見出し画像

パリ軟禁日記 18日目 もう、手放してはいけない

2020/4/3(金)

B.C.-Before Corona-1年、僕はバスに乗っていた。片道30分、立ちっぱなしは少し辛い時間だけれど、路線バスの座席は硬いので座っていても腰にくる。市のテニスコートはいくつかの例外を除き、ほとんどが街をぐるりと取り囲む環状線「ペリフェリック」に程近い外縁に位置している。シテ島から円を書くように長い時間をかけて発展してきたパリでは、スポーツとしての歴史が浅いテニスに残された場所はそこしかなかったのかもしれない。所属するクラブのコートもその例にもれず、パリ市の南端に位置している。

フランスの新学期は毎年9月に始まる。スポーツのコースも同様だった。練習初日、集合の1時間前に着いた。サッカー場や体育館があるスポーツ施設の奥に屋根付きコートが4面あリ、その1面が練習場だった。同じく早めに来ていたコーチに挨拶した。僕は19時から1時間のコースだけれど、コーチはこれからぶっ続けで3時間受け持つらしく、彼は菓子パンを咀嚼しながら早口で話した。コーチのお腹は少し出ている。

はじめの1ヶ月は腕まわりの筋肉が悲鳴を上げていたけれど、すぐに感覚を取り戻して行った。コーチはあまり指導はせず、とにかく自由に打たせてくれる指導方針なので、フォームや技術面はYouTubeの動画で学びなおした。プロのフォームが無料で研究できる、本当にいい時代になったものだ。ボールを打つのは週1回、それでも、それに合わせて走ったり泳いだり基礎トレをすることで身体が締まっていくのを感じた。

ある日、高校生の頃できなかったショットが打てるようになった。視野も広がったことを感じる。昔の自分を取り戻していくようで、気づけば、昔と同じようにハマっている自分がいた。打算も何もない、純粋な楽しみ。毎週木曜を軸に毎日が輝いていくのを感じた。そして気づいた、これほどまでに自分に喜びを与える営みから、自分がこれまで遠ざけられていたことに。もう、手放してはいけないと強く思った。

軟禁生活を続けていると、本質的に生活に必要なものと、そうでないものに一つの線引きがなされたことを感じる。これは後者が役に立たない、と言いたいわけではない。B.C.の時代は僕らの生活はそういうもので溢れている時代だった、と気づかされたのだ。何が生きていく上で、本当に必要なのか。今、僕たちはその本質的な問いを自らに問わずにはいられないし、既に無意識の上で、そのふるい分けは始まっているかもしれない。氾濫している、本質的には不要なものの海の中から、その何かが見つかること。またその逆、それ以外のものに心を奪われないこと。ラケットの素振り音はリビングによく響く。さぁ、どうなるA.C.-After Corona-。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?