趙紫陽

胡耀邦 辞職から逝去まで 1987-89

胡耀邦(フー・ヤオバン 1915-1989)は総書記を辞職してから(1987年1月16日)亡くなるまで(1989年4月15日)わずか2年あまり。逝去はあまりにも突然だった。ただ彼は繰り返しての入院歴があり、身体は決して丈夫ではなかったことも事実である。その死を悼む群衆の動きが六四事件につながったことは歴史的な事実だ。その遺灰は1年半余りの時を経て江西省徳安県共青城の山中に葬られたとされる(1990

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胡耀邦 改革への反発から辞職 1983-87

滿妹《回憶父親胡耀邦》天地圖書2016年,731-769

 胡耀邦(フー・ヤオバン 1915-1989)は1983年1月の全国思想工作会議において、全面改革を訴えた。つまり経済改革だけでなく、政治改革に踏み込もうとした。
 しかし実際にすすめようとすると反発が生まれた。1983年2月、広東深圳を視察した時、幹部の選抜管理方法として、選挙方式に支持を表明した。沿海部の都市、汕頭、厦門などでは実施さ

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胡耀邦 経済論争 1979-83

胡耀邦(フー・ヤオバン 1915-1989)が1987年に総書記を引退する経緯について7項目にわけて、胡耀邦の娘の滿妹がまとめている。そのうち経済に関係する最初の2項目の概略を述べる。なかなか興味深い。滿妹《回憶父親胡耀邦》天地図書有限公司2016年  pp.720-731

1.生産目的をめぐる論争
 もともとは宣伝部長として中央指導部の講話を用意する際に生じた問題で(1979年5月から10月)

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趙紫陽の社会主義初級段階論 1987

胡平《關於趙紫陽若干問題的解讀》在《趙紫陽的道路》晨鍾書局2011年pp.217-233  この胡平の一文は、あくまで参考として読み始めた。ここでは趙紫陽が1987年の十三大で提起した社会主義初級段階といういい方の巧妙さを論じた部分を訳出する。胡平(1947-)は1979年の民主の壁運動で名を成した人物。以下の文章もなかなか文章を書きなれた印象を受ける。

p.222    2.「社会主義初級段階

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趙紫陽と顧准、李慎之、杜潤生

陳子明《顾准,李慎之對趙紫陽的思想影響》在《趙紫陽的道路》晨鍾書局2011年,pp.203-215 (この文章は表題から、顧准と趙紫陽(チャオ・ツーヤン 1917-2005)との関係が語られているのではないかと注目した。読んでみた結果は、まず語られている認識は、私がもともと趙紫陽を読んで感じていたことと変わらない。ポイントは、顧准を読んでから趙紫陽の認識には大きな変化があるということ。私自身も感じ

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趙紫陽と陳独秀

丁東《作爲思想家的趙紫陽》在《趙紫陽的道路》晨鍾書局2011年,189-202
(この文は期待して読んでみたが、記述は浅くそれほど感心できなかった。頭の部分と、趙紫陽と陳独秀との晩年において議会制民主主義にあるべき方向を見つけたという結論は納得できるので、そのことだけを記録する。)

 趙紫陽(1917-2005)の人生の最後の15年は軟禁のなかにあった。法律は趙紫陽の公民権利をはく奪していないが

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趙紫陽 民主政治は必ず始まる  1993

宗鳳鳴《趙紫陽軟禁中的談話》開放出版社,2007年,120-121

1993年12月14日    趙紫陽は考える。「中国で過去、マルクスレーニン主義を導入(引進)したのは必ずしも社会主義を実現するためではない。「中華復興」「国家民族の危機を救う(救亡圖存)」のためだった。のちにソ連のこの高度集中体制を導入したのは、まず重工業の発展に力を集中し、軍事工業をおこすためで、富国強民のためであり、社会主

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趙紫陽  資本主義過程の必要性  1993

宗鳳鳴《趙紫陽軟禁中的談話》開放出版社,2007年,86-87

  1993年4月28日 趙紫陽は言う。「国有企業の改造について、公有制を主体の株式制から摘み取ることは解決できない問題だ。というのもすべて公有制で、過去も大差ないからだ。自分で損益を負わせるだけでは解決にならず、国有企業の経営メカニズムの転換も同様に解決に役立たなかった。これはかならず所有制問題の解決を必要としていた。彼は国有民営

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趙紫陽 資本主義を発展させよ  1993

宗鳳鳴《趙紫陽軟禁中的談話》開放出版社,2007年,104-106

1993年7月1日   趙紫陽は言った。「社会主義の現行制度と社会主義道路(社会主義への歩み方の意味か)との間には、区別(区分)があっていい。過去には先験的公式が作ったミイラ化した制度によったのであり、とくに公有制だが、実行したところは、公有化の程度が生産力の水準を超えており、生産力は極大まで破壊されることになり、貧困が作り出さ

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趙紫陽 マルクスの限界 1993/04

宗鳳鳴《趙紫陽軟禁中的談話》開放出版社,2007年,85
1993年4月3日 趙紫陽は言う。「マルクスは19世紀に生活して、資本主義生産の社会化と私有制(私人佔)とを資本主義社会の基本矛盾だと認識して、資本主義の発展とともに(社会の)両極分化が激しくなり資本主義の晩鐘が鳴らされるとした。しかし20世紀の事実は、資本主義社会では物質製品の欠乏は全く生じないどころか、物質製品は極端に豊富だったこと。ま

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