく刺さって、涙が出ました」
ランサムはなさんQ、どんな子ども時代だった? A、「周りとなんか違う」って生きづらさを抱えていましたね。未熟児で生まれて弱視で、4歳から眼鏡をかけていたし、ひらがな2文字の名前なんて当時は周りにいなかったし。「自分は浮いてるな」ってずっと感じていました。 Q、今のビジネススタイルを思いついたのはいつ? A、YouTubeをやっていますけど、もともと私、ネクラなんです(笑)。翻訳業なので、家からほとんど出ずに毎日仕事。「今日も夫とぬいぐるみとしか話してないなー」って毎日でした
🇯🇵「今は『自分は生きていきたい』という強烈なモチベーションを感じています。生きていくなら、1番自分が『これだ』と思えるものに捧げていきたいんです」
おとさんQ、どんな子ども時代だった? A、Twitterでも自己開示したんですけど、かなり辛い子ども時代でしたね。家庭不和で、安らぎがなくて。父はアルコール依存症だったし、母も結構きつい人で…。自分が言いたいことを口に出すと面倒なことになるから、いつも気を遣って発言は常にオブラートに包んでいました。心はいつも曇り空って感じ。 ただ、5歳の頃からピアノを習っていて、音を出すことだけが唯一解放できる自分の“発話“でしたね。言葉じゃないからこそ、思いっきり自由に表現できたんだろう
🇯🇵「1人ひとりが自分を攻撃したりネグレクトしたりせず、自分を大切にして心穏やかであること。それが平和な世界の土台じゃないかと思うんです」
柏田 ひろみ(ろみー)さんQ、いつ、どんなとき、ビジネスのアイデアを思いついた? A、図書館で手にした本に勇気をもらいました。いろいろな女性が人生のターニングポイントを語っている本。当時の私は、行政保健師を結婚退職したばかりだったんですが「私にも何かできるかも!」ってワクワクしたんです。 その後、布ナプキンに出会ったときに「セルフケア・セルフラブを伝える素晴らしいツールだ!」と衝撃を受けて、ワークショップを始めました。それが自分の「やりたい」を形にした第一歩でしたね。 Q
🇨🇦🇲🇾「よく『勇気あるね』って言われます。でもね、これは勇気じゃない。覚悟です。人間、覚悟と継続があれば目標叶えられるんです」
KiyomiさんQ、どんな子ども時代だった? A、実は、小学校に入ってすぐ不登校になりました。体が小さくて重度の喘息もあったんですけど、学校の先生が毎朝家まで迎えにきてくれて。「今日は正門まで来れたね」「教室に来れたね」って応援し続けてくれた。「親以外に、こんな風に助けてくれる大人がいるんだ」って感動したことが、小学校教諭を目指した原点です。 Q、いつ、どんなとき、ビジネスのアイデアを思いついた? A、オンラインスクール設立のきっかけは、コロナですね。当時はカナダのサロン勤
🇻🇳「社会には『自信を奪う環境』と『自信を与える環境』が存在すると思う。だったら、自信を与えてくれる環境に移動して行動した方がいいですよね」
ゆりさんQ、どんな子ども時代だった? A、実は、小学校低学年までは気が強くて周りを引っ張っていくリーダータイプでした。でも、陰で悪く言われているのを聞いてしまって。そのショックから、いきなり〝天然系女子〟を演じる方向にシフトしたことを覚えています(笑)。どうすればうまく世渡りしていけるか、すごく気を遣っているタイプでしたね。 Q、いつ、どんなとき、ベトナム移住を思いついた? A、20代後半のころ。長く付き合っていた男性とも別れて、仕事もどうしようかなと思っていたとき、友人が
🇹🇼「子育て中でも、母でもない、妻でもない「私自身」のための時間や行動を少しでもいいから大事にする。そんな人に憧れます」
KumiさんQ、今の仕事のアイデアはいつ、どうやって思いついた? A、以前は銀座で働いていました。24歳のときに仕事を辞めたら、パニック障害になって。働くことが好きだという自覚はあったのですが、「仕事してないと私、本当にダメなんだな」って気付かされました。心身の不調を治すためにヨガ・ピラティスを始めたんですが、すぐに「教えること、仕事にできる!」ってピンと来たんです。習い始めて半年で講師ライセンスを取って、1か月間のハワイ研修留学にも行きました。 Q、台湾になぜ移住を? A
🇯🇵「80歳になっても現役で教えていたい。みんなのワーッて温かい雰囲気の中に私がいる。そんな確固たるビジョンがあるんです」
ちぴさんQ、どんなとき、今の仕事を思いついた? A、5年前まで専業主婦でした。家庭を大切にしたくて、25歳で前職の銀行員を辞めたんです。でも、子どもが2歳と0歳の時だったかな。「私の人生、このままリビングの中で終わっていくの!?」みたいな恐怖心が出てきたんですよ。子どもや夫を介してしか社会と繋がっていない感覚。怖くて、そんなのイヤだーー!!って思いました キャリアなんてない。でも、抜け出したい。悩んで苦しくて、もう限界…ってなったとき、出てきた感情は「あーー!!踊りたい!!
🇯🇵「誰かが『あなたって、ここがすごいよね』って言ったとき、素直になって、鵜呑みにして、調子に乗って。調子に乗らんと、起業なんてできないよ」
高椋美紀さん Q、どんな子ども時代だった? A、1人遊びが上手で、友だちと絡まない子。両親共働きで、夜も親がいなくて。記憶にある3歳ごろには「夜8時になったらテレビを消して寝る」を自分でやってました。でも、近所のおばちゃんたちがいつも面倒見てくれてたんですよ。私の人間好きは、そこが原点かもしれません。 Q、今の仕事で一番嬉しいことは? A、自分のことを好きになれなかった女性が自力で「開花」し始めること。何か素敵なところを褒めても「いえいえ…」って縮こまってた方が、腟トレを
🇯🇵「提案したい服が見つからないときも『絶対見つけるし、絶対見つかる』って疑わないから、本当になんとかなるんです(笑)」
和田悠希さんQ、どんな子どもだった? A、将来なりたいものは(美少女戦士セーラームーンの)「レイちゃん」(笑)。思い出すのは、小学1年生のときの絵日記。お母さんがクローゼット前で着替えてるところを描いたんです。着替えを見るのが好きだったんだろうなぁ。よくお母さんのアクセサリーを引っ張り出して、「今日はこれがいいよ」とか飽きずにやってる子でしたね〜。 Q、いつ、ビジネスのアイディアを思いついた? A、起業前は服飾店で働いていて。全国トップセールス達成したんですけど、「お客さま
🇯🇵🇹🇼「自分の心の流れというか、『今これやりたい!』と思ったときにガッてやると、それがめちゃめちゃ走ったりするんですよ」
ゆりさんQ、どんな子ども時代でしたか? A、私、3人兄妹の真ん中で。真面目な兄、破天荒な妹がやることを見つつ、「どうすればうまくやれるか」を考えて無難な道をチョイスする子どもでしたね(笑)。学校の授業では「間違ったら恥ずかしい」と思って挙手しないようなタイプ。今とはだいぶ違いますね。 Q、いつ、ビジネスのアイディアを思いつきましたか? A、妹の一言ですね!今、育児休暇中なんですけど、英語教育の会社でも働いていて。コロナになったとき、妹とランチしながら仕事の話もしてたら、「お