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《当代中国財政 上・下》(5)

前回


《当代中国財政》編輯委員会の筆頭に【顧問】として以下2名の名がある。

呉波(1906-2005)
第4代財政部長(1978-1980)で、序言を書いた王丙乾の前任者である。

戎子和(1906 - 1999)
1950年代に財政部代理部長や中央財政金融学院院長を歴任し、文革後に財政部顧問。

【主編】の陳如龍(1918 - 1991)は、この時期の財政部副部長であった模様。

【副主編】2名はネットで拾える情報が少ない。

左春台(1920 - 1990) は、逝去時の記事に中国財政学会副会長・財政部綜合計画司顧問・高級経済師と紹介されており、部長の王丙乾の他田紀雲も告別式に訪れたということから相応の重要人物であったはずである。

宋新中は情報を得られなかった。陳如龍もこの両名も、【編集委員】、【編集部】そして【主要選稿者】にも名を連ねていることから、当時の現場実務に従事していた現役であろうと推測される。

【編集委員】18名、【編集部】13名そして【主要選稿者】30名(重複有り)を、『中国情報ハンドブック』(三菱総合研究所 蒼蒼社)の1990年版および1991年版に掲載されている財政部幹部名と突合してみたところ、発見できたのは以下2名のみであった。

朱福林 綜合計画司長 兼 国際債務管理司長
胡志新 条法司長

以上のような確認作業は、正式な業務として行う場合は当然まず『財政年鑑』などの一次資料を見ることとなるであろうが、個人の蔵書ではこれが限界である。『中国情報ハンドブック』1988・1989年版には、財政部幹部名は掲載されていない。

ところで、『中国情報ハンドブック』1989年版で確認すると、《当代中国叢書》編集委員の多くが党幹部であったことに改めて気づかされる。

楊白氷:中央軍事委員会委員
王忍之:中央宣伝部部長
杜潤生:中央農村政策研究室主任
胡縄 :中央党史研究室主任
鄧力群:中央幹部教育工作領導小組組長
朱穆之:中央対外宣伝小組組長

また、《当代中国叢書》編集委員会の住所は、中国社会科学出版社と同じ鼓楼西大街甲158号、宋慶齢旧宅の北側だ。百度地図を見ると、いまも移転していない模様である。

宋慶齢旧宅を訪れたのはもう35年前。その後、仕事で北京には数えきれないほど訪れたが、敢えて再訪することはなかった。寒々とした邸内が今も目に焼き付いている。

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