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「カードゲームにプレイングの影響は少ないのか」からプレイングとはなにかを考えてみよう

先日から複数回、ポケモンに関する記事を書かせていただいています。

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 また、かなり古い記事ですが、以前やっていてまあまあな成績を出せていたたリセというカードゲームに関する記事も書いています。
 環境メタ読みに必要な情報取得について|へる (note.com)

 さて、今回は話の入りとしてはポケモンではない内容から入りながら、ポケモンにも関係する話として記事を書いていこうと思います。
 だから、それっぽいタイトル画像がなにかよくわからなかったので、適当な私のらくがきをつっこみました。だから画像はポケモンにも関係ありません。ただの私の趣味です。

 それは、「カードゲームにプレイングの影響は少ないのか」

 細かいところになると多少人によって主張が変わってきますが、「プレイングより乱数要素(いわゆる運)の方が影響が大きい」という方向性の方、あるいはそうではない方、それを含めていろいろいらっしゃる。

 そして私は、まず主題を明確にしていくと、「カードゲームにプレイングの影響が少ないことはあり得ない」という論をこれから展開していきます。

 カードゲーム?ポケモン関係ないじゃん。まあそう思いますよね。
 ただ、この話、「プレイングの影響」とはなんなのか、といった話に展開していこうと思います。そこで話が交差してくる。そう思っていただければと思います。

〇カードゲームにプレイングの影響が少ない論を述べる方は、大抵2つのどちらかがその理由になっている

 私も長くカードゲームをやってきた人間なので、それに基づいた話ではあるのですが。カードゲームにプレイングの影響は少ないのだ、という意見をもっていらっしゃる方は、私に言わせればたいてい次のうちどちらかが理由になっています。

 まず1つめ。理屈付け自体はされていても、「プレイングや乱数がゲーム内容や勝敗のどこに影響するのか」の認識がどうもずれているんじゃないか、と私が思うパターンです。だから、「勝敗がつくための要素はむしろ乱数の方が大きいんだ」みたいな方向に話が行くことが多いです。

 これについてはこの後で私がそもそもどういった考え方をしているのかをこの後で述べることで、私的にはそれには懐疑的だということを説明したいと思いますが、あくまで「傾向」としては、あくまでどちらかといえば「上手な方」が主張する内容というよりかは「カジュアルめのほどほどくらいのユーザー」が主張することが多い方向性だと感じています。

 次に2つめ。「そもそもプレイングがちゃんとしていることは『対戦の前提』だから、対戦への影響は少ないんだ」という方向性の理由付けのパターンです。
 すごく概念的にまるっというと、「一定のプレイングができていないとそもそもちゃんとした対戦にはならなくて、大人が子供と遊んでいるような、対等な対戦とはいえないものになってしまう。だからそもそも対戦とうものへのプレイングの影響は少ないんだ」みたいな感じになるんでしょうか。イメージは伝わったかと思います。

 理屈的な話をするなら、「そもそもプレイングができてないとスタートができないなら、プレイングの影響がないというのはおかしいんじゃないのか」という根本的な疑問があるのですが、感覚的というか感情的というか、主観的にはわからなくはない部分もあります。

 というのも、大抵この方向の主張をする方は、「一定以上の上手な方」であることが多いと感じていて、私も今では見る影もありませんが、それなりには下手ではない方だったので、感覚的には僭越ながら割と近いからです。
 確かに表面上の話としては、近い実力の方同士の対戦ほど乱数要素の影響が目立つことになり、実力差はいわゆる「上手い」人達になるほど差がなくなっていくので、そういう方々の視点で見てみれば、「プレイングで差がついてしまうような状態を論じている時点で勝負になっていない」というか、要するに「『プレイングがダメ』というステップを通過した先のゲーム性の話をしているんだ」的な主張をにおわせていることが多いからです。
 
 これについても、私がこれから述べる主張の中で、個人的には「言いたいことはわからないとは言わないが、でもそこまで全員の差がつかないということは現実的にはないはずだ」ということを説明したいと思います。

〇「プレイングの影響」は「プレイヤーの判断の影響」と言い換えられる

 そもそもなのですが、カードゲームにおいて、プレイング技術というのはなにに影響するものなのでしょうか。
 例えばサッカーでいうプレイング技術というのは、いわゆる戦術面に影響するような話以外にも、ボールのけり方とかそういったものにも及ぶはずです。
 しかしカードゲームについては、イカサマといった要素を除いて、基本的には「判断」のこと指します。だってカードをどう切るかとかどう並べるかというのは、極論デジタルカードゲームやMTGアリーナといったものでは機械が代行するわけで、プレイヤーの技術というのはそういった「触る技術」といったことは指しませんよね。あくまで何をするか決める「判断」自体にしかプレイヤーは介入しませんから。
 つまり、カードゲームにおいて「プレイングの影響」というのは、「プレイヤーが行う判断の影響」と言い換えられるということです。
 そして、重要なのはその範囲ですよね。プレイヤーが行う判断が対戦にどの程度影響するのか、プレイヤーの判断の影響がカードゲームにおいては少ないのか。それが今回のテーマということになります。

 そしてこれでいうなら、カードゲームにおいて「プレイングが上手い人」というのは、「判断が上手い人」ということだ、ということなのです。「判断が上手い」とはどいうことでしょうか?「判断を間違えない」とか、「正しい判断をいつも導ける」という意味ですよね。
 つまり、「判断が上手い人」というのは、「判断を間違えない人」ということなら、「プレイングが上手い人」は「判断を間違えない人」ということで、「この人の方がプレイングが上手い」というのは「この人の方が判断を間違えない」ということのはずです。

 さて、では「プレイヤーの判断の影響」というのはどういったものに出てくるのでしょうか?

〇カードゲームに限らず、乱数要素が1か所でもあれば、乱数の影響が勝敗に影響するのは当たり前

 例えばあなたとお友達が「勝ち負け」を決めるために、目の前のボタンを押すゲームをしたとします。ボタンは誰が押しても押した人が50%の確率で勝ち、50%の確率で負けになるとして、どちらかがボタンを押したら結果が出るゲームです。これは、プレイヤーの判断が勝敗に一切影響しないので、勝敗という結果は出ても、そもそも対戦しているとすら呼べないようなゲームです。

 では、仮に押した人が30%で勝ち、70%で負けるとしましょう。すると当然お互いボタンを押したくないですから、相手にどうやって押させるかといったなにかが始まるかもしれませんが、実際の勝敗は結局乱数で決まるので、相手に押させることに成功したとしても自分が勝てるとは限りません。
 さて、ではこのゲームの場合、「相手にボタンを押させるための技術」が仮にあったとして、はたしてそれは対戦において「影響が少ない」といえるのでしょうか。
 この話のポイントは、「その勝負の勝敗の結果に乱数の結果が直結する」ということです。どんなに最善の動きをしたとしても、結局最善の動きをした側が負けることがあるのは間違いありません。

 これをカードゲームでいえば、「最善の判断をし続けても乱数の結果自分が負けた」例えば、「最善の判断をし続けても最後に相手に御都合カードを引かれたことで負けた」という感じになるでしょう。この場合、仮にプレイングに多少差があったとしても、その影響より乱数の方が勝敗に直結した、みたいな感じにでしょうか。

 ただ、ここにおいて私が重要だと思うのは、「そもそもゲームシステム上試合進行に乱数が絡むようにデザインされているものにおいて、乱数が勝負の結果になんの影響も及ぼさないわけがない」ということです。
 つまり、「『そういったことが発生しうること』を理由にプレイングの影響の大小を論じている」時点で、そもそもシステム、ルールを理解していないというか、いやその表現は正しくないでしょうか、論じるべきポイントがズレているというべきでしょうか、「そんなことは論じるべき本題ではないことに気づいていない」と私は思うんです。
 だってそんなことを言い出したら、「1回戦でコストを生み出せるカードをゲーム中1枚も引けなかったらどんな連覇中の世界チャンピオンだって1回戦敗退するだろ、運ゲー」って言ってるようなものじゃないですか。そんなの当たり前ですけど、プレイングの影響についてうんぬん以前にルールの問題ですよねそれ。

〇判断の影響が出るのは「乱数の影響を少なくする」ところにある

 つまり、「プレイングの影響の大小」を論じるうえで、「勝敗結果に乱数が絡む余地があること」は、議論の根拠ではなく前提にすぎないのだ、ということなのですが。
 では私が言う「論じるべきポイント」はどこにあるのでしょうか。

 ここでは細かい具体的なカードやプレイングの話をしてもきりがないので、「乱数の上振れと下振れ」という話で進めますが、お互いのプレイヤーはどちらも「なにか1つの乱数が絡むタイミング(自分のドロー等)」を通過するたび、乱数が上振れるか下振れるかといった「判定」を受けます。
 カードゲームにおいて使っているデッキによりその幅や確率は変わるモノの、「判定」の結果起きた事象は、プレイヤーの判断によって「ごまかせる範囲」か「ごまかせない範囲」かのどちらかに区分されることになります。
言うまでもありませんが、いわゆるプレイングが上手い人であるほど「ごまかせる範囲」は広く、下手である人ほど狭くなります。これは感覚的に理解していただけるでしょう。これは言い換えれば「ごまかせる範囲が広くない人はプレイングが上手い人ではない」ということでもあります。

 さて、先ほどの項目で私が述べたことと総合すると、こうなりませんか。
 「プレイングが上手い人」というのは、「判断を間違えないことで乱数をごまかせる範囲が広い人」のことをいうのではないか。
 つまり、カードゲームにおけるプレイングの影響、判断の影響の大きさというのは、「乱数の影響をどのくらいごまかせるか」の話だ。
 これが私の主張になってきます。

 つまりですね。
 結果的に「理論上誰がなにをどうしようもない乱数の下振れ」をプレイングでどうにかできるか、そもそもそういったことが起きるうるのかでプレイングの影響の大小を論じるのはおかしい。
 そうではなく、プレイングの影響の大小は、「乱数の影響をどうにかできる範囲が判断能力次第で大きくなったり小さくなったりするか」で論じる必要があるのではないでしょうか。
 どうにもできない事象がくさるほど起きるとして、それはもうプレイングの影響うんぬんというか、ルールやシステムがマトモかというだけの話ですよね。
 ということなのです。

〇つまり「プレイングが上手い」ことによる影響は、「1戦の勝敗の結果」に出るのではなく、「勝率」に大きくあらわれるものだ

 つまり、プレイングの影響の大小を論じる際には、とある1戦の試合の勝敗にどれだけプレイングの上手さが直結したか、といった視点ではなく、プレイングが上手なことでどれだけその人の勝率が上がったか、ということで論じる必要があるのです。

 というのも、「乱数の下振れを判断でごまかせる範囲が広い人」というのは、いうなれば「『どうにもできない試合に負ける原因』が起きることが少ない人」ということですよね。そしてそれが少なければ少ないほど負けにくい人となるのは御理解いただけると思います。つまり、勝率が高くなるということです。
 
 カードゲームというモノはそのシステムから、どうにもできない乱数の下振れが起こることは排除できません。それはルールがそうなっているからです。だから、今目の前のこの1戦に負けない人が強い人ではなく、敗北率が低い、つまり勝率が高い人が強い人なのです。上手い人というのは判断でごまかせる範囲が広いために乱数の影響を受けにくくできるので、そういった致命的な乱数の下振れを引く機会が少なくなるからです。
 だから、1戦の試合結果にどれだけプレイングが影響するかという視点を「カードゲーム」という性質のものに対して持ち込んで論じようという時点でそもそも前提がズレているんです。乱数が基本的に絡まないものに対して行うのであれば理解できます。同意もします。でもカードゲームは違います。

〇「プレイングができていることが前提」論ではそもそも実態は見えにくい

 さて、ここまでの話は、いわゆる一つ目の理由として挙げた部分、認識がズレているんじゃないのか、に関連した話でした。
 ここからは、ここまでの話の要素をもとに、「プレイングができているのは前提」方向の論について触れていきたいと思います。

 例えばなのですが、AさんとBさんがともに「プレイングが十分以上すぎるほど上手い人」だとします。要するに「プレイングができている前提をクリアしている」2人ということです。
 上記2つめの理由、「プレイングができているのが前提」論でいえば、この2人が勝負した時の結果に対してプレイングが与えている影響は少ないということになります。

 そもそも、カードゲームの対戦において、実際に発生する「判定の結果」は、全ての可能性のなかから一部が抽出されたものであるはずです。この例でいえば、AさんとBさんでは「判断でごまかせる範囲」の広さは十分以上かもしれませんが、人間である以上、この2人の「範囲」がまるきりかぶっているということは、現実的にはあり得ません。AさんはごまかせてもBさんがごまかせない、あるいはその逆といったことは絶対に起こります。

 つまり、仮に実力が同程度、つまりはごまかせる範囲の広さが同程度の人同士の試合中、その範囲の違いが影響する部分が判定として出なかったのであれば、確かにプレイング技術の影響は表面には現れないでしょう。でも判定として発生した場合、表面に現れます。
 こういうことにならないためには、AさんとBさんの2人が、「判断が100%全事象において間違えない」水準である必要が出てきます。

 さて、では改めて疑問です。
 そんな全知全能神が2人で対戦するようなこと、現実にありえるんですか?

 いえ、揚げ足取りをしたいんじゃないんです。
 でも現実的に、「プレイングができていることが前提」論にとっても、そこまでのハイレベルを想定して言っているわけではないでしょう?あくまで「プレイングが十分以上すぎるほど上手い場合」レベルですよね?
 そして、そのレベル想定で、「判断でごまかせる範囲」自体がイコールになるのは現実的にありえないでしょ?その差がプレイングの影響が出る範囲なんだよ、その違いが現実に勝敗に影響しうるんだから、ということで。
 確かに1試合が終わって、確定した判定の事実として、内容を振り返ってみれば表面上プレイングの影響が出ない試合があっても勿論おかしくはないが、あくまで事象が確定した上で言っている結果論としてであって、プレイングが勝敗に影響が大きい小さいかをそこから考えるのはちょっと乱暴すぎやしませんか。

〇自分がしていたカードゲームでも、十分以上のレベルの人同士で比べても、明らかに判断でごまかせる範囲に差はあった

 カードゲームにおいてよくあることとして、「デッキ相性を論じる場合に上手い人同士でも食い違う」ということがあるのは、カードゲームを楽しんでいる方であれば理解していただけるところだと思います。

 私が過去に書いた記事でもそのあたりを題材に扱っています。
 環境メタ読みに必要な情報取得について|へる (note.com)

 ではなぜそれが発生するか。詳しいことは上記記事をお読みいただくとして、ありていにいえば練度が高い範囲に人間としてムラができるからです。
 つまりそれは、先ほどまでの話でいえば、判断でごまかせる範囲が異なるということです。

 そしてそれはいわゆるトップクラスのプレイヤーどうしでも同じです。
 証明?デッキを個人がルールを守れば好きに作れるカードゲームにおいてごまかせる範囲が同じになることは性質上絶対にありえないし、それは現実に起こっているからです。
 具体的に言えば「誰かが数人で開発したデッキは他の人は絶対に知らない」、「知らないデッキに対してごまかせる範囲が知っている人と同じになることはありえない」からです。それは、例えばなぜか公式HPに開催記録が残っていない公式大会(涙)であったり、リセというゲームでいえば名人戦という大会の場であっても、現実に起こっていたことでしょう?と、多分私が言っても怒られはしないと思っています(わからない方には申し訳ございません)

 なので、仮に机上の話として取り扱うとしても、神様同士の戦いではなく人間同士の戦いを想定するのであれば、そういったごまかせる範囲の差は絶対にあるし、その差が勝敗に影響しているならプレイングの差が出ていることになるし、現実の存在という意味でもそれが実際に出てくる事案は相応数ある以上影響が少ないとはさすがに言えないんじゃないの?
 ということになるんです。

 もし。
 カードゲームといっても、あまりにも壊れた環境で、全てのプレイヤーのデッキがただの1枚も違わないとかになってきたら、確かにここまでの話にはできないかもしれません。
 でも、そうなったらもうそれカードゲームとして破綻しているので、それを引き合いに出されてカードゲームにおけるプレイングの影響を論じても、それはそれで歪んだ話になっていると思うので、そういうことがあるならぜひ「カードゲームにおいて」というより「〇〇というカードゲームにおいて」という話で述べていただいた方が筋が通ると思います。

〇この話はカードゲームに限った話ではない

 さて、ようやっとカードゲームから離れた話なのですが。
 ここまでの話、カードゲームに限りませんよね。
 要するに、「乱数が絡む、プレイングというのは判断のことだ、という性質の対戦遊戯」全般において、その程度に勿論差はあるでしょうが、あてはまると思っています。

 それこそポケモンでいえば?
 ボタンをどういった方法で押すかとかは試合内容に影響しないので、これも「なにをするか」という判断の部分がプレイングにあたるところですよね。
 同じように上手い人でも、知っているパーティー等がまるっきり同じってことはないですよね。それこそ新しいパーティーを作ることの影響が出るのも同じですよね。だから判断を正しくできる範囲も違いますよね。プレイングが影響する範囲は明らかに差がでます。
 でもどんなに正しい判断ができていても、一発氷とかの乱数で負けることもありますよね。とはいえ勝率という視点で考えてみれば、明らかにプレイングの影響が表れてきますよね。そして結果という意味では、私の別記事のように、たとえ数%の違いであってもランクマッチの場では成果には明確な数字差として出るという話もあったと思います。

 くどいですが、勿論程度に差は出るものの、この考え方自体はカードゲームに限らない範囲として論じられるものではないでしょうか。
 だから私は主張するわけです。
 ポケモンでちゃんと勝っていくにはほんの少しの差であっても、プレイングをしっかりする必要があるよ、と。影響が実際にいくらでも出るので。

〇まとめ?

 本来であれば、最後にまるっときれいに丸めて終わるのが記事の形として正しいし、お読みいただける方がいらっしゃればそれが望ましいことは承知しています。だから普段はなるべくそうやって私も記事を書いています。

 ただ、今回はあえてそうしません。
 なぜなら、私がここで本当の意味で主張したかったのは、本質的には「カードゲームにプレイングの影響が少ないことはあり得ない」という主張自体ではなく、長々と書いた「経緯の部分の全て」であるからです。
 まるっとまとめたら端折られてしまうあたり。そこが今回私が記事にしたかった部分だからです。

 なので、こんなに長い上読みづらいことになってしまうだろうことを承知したうえで、このまま終わろうと思います。

 少しでもどなたかの参考になれば幸いです。

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