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オリーブの本当の価値を巡る旅⑤ / なぜ科学研究の土台に歴史研究が必要なのか(前編)

創業73年オリーブの専門家集団「日本オリーブ株式会社」の5代目 代表取締役社長を務めています、服部芳郎です。

前回記事で、
『人間以外の動物すら、皮膚を自然のままにしておくのではなく、自然物でケアすることを本能から行っている』
かつ
『普通に生活しているだけで皮膚が毀損していく環境が揃ってしまっている現代は、過去のいかなるときよりも皮膚をケア、メンテナンスすべき時代』
であること、だからこそ
第三の脳である皮膚はありのままではなく、正統な方法でメンテナンスすることが必須
というお話をしました。

それでは、その皮膚をメンテナンスする『正統な方法』とは何でしょうか?

今回と次回の2回を使って、その『正統な方法』を捉える上で、大切な考え方になる『歴史と科学研究に対する考え方』について書きたいと思います。

(1) 選択肢があふれている現代

皮膚のメンテナンスについて、Googleで検索しても、SNSを見ても、実店舗に行っても、たくさんの方法・商品があることにまずは圧倒されます。

これらのどれもが"この方法が良いですよ!""この商品を選びましょう!"と訴えかけてくるのですが、特によくあるのが
 ・ 医師と開発しました
 ・ 新しい成分を配合しました
 ・ 特許をとった製法です
などの『最先端科学に基づく商品』であり、『だから大丈夫 / 効果がある』ことを主張する文句です。

"医師が監修した"ことをお墨付きにする、いわゆる「ドクターズコスメ」は上記のわかりやすい例。しかし、日常生活においてすら「ここの医者は信用できる」「ここの病院はもう行かない」など"ドクターが絶対の権威者ではない"ことを判断していながら、こと商品の訴求になると『医者が監修しているから安心』がまかり通るのは不可解なことではないだろうか。

これらの文句は一見正しそうに見えるのですが、私はこれのみによってその手法・商品を信じることには疑問を感じます。
否、率直に言うと
『歴史・文化に立脚しない最新科学を手放しで信じることは、オカルトを信じているのと変わらない』
とさえ考えています。

(2) 危険視すべきは、歴史・文化に立脚しない科学を手放しで信じること

このように主張すると、
「科学研究を否定するのか!」と言われる方がいます。
そうではありません。
それどころか、我が社も、社長である私自身も、アンチ科学どころか完全な「科学畑」出身です。

弊社 日本オリーブ株式会社は創業以来
『自然を尊び 科学を重んず』を社是に、
常に社員の1割以上を研究開発に投入しながら経営を行ってきました。
更には地元国立大学との産学官連携研究を長きにわたり行うなど、中小企業でありながら商品開発だけでなく基礎研究にまで投資をしています。

そして社長である私は、弊社に入る前は大阪大学で物理学修士を修め、
その後はソニーでエンジニアとして勤務、
更にソニー社内の物性物理学講座で講師→塾長を務めるなど、
一貫して研究開発者の道を歩んできました。

いわば一般以上に科学研究を重視している会社を経営し、物理科学に完全に漬かってきた私が主張しているのは
『科学研究そのものに対する否定』ではなく
『歴史・文化に立脚しない最新科学を盲信する行為の否定』
なのです。

その違いを明らかにするには、"科学"とは何か?
を考えなくてはいけません。

(3) そもそも科学とは何か?

そもそも"科学"とは何でしょうか?
近年では「科学的」という言葉がある種魔力を持っているとさえ言えます。
"科学的に正しい"と言えば、普遍真理かのように思われることさえあります。
しかしそれは文字通り錯覚です。

"科学"という言葉の定義をネットの辞書で引いてみます

(Weblio辞書)
一定の目的・方法のもとに種々の事象を研究する認識活動。 また、その成果としての体系的知識

ここに「一定の方法」という言葉があります。
"最先端科学"と市場で銘打たれたものはほぼ全て『帰納的なアプローチ』によるものです。

帰納的、とは"複数の事実や事例から導き出される共通点をまとめ、共通点から結論を導き出す"方法のことです。
このカラスは黒い、あのカラスも黒い、、、ゆえにすべてのカラスは黒いと考えられる、が一例です(正確には、これは帰納法の中の枚挙法に分類されますが、詳しい解説は他に譲ります)

つまり、「科学的に正しい」とは
『現時点で観測してきた事例から導かれる、最も確からしい推論』に則ると正しい、
と言い換えることもできます。
そして、これは先の例を引くと「白いカラスが見つかった時点で成り立たなくなる」ことでもわかるように、『将来的に反証可能な宿命を持っている』のです。

200年以上も物体の運動についての絶対的な物理理論として君臨したニュートン力学さえも、原子レベルのミクロなスケールや光速に近づく速さを扱う場合は成り立たないことが証明され、アインシュタインの相対性理論、量子力学などにより補完、上書きされてきた。科学的な理論に則っている、ということと、未来永劫普遍の真理であることはイコールではないのである。

(4) "科学的に正しい"とされたことが覆された例

カラスの例を出すまでもなく、この「推論が反証された」例は日常のいたるところにあります。

例えば、大手企業が鳴り物入りで
"最先端科学によって生み出された新成分配合!"
と発売した製品が市場で不具合を起こし、回収された例
は皆さまにも思い浮かぶのではないでしょうか。

思い返せば、私が子供の頃は、マーガリンをよく食べていました。
バターよりマーガリンの方が良く食べられていたといってもいいかもしれません。
しかし今は全く逆で、マーガリンは食べてはいけない代表のように言われています(リノール酸、トランス脂肪酸に対する警鐘)

諸悪の根源のように語る風潮まであるマーガリン。他にも食品で、一時期もてはやされて、その後「実は食べてはいけない」とされたものは数多くある。しかし、こと食品や化粧品といった身体に多大な影響を与える製品がそれで良いのだろうか?

つまり
『科学的に正しいことは将来も永久に正しい』
ことを意味せず、むしろ
『過去に、科学的に正しいとされたことが、全く真逆の扱いを受けるようになることは日常茶飯事』
ということがわかると思います。

これが私が
『最新科学を手放しで信じることは、オカルトを信じているのと変わらない』
という理由なのです。

(5) それでは何を信じれば良いのか?

ここまでで、
現在一般的に使われる「科学的」という意味は
『現時点で観測してきた事例から導かれる、最も確からしい推論』
であるにすぎず、
『過去に、科学的に正しいとされたことが、全く真逆の扱いを受けるようになることは日常茶飯事である』
それが故に
『最新科学を手放しで信じることは、オカルトを信じているのと変わらない』
というお話をしてきました。

ここで疑問が出てくるのは
「この科学文明の世の中で、科学を手放しで信じるななんて言われたら何を信じればいいの?」
ということだと思います。
その答えは『歴史・文化に立脚する』ということにつきるのですが、このことについては次回書いていきたいと思います。


↑ "オリーブの本当の価値を巡る旅"についての次記事はこちらです!

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