恂道

漢籍にこそ経済と内部統制の要諦が潜む、と確信する早期退職オヤジでござる。

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漢籍にこそ経済と内部統制の要諦が潜む、と確信する早期退職オヤジでござる。

最近の記事

《当代中国財政 上・下》(6)

前回 《当代中国財政》は上巻約450ページ、下巻約550ページ。日本で言えば“普及版”の装丁であるが、厚めのソフトカバーでカラー写真もふんだんに入っており、1988年当時の中華人民共和国で刊行される書籍としては“豪華版”である。 カラー写真の中に、李先念と薄一波の揮毫(題詞)があった。 『財政工作要為経済発展服務』李先念1986.9.12. 『財政是経済的綜合表現在改革中要充実発揮宏観控制的作用』1986.9.18. 最初の写真は、1963年に毛沢東・劉少奇・周恩来・

    • 《当代中国財政 上・下》(5)

      前回 《当代中国財政》編輯委員会の筆頭に【顧問】として以下2名の名がある。 呉波(1906-2005) 第4代財政部長(1978-1980)で、序言を書いた王丙乾の前任者である。 戎子和(1906 - 1999) 1950年代に財政部代理部長や中央財政金融学院院長を歴任し、文革後に財政部顧問。 【主編】の陳如龍(1918 - 1991)は、この時期の財政部副部長であった模様。 【副主編】2名はネットで拾える情報が少ない。 左春台(1920 - 1990) は、逝去

      • 《当代中国財政 上・下》(4)

        前回 《当代中国財政》の序言は以下から始まる。原文を書き写す。            坚持改革,精心理财 我国的财政,在新中国成立以来的三十年多年中,经历了很难曲折的发展道路。在马克思列宁主义、毛泽东思想的指导下,在周恩来、邓小平、陈云、李先念、薄一波等老一辈无产阶级革命家的领导和直接主持下,克服了国家财政工作中的无数困难,取得了巨大的成就。一个同我国的社会主义政治经济制度基本相适应的社会主义财政已经初步建立起来,并在各个历史阶段中发挥了重要作用,积累了丰富的经验。《当代

        • 《当代中国財政 上・下》(3)

          前回 下記サイトの一覧表が正しいと仮定して、《当代中国叢書》の全容を整理してみた。 https://www.douban.com/note/553091803/ 全巻153巻(タイトル)で、驚くべきことに2000年以降も3巻刊行されている。 2001年:当代中国的信用合作事業 2002年:当代中国的農業合作制 2008年:当代中国的海洋石油工業 153巻のうち省市別は重慶市分離前の1989年から1994年までに刊行されており、合計31巻。もちろん台湾、香港、澳門は含ま

        《当代中国財政 上・下》(6)

          《当代中国財政 上・下》(2)

          前回 《当代中国叢書》編輯委員会【主編】3名に続き19名の【編委】(編集委員)の名が並んでいる。いずれも百度百科で長文の解説が掲載されているような人物である。そして長寿である。 また、胡喬木の影響がはっきりと見て取れる点が興味深い。 丁偉志(1931 - ) 歴史・哲学・政治思想史研究者 1973年、中国科学院近代史研究所にて《中国通史》編纂に従事。1975年より《歴史研究》副主編・《中国社会科学》総編集・中国社会科学出版社総編集・中国社会科学院副院長・中国史学会副会長

          《当代中国財政 上・下》(2)

          《当代中国財政 上・下》(1)

          《当代中国財政 上・下》(中国社会科学出版社 1988年)は、200巻にも及ぶ《当代中国叢書》(叢書=丛书)の中の一編である。「哈南岗书店」というゴム印が押されているので、1988年か90年にハルビンの友人を訪れた際に購入したのであろう。当時、どの書店にも緑色の《当代中国叢書》がずらりと並んでいたことを記憶している。 《当代中国叢書》に関する百度百科の記述は以下にとどまる。 分门别类论述中华人民共和国建设发展的历史过程和经验的书籍。全书约200卷。 《当代中国》丛书的军事

          《当代中国財政 上・下》(1)

          《萬柳堂即席》-趙孟頫- (6・最終回)

          前回 清代の顧嗣立が編纂した《元詩選》には、趙孟頫の人物紹介とともに約200首が掲載されているにも拘らず、《萬柳堂即席》は掲載されていない。宴席での《即席》であることが理由なのだろうか? ところで、《中国の名詩鑑賞9(元・明)》(福本雅一 明治書院 1976)に、趙孟頫が元朝に出仕したことを恥じる詩が紹介されている。 《罪出》 在山為遠志 出山為小草 古語已云然 見事苦不早 平生独往願 丘壑寄懐抱 図書時自娯 野性期自保 誰令堕塵網 宛転受纏繞 昔為水上鷗 今如籠中鳥

          《萬柳堂即席》-趙孟頫- (6・最終回)

          《萬柳堂即席》-趙孟頫- (5)

          前回 《大明一統志》にも言及あった《輟耕録》にも《萬柳堂即席》の引用がある。 《輟耕録》についてWIKIPEDIAの記述を以下の通りである。 《輟耕録》(てっこうろく)は、元末の1366年に書かれた陶宗儀の随筆。30巻。正式な題名は《南村輟耕録》(なんそんてっこうろく)という(南村は陶宗儀の号)。主に元の時代のさまざまな事柄を詳しく記している。 至正丙午(1366年)に孫作によって書かれた《輟耕録》序によると、作者の陶宗儀は元末の戦乱を避けて松南に隠棲し、農耕の手を休

          《萬柳堂即席》-趙孟頫- (5)

          《萬柳堂即席》-趙孟頫- (4)

          前回 《萬柳堂即席》の詩は、1461年に完成した明の勅撰の地理書である《大明一統志》に引用されている。 引用箇所は、京師すなわち現在の北京を解説する部分で、名勝を挙げたなかの萬柳堂の項目である。 幸いにも和刻本があるので、詩の読み下しの点検も可能だ。 (《和刻本大明一統志》長澤規矩也、 山根幸夫編 汲古書院 1978) 府の南に在り。元の廉希憲が別墅。 輟耕録に。 堂 池に臨む。數畆 池中 蓮多し。 池を繞(めぐり)て柳數百株を植ゆ。 每夏 柳陰 蓮香 風景 愛す可し

          《萬柳堂即席》-趙孟頫- (4)

          《萬柳堂即席》-趙孟頫- (3)

          前回 朱熹や門人など宋代の知識人や政治家の経歴および著作を確認する為に使用する工具書が《宋人傳記》であるが、ここに趙孟頫の掲載はない。 しかし《元人傳記》には掲載されていた。 趙孟頫(1254-1322) 子昂と字す。松雪道人と號す。湖州人。宋宗室。 性は通敏なるも、未だ国子監に試中するを冠たらず、仕ふるに及ばずして宋亡ぶ。 至元二十三年(1286)徴され入朝し、兵部郎中を授く。集賢直学士に遷り、出でて済南路同知と爲す。 成宗立ち、召され《世祖実録》及び《金書蔵経》を修

          《萬柳堂即席》-趙孟頫- (3)

          《萬柳堂即席》-趙孟頫- (2)

          前回 趙匡胤による宋の建国は960年とされる。 その後、10世紀末には西方の遼、11世紀前半には同じく西方の西夏、そして12世紀前半には満州の金から圧迫を受けて、これら3勢力に金品を贈答することで征服を免れる状況となったが、1126年には金により華北を奪われ江南に逃れ南宋となった。 その3勢力も13世紀前半にはモンゴル族により征服され(元の建国:1271年。首都:北京(大都))、南宋は1279年に滅ぼされた。 これが、中学高校の世界史で教えられる大まかな変遷である。

          《萬柳堂即席》-趙孟頫- (2)

          《萬柳堂即席》-趙孟頫- (1)

          畏敬する友人から漢文の解読を依頼された。 約10年前に、欧州を基盤とする国際的な企業協力組織の役員として、北京での会合に出席した際に、会場であった釣魚台賓館の宴会場に掲げられていた額だという。 当時は中欧蜜月時代。外国人・・・とくに欧米系の“無知な”外国人をたらしこむために人民大会堂や釣魚台賓館を使って「国賓級の待遇」だと持ち上げるのは、中方の常套手段だ。 さて、額は幸いにも楷書で書かれており、文字数は56。七言詩の八句構成だ。 萬柳堂前數畝池 平舗雲錦蓋漣漪 主人自

          《萬柳堂即席》-趙孟頫- (1)

          30年を経て『河殤』を振り返る(12 最終回)

          前回 ③「重评《河殇》」は、付録二《河殇》论争情况综述(《河殤》に係る論争の内容を総合的に述べる)で締めくくられている。 執筆者は、肖栩(肅栩)となっている。百度検索したが、どのような人物であるのか探し当てられない。 本文试图将具有代表性的论点及其主要的逻辑线索,作一大致的综述和勾勒。为方便起见,我们按时间的先后来进行介绍。 “論争における代表的な論点およびその中核的な論理により、時系列的に総合的に述べる” とあるが、実態は《河殤》を徹底的に否定する意見の紹介である。

          30年を経て『河殤』を振り返る(12 最終回)

          30年を経て『河殤』を振り返る(11)

          前回 ③「重评《河殇》」の主たる内容である5編の論稿は、当時の浙江省における相応の知識人、とりわけ中国共産党王朝の経典に関わる人材が執筆していた模様である。 このあと、付録一、二として以下2つの資料が続いている。 付録一《河殇》解说词评注 付録二《河殇》论争情况综述 付録一は、実に興味深い内容である。 シナリオを全文掲載し、ひと段落ごとに事細かに【評】を書き込んでいるのである。さながら李善注や朱熹注の如くに注釈を施しているのだ。 例えば第1回夢を追う(原題:尋夢

          30年を経て『河殤』を振り返る(11)

          30年を経て『河殤』を振り返る(10)

          前回 江沢民の講話から始まった③「重评《河殇》」は、以下構成となっている。 主たる内容は、以下5編の論稿で、全299ページのうち164ページを占める。 1. 为什么要重评《河殇》 なぜ改めて『河殤』を論評するのか 2. 怎样评价中国的传统文明 中国の伝統文化をどのように評価するか 3. 如何看待世界文明的发展 世界文明の発展をいかに招き入れるか 4. 《河殇》宣扬了什么样的政治观、历史观 『河殤』はどのような政治観・歴史観を宣揚したのか 5. 重评《河殇》给我们什么

          30年を経て『河殤』を振り返る(10)

          30年を経て『河殤』を振り返る(9)

          前回 ③「重评《河殇》」は、1989年9月27日に挙行された慶祝中華人民共和国成立四十周年大会での江沢民による講話からの抜粋から始まっている。 この講話は以下の10項目から構成されており、抜粋されたのは8項目にあたる《关于社会主义精神文明建设问题》の冒頭と結語の部分である。 (一)关于坚持四项基本原则和坚持改革开放相统一的问题。 (二)关于我国经济发展的战略部署和治理整顿问题。 (三)关于坚持计划经济与市场调节相结合的问题。 (四)关于坚持公有制为主体、发展多种经济成分

          30年を経て『河殤』を振り返る(9)