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私は、ベトナムで生きてくことを選んだ。20代の選択。

いつもありがとうございます❣️

今回は、約12年前の話になります。
ブログに沿った写真データは残念ながら見つけ出せなかったのですが・・・。
是非最後まで読んでもらえると嬉しいです。


雨の日の動画を見ながら

梅雨明けってそろそろじゃない?

と思い、ぐぐりました。

列島(九州〜関東)
の梅雨明け平均日は7月20日ごろ・・・

えー!まだ1ヶ月あった・・・🙄

梅雨は6月で終わるだろうと勝手に思っていたので

勝手に落胆してしまったKANAです。

お陰様で、

昔住んでいたタイ🇹🇭のタオ島の話で涼む日が増えております。

タオ島は2人が出会った島で、
2人の人生が始まった島。

要するに我々のルーツの場所の1つであります。


近いうちに必ず訪れる場所になると思いますし

Youtubeで流れた時に一緒に盛り上ってもらえたら嬉しいので

今日は

我々を魅了してやまないタオ島・・・・
(もはやトラウマレベルで最高な島です)

の前に、

プロローグ・・・

「今のライフスタイルはここから始まった。
”ベトナムで就職し、現地駐在員として働くことになった話”」です。


「旅が暮らしで仕事」

これはベトナム就職から始まりました。


間違いなく人生のターニングポイントでした。

RYOと出会う前の話です。

ベトナムでの暮らしががなかったら

タオ島へ行ってなかったので

出会ってなかったです。

どんな道に進むか?

可能性がいくつもあった20代の、自分の「選択」を振り返ります。

大学卒業して上京したら、やりたかったことに興味がなくなってしまった。



私は、大学(表現コース身体専攻・アート系の学科です)を卒業後、上京した。

東京では、バイトをしながらアート活動するのが容易だった。

探せばすぐに見つかる。アートイベントは何かしら催されてる。
パーフォーマーとして参加するのも、
観客として触れるのも
びっくりするくらい簡単だった。

だから
平日はバイトしながら
週末などはアートイベントに参加したりしていた。

それはそれは面白かった。

でもアートで食べていくには、検討はつかなかったから。
生きていくために毎日労働(バイト)をした。



アートや遊びのために1週間のうち大半の時間をバイトに費やす。


東京(関東)では何に対しても情報が多くスピードが速い。
お金もそこそこあれば、暮らしも遊びも申し分ない。

時給も高く、バイトでも十分稼げる

そんな環境で暮らすにあたり

アートへの情熱は日に日に薄れていき

平日の大半の時間をバイトに費やす生活に悶々とし始める。

何のために上京したのか?わからなくなった。

何かの答えを探すかのように、求人情報を眺めるのが癖になっていた。


「ツアーコンダクター(添乗員)募集」の文字を発見する。

しかも、資格をとるための研修付き。


昔から変わらず好きなこととは・・・旅だった。

すぐに応募した。



ツアーコンダクターKANA始動!「旅を仕事」はここから始まった。


大好きな旅が仕事になりお給料もいただけるのね😍

・・・夢みたいだった。


エコールインターナショナルにて研修を受けた。

めちゃくちゃわかりやすいカリキュラムだった。
資格取得のための座学〜実技研修を経て

旅程管理主任者(ツアーコンダクター・通称ツアコン)の資格を無事取得。



資格を取ったら、すぐにドキドキのツアーデビュー。

そして夢のツアコンライフが始まる。

と思っていたけど
実際はそんなに甘くはない。


ツアーが円滑に安全に進むためにコーディネートするのがツアコンなのだけど。

下調べをしておけば全てうまくいくわけでもない。

それは当たり前だよね。

舞台は、常に動きがあり変化し続ける「生きた場所」なのだから。




・集合場所の確認、許可、席順、
・高速道路状況、
・休憩場所の情報(トイレやゴミの情報)

・ご飯
(席の確認やアレンジ、ご飯の内容確認、アレルギー対応、最終確認)

・観光地の情報(その周辺の情報)
・渋滞や混雑状況などに柔軟に対応しながらツアーを組み立てる。

・ツアーでうたってる内容を確実に実行。

・宿泊先の確認、お部屋、お風呂、アメニティ、ご飯、

・問題対応

・お客様とのコミュニケーション
・現地で迎えてくれる人とのコミュニケーション
・バスの運転手さんとのコミュニケーション

・雰囲気を見ながら柔軟に対応、行動。



(旅行業界から離れて10年ほど経つけど、
少しは覚えているもんだ・・・。)


事前準備・事前学習の多さに睡眠時間はほぼ無し。

忙しさに驚きながらも

とにかく人に恵まれ
学びの多い添乗員生活は

本当に有意義だった。

特に、好きだったツアーは
「富士山の周辺を1年かけて歩くツアー」

関東発で富士山周辺までバスで向かう。
月ごとに決められたコースを歩き
「1年で富士山周辺を1周制覇するツアー」だ。

今もあるのかな?

月ごとに顔を変える富士山を見ながら歩くのは
とても気持ちよかった。

その後、
東北大震災でツアーが一切なくなるまでツアコン生活は続いた。

地震で生活は一変。
ツアーがないものだから仕事ももちろんない。


その時ツアコン業界に

海外の旅行会社への求人が出回った。


ツアコンとして海外添乗は目指していたので
形は違えど、チャンスが巡ってきた。

すぐに手をあげた。


ベトナムで働く切符をつかんだ生意気娘


求人が出たのは

ベトナム・タイ・カンボジア・ミャンマーなど
主に東南アジアでのツアーオペレートを担う会社だった。



社長と面接。

「仕事は英語だけど、できる?」

・・・

「はい!学校で習った程の実力ですが、いけると思います!」

・・・

社会人らしからぬ
トンチンカンな答えをしてしまったのだろうか。

社長は大爆笑した。

今思えば、なかなかなめた発言だったと思う・・・。

ちなみに、英語スキルは・・・
英検準2級。
高校の時は英語のディベート大会には出場してたくらい。

なんとも微妙なラインなのは、自分でもわかってた。

というか、ビジネス英語って何?状態。

社会人も初心者なんだから、やってみなきゃわからないでしょ。

切符さえ掴めばあとは自分の努力次第でなんとかして見せる!


あの時の自分は、根拠のない自身で溢れていた。


「面白いね〜。じゃぁよろしくね。
配属先は、ベトナム、タイ、カンボジアがあるんだけど
採用した人の雰囲気とか見ながら配属先決めるからね〜」

第一関門突破だ。


この求人には、
数十名が手をあげたらしいけど

実際に現地で働くことになったのは

私だけになったようだ。


面接を受けていた他の人に理由を聞いてみた。

「よくあの条件で行こうと決めたね。」

と言われた。

当時の東南アジアは、
まだまだ生活水準は低かったし、治安も悪かった。(イメージ)

給料は、ある程度現地水準になるから
日本の時より確実に下がる。

生活環境も過酷になる。

いくら好きな旅行業界でも、
東南アジアでの仕事は
気軽に働ける環境ではなかったようだ。


配属先はベトナムに決定した。

「ベトナムは手強いからさ〜
スタッフが定着しないんだよね〜でもまぁがんばってね。」

社長は、ニンマリしながら言った。

これが海外生活の始まりとなった。


続く。


ご愛読ありがとうございます。🥰

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