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金に囚われる人生の末路

金持ちになれるのであれば、金持ちになりたいと答える人が多いと思う。

日本での価値観は多様化しているとはいえ、日本におけるサービスがどんどん充実されるに連れ、金持ちになることへのメリットは広がっていくように思われる。

もちろん、金持ちになることで強盗に狙われやすくなったり、高いものを身につけることで、より高いセキュリティレベルが必要になるかもしれない。

それでも、メリットのほうが大きいと感じる人が多いだろうし、日本において結婚して、家を買って、子供を育てるとなると、全てに金が必要だ。自分一人生きていく金額の金よりも莫大な金が必要になる

人間なんとなく、金持ちになると、たくさん金を使うと思いがちではある。ロレックスだったり、ロールスロイスだったり、高いものを買い漁って、豪盛に暮らしているようなイメージを持つ。

ただ、別に金持ちになったからといって、支出を増やして豪盛な暮らしをしなければいけない、ということはない。

別に金持ちであっても質素な暮らしはできるので、質素な暮らしを選んでも良いと思う。

確かに金は使うものではあるが、使いみちに関しては、いわゆる消費だけではない。それこそ貯金しても投資してもいいと思う。

スタートトゥデイの前澤社長のように、独自に支援金を配ってもいいと思う。そんなことができたらいいなぁと、ある種の私の夢であったが、SNSと現代社会の貧困が合わさって、そんなことも手軽にできるようになった。

現代では無料でできることや、得られる情報などのレベルは過去に比べて格段に上がっていると思うし、それによってお金の稼ぎ方も変わってきたと思う。

新型コロナウイルスのおかげで、というと語弊があるかもしれないが、多くの人のライフスタイルを見直すきっかけになったと思う。

満員電車であったり、何時でも良いのにみんなが9時に出社する事や、家族との時間を過ごすことをそこまで真剣に考えていなかった事など、家族との時間を強制的に増やされることで、普段見えてなかった景色が多くの人たちに見えたと思う。

仕事がなくなったことで、「私達は何のために働いているんだ?」と考えた人も多いと思う。

普段忙しく働いている人からしたら、バカなこと言ってないで早く契約取ってこい。などと言われそうだが、そこにヒントがある気がする。

国民の義務として勤労の義務というのもがあるが、何をもって勤労なのかは謎である。勤労=金を稼ぐという考えもあるだろうが、本当にそうだろうか。

たくさん稼いで納税している人は立派だが、いくら納税しても政府はアベノマスクや加計学園へ浪費してしまう。確かに、それらの金に使われても再び市場に戻ってくるという意味では良いかもしれないが、もし100%効率的に国民に使われるとしたら、もっと社会の不具合は無くなるかもしれない。

私の単純な興味ではあるが、多くの人が何のために仕事をしているのか知りたい。公式な統計ではないにしても、多くの人が「金のため」というのは、なんとなく知っている。

だが、正社員の年収440万が平均の世界で、どれだけ自分が金を稼いでどのように生きていくか、という意味では自由ではある。

別に働かずに親のスネをかじって生きている人もいるし、早くして結婚する人もいる。大金持ちでも孤独の人がいるし、コロナで借金まみれになり、どうしようもない人もいる。

何回か他の記事でも言っているが、金の使い方というのは、その人の価値観そのものだと思う。

自分の欲望に使うのか、親しい人の欲望に使うのか、全く赤の他人に使うのか、どうするかは自由ではある。

そこにその人の生きる目的であったり、働く目的が見える気がする。

どうしたって生活するには最低限の金がいる。よほどハイレベルの自給自足をしている人じゃない限り、生きていくのには食べ物や家やライフラインに金を払わなければならない。

こんなこと言うのもおかしな話だが、学校では、将来お金を稼いで自分で生きていかなければいけない、などということを教えてくれない。納税についても教えてくれないし、働き方についても教えてくれない。

大体の人が金を稼がなければ生きていけないのに、将来の夢的な進路指導はするものの、実利的なアドバイスはそこまで無いと思う。

もちろん、学校の先生は学校の勉強を教える人なので、そこまで教える必要もないが、実際に生きていく上で必要な知識を教える人も必要である気がする。

そもそもの社会の仕組みというか、どういう社会にみんなが向かって生きていきたいか、というものを考える時間というのものは無かったと思う。

なんとなく、大学を卒業したらそのまま、どういう業界に就職するか考え始めて、そこに自分のライフプランというか、仕事の先にあるものを考える機会は無いように思える。

私がかつて就活をしていた時、決まり文句のように説明会では女性は「産休で子供産んだ後も働けますか?」や「女性の役員の数」であったり、「育休支援」などについて質問していたのが印象的だった。

なんとなく、男性より女性のほうが将来を見据えて今何をすべきか計画を立てて生きているようなそんな印象を受けた。

もちろん計画を立てて生きることが必ずしも良いことではないし、結婚などできるのであればいいが、大体の人はできるかどうかわからないまま生きているので、計画通りにいくかどうかもわからないが、考えるキッカケがあってもいいと思う。

女性の場合50歳過ぎて子供を産むのもかなり難しいので、年のとり方は平等であることを考えても、子供が20歳の時に何歳くらいがいいから、それまでに結婚するために、それまでに彼氏を見つけて、、、などいろいろ考えなければならないと思う。

そう考えると男性は少し気楽ではあるが、究極的な宗教っぽいことを考えると、我々は何のために生まれて何かを達成するために生きているのだろうか。

どう生きても良いと思うが、生物である以上、子供を産んで育てるのが常という考え方がある。私はこの考えがあまり良いとは思わないが、少子化であることを考えると、必要かもしれないし、世界の人口が増えすぎて食糧難や環境問題が起こっていることを考えると、無理して産まなくてもいいと思う。

私が生きていく意味であったり、働く意味であったり考え始めたのは子供の頃からだが、友達が結婚して子供を産んだりするのを見ていると、より真剣に考えるようになった。

理由としては、この子たちが大人になった時、僕たちは恨まれないだろうか。と心配になったからだ。

年金もおそらく崩壊しているだろうし、国際競争力もトップ企業はそのままかもしれないが、日本全体としては低下している。簡単にいえば日本という国がかなり下落傾向ではある。

そんな世界に産み落とされて、将来何になりたいか?などと夢物語を語らされて、社会に放り出されても、ふざけんな。という心情にならないだろうか。という心配になった。

そう考えると、単純に働くとかどうこうより、普通に何か諸問題を解決したり、普通に人として生きていくことに不具合を無くすような活動をしていきたいなと考えるようになった。

社会には様々な仕事があるので、一概に何が社会に役に立って何が立たないなどとは言えないが、私のイメージであると、自分が生きる金のために、会社から言われた仕事を処理している人が多いと思う。

そこに、社会で役に立つことであったり、将来の子供たちのためにというような(特定の企業のCMで使われる場合はあるが)、そんな要素は日常の仕事で介入する余地は無い気がする。

自分が仕事で失敗しないか、とか、出世がどうとか、出世したくないから忙しい仕事したくないとか、そういう事のほうが多いと思う。

目先で何の役に立つのか分からない仕事をしていても、めぐりめぐって多くの人に恩恵をもたらすかもしれないが、多分無かったとしてもそんな社会に影響はない企業もある。

政府の給付金など、制度があるのに振り込みまで時間がかかり、機能していないというのは、なんとなく育休があるのに取る人がいない企業の福利厚生に似ている。

多分、制度を作ることは仕事だろうが、それを実際に機能させることまでは仕事ではない。全体のことを考えていない。自分の仕事の担当が終われば、自分が金がもらえる。最終的に自分の仕事の行き着く先を確認しなくても、自分の生活は担保される。

ネット社会になり、好きなものを選り好みすればするほど、そのような社会は加速していくだろう。好きな人としか人間関係を持たず、婚活サイトのようなもので、条件で絞って結婚する人はより増えていくはずである。

時間をかけて信頼を得たり、無駄なことを楽しめる心の余裕がある人はどんどん少なくなっていく。失敗した人に責任を取らせて、自分の世界から排除していく。それで金を稼いで自分の生活を守っていくのだろう。金があればなんでもできる。そんな世界を創るために、人はまた金を稼ぐことに躍起になる。

なんとなく、そういった考え方に、日本でいくら金を稼ごうが、豊かにならない原因がある気がする。

制度がなければ休むことも出来ないし、制度がなければ政府から補助を貰うことも出来ない。そしてその制度も満足に機能していない。ルールを欲して、ルールか金がなければ何も出来ない。金さえあれば、人に命令して好き勝手に自分が無条件でサービスを享受できる人間だと考えている。

たとえアルバイトであっても、時給が安くても、それを運営するのに人が関わっている。そんなことには目もくれず、ただただ機械的に要求を出すだけで、事を済ませられる。その為に人は金を稼ぐ。

金を稼ぐために他人に自分の人生をコントロールされるのを当然としているような風潮が、なんか気持ち悪いと思ってしまう。

自分のやりたいことを自分で決められない、そんな人生が豊かであるはずがない。

最近、フリーランスや地方移住が増えたのは、きっと自分の人生を自分でコントロールしたいと気づき始めた人が多いからだと思う。

お金をたくさん稼ぐことより、お金をそこまで稼がなくても、生きていける生活にシフトしている人が多い。むしろ金に囚われることのほうがリスクと見ている人もいるかもしれない。

そもそも、インターネットが発達した現代なら、地方移住したからといって、所得が下がるわけではない。生活コストだけ下げるために、地方移住も十分あり得ると思う。

ただ、私は豪盛な暮らしを否定しているわけではない。そういう生活をする人も社会を維持する上で必要だ。だからこそ、いったんそういう生活を経験してみたいとも思う。

車の運転をロクにしない自分が、高級車や高級時計を買い漁って、自分がそれで豊かになるのか体験してみたい。

金で手に入れられるものを全て手に入れて、金では絶対に手に入らないモノが見えた時、それがゆたかさの正体である気がする。


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