教員になるリスク
みなさんにとって学校教員のイメージとはどういうものだろうか。
ここで言う教員とは、小学校や中学校の先生のことである。
だいたいどの学校にも、クラスに1人か2人くらい将来学校の先生になりたいという人はいる。
教員免許というのは、弁護士や会計士などと比べるとそこまで難しいものではないし、勉強を教える専門というよりは、学生の扱い方みたいな方に比重が重い気がする。
案外知られていないが、学校の先生というのは残業代は出ない。
私が毎夜、食後の散歩に出かけると、近所の小学校は職員室の明かりが夜8時とか9時でも点いている感じではある。
コロナが流行して、お医者さんがコロナの特別手当が激安で、病院経営は赤字なのに患者を受け入れないといけないような報道もされているが、公立学校の教育現場というのは常に赤字と言えるかもしれない。
赤字にさせないように、教員の残業を全てサービス残業にして、土日の部活の顧問を日給3000円程度で雇っている状況ではある。
ちなみにこの3000円というのは、以前まで支給されなかった。
あまりよくわからないが、地方自治体の管轄によって制度が違うかもしれない。この記事で書くことは私の親戚や友達の話である。
もちろん学生が怪我したら顧問の先生の責任になるし、部活で遠くの学校まで行くとなったら、電車代をうちはそんなに出せません。みたいなことを親からクレームが来るときもある。
以前はやる気のない顧問だったから、先生は熱心で助かるわ。と初年度は誉めれるかもしれないが、次の年になったらそれが普通だと思われるし、部活で人間関係が悪くなって子供が不登校になったら、生徒の家まで家庭訪問しなければいけない。
巷では先生のセクハラと学生の自殺とかイジメしかニュースにならないので、学校の先生は質が低いとか、どうしようもない人間のような言われ方をする時があるが、現実として両手足縛られて仕事をさせられているような状況ではある。
もちろん、大学で単位をとってとりあえず勉強の試験と仮授業のような試験に通れば、学校の先生にはなれるので、先生の質という部分ではどうも難しい部分がある。
ただ、現状としてものすごい劣悪な環境で頑張って働いている人は、かなりハードワーカーだしシンプルに生徒の幸せを考えてくれる面倒見のいい先生が多いと思う。
公務員で安定しているし、先生でいいや~みたいな軽い人には務まらないような、最悪な労働環境が、いい意味でフィルターのような役割にはなっている。
全ての学校を見たわけではないが、先生にそんなに嫌な思い出がある人も少ないんじゃないだろうか。
学生を食い物にする凶悪な変態か、ものすごい部活とか熱心にやっていきたい面倒見のいい先生しか生き残れないような環境にはなっていると思う。
うちは親戚に教員が多いので大体いろいろな情報が入ってくるが、クラス半分近くが生活保護を受給しているような学区であれば、それなりに面倒を見るのも大変だし、四則演算が中学でも厳しいようなシンプルに勉強ができない生徒にも丁寧に指導しなければいけない。
そのような現状を知る人が増えて、教師になりたいという人も減ってきている。
現状としては少子化で学生が減っているので、教師の数も減ればバランスがいい感じにはなっていると思う。
しかし、若手の教師が働きすぎて気が狂ったり、メンタルをやられて退職してしまうのは残念に思う。
普通に残業するのが当たり前の環境になっているし、仕事とプライベートなどと言っている場合ではないと思う。
もちろん、普通に部活の顧問など全て断って、普通に自分の授業の準備だけやって5時に帰る先生もいるらしい。
ただ、そのような先生が増えれば増えるほど他の先生の負担が増えることは確実だろう。
テストの丸付けとか、成績評価とか、そういう部分でDXなど業務効率化ソフトで一元管理していけば良いと思うが、そういうのもいちいち文部科学省の許可を取らないといけなかったり、教師一人の一存でできるものでもないらしい。
そういう意味では、日本の中でもっとも構造改革すべきことかもしれない。
ここからは、少し教師の労働環境というよりは、教育とか学ぶことを広く捉えて考えてみたい。
私が大学を卒業したのは10年まで行かないが、それなりに結構前の年である。
大学のレベルもあり大学に行ってもロクな知識は身につかないと予め理解していた自分で勉強するように心掛けていた。
社会人になったらもう勉強はしなくてもいいような風潮をずっと不思議に思っていた。
勉強は一生するものだし、仕事を辞めてでも勉強はした方がいいと個人的には思っている。
たまたま自分はインターネットのある時代に生まれたので、グーグルで検索するくらいはできるが、インターネットが誕生したあたりで30とか40歳だった人はおそらく何も勉強していなかったら60とか70歳で何も使えないと思う。
何か買いに行こうと思っても、わざわざ店に電話して在庫を確認したり、どこで買えるか聞いたりしなくてもネットで調べればわかることは大体の人間は知っている。
世間もそれくらいできるっしょ。という雰囲気で進んでいるし、それが出来なかったら経済的な損失と時間の損失が尋常じゃないと思う。
もちろん教えてもらったら1日で出来ることだが、教えてもらえなかったら永遠に出来ない可能性もある。
勉強するとは言うものの、日本人の殆どは勉強させられていると思う。
仕事で英語が必要だから。とか
テストに合格しないといけないから。とか
必要性に迫られて勉強はするものだという認識がある。
学校の子供達もテストでいい点数を取るために勉強している節はある。
そのようなスタイルの勉強を小学校から大学まで続けていたら、おそらく自分から勉強しようという気は起こらないと思う。
勉強というのは、テストに合格するためなどでも必要だが、生きていく上で必要な知識や技術を身につけることだと思う。
人によって生き方は違うので、人それぞれ勉強することも違う
もちろん哲学や料理を勉強してもいいし、政治や金融でも良い。
お金に直結することじゃなくてもいいので、自分なりに疑問を持ったことに突き進むべきだと思う。
簡単に言えば、日本人は疑問に思うこと無く生きているんだと思う。
勝手に人生は、こういうもんだと思って生きていて、その『こういうもんだ』が崩れてきている現代で、多くの人が不安になって彷徨っている。
なぜか勉強すると言うと、勝手に学校へ行くことだと思っている人がいる。だが、勉強をすることは、必ずしも人から教えてもらうということではない。
勉強=学校のようなイメージが強すぎて、教えてもらうことが勉強することになってしまっている。
もちろん、それで効率的に身につけられるのかもしれないが、あくまでテストのコツであったり、表面的な部分でしか無いと思う。
やはり自分のわからない事というのは、自分で調べて学んで解決するしか無い。
人に聞くというのは、一見早いが、それが身についているかは、また別だったりする。理解した気になって納得してしまう場合が多い。それでは問題は解決しない。
もっと自分が納得できるまで突き詰めないといけないし、そう簡単なものでもないと思う。
人から教わるだけの社会では、社会全体が進化していかないのは想像できる。
現実に日本社会は成長していない。細かく見れば人間が成長していないということだと思う。
子供が成長しなければ、当然ながら国全体も成長しない。
子供に限らず大人も成長することで、社会全体は確実に底上げされると思う。
勉強することは、子供のすることではない。
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