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他人と入れ替われないからこそ、自分を受け入れる勇気

誰もが魅了される穏やかな話し方

高圧的な相手にこそ穏やかに話す

プラスの誇張は、楽しいことに目を向けるきっかけになる

プラスの誇張vsマイナスの誇張

決断するには選択肢を絞りこむのが策

目的を達成する思考パターン

自分の言葉で創造すること

2年前

あらゆる事を学びに変える魔法の言葉 「これは自分に何を教えてくれているか?」 人間、生きていると 好ましくない事が起こる 嫌な人と出会ったり 逃げ出したくなる状況に直面したり そんな時はこの問いを立てる 人はどんなことからも学べる、成長できる

なぜ“うまくいかない”「結果」が繰り返すのか?

「自問力」

自らの心に火種をおこし続けた果てで死にたい

対話する相手や文脈によって,自分の属性が変わるという体験を楽しむようにしている 何故自分はこのように振舞っているのだろうかともう一人の自分が目に見える部分と内面的な部分を俯瞰している感覚 他者・環境は自分を形成してくれる要素であり鏡でもあると思う,心が赴くままに向き合おう

日常を大切に愛おしく過ごして生きていくって,いい思考と習慣がなくてはできないのだと思う 特に僕は自分に甘すぎるので,いくらでも怠けてしまう いい習慣ができれば,いいリズムと更にいい思考が生まれて,日常も非日常も愛せるようになるのかもしれない 目先の低い欲望を管理できるように

自分の拠り所となる「メンタルアンカー(精神的な錨)」(造語)を納得感がある形で理解できるようになってくると少し嬉しくなってくる 自分が何者か分からないと,鏡にうつる自分の正体が黒い靄がかかったものから少しずつ実態を帯びてきているような感覚 そしてその姿は少しずつ変わる

できることをいくら繰り返し続けてもできないことができるようになることはない 今と異なる自分になりたいならば,当たり前だけれど変化する覚悟とそのための行動が必要だ 成長するためには,時間的・精神的・肉体的負荷(コスト)をかける必要がある 伝導率を上げるためには過程を楽しもう

何気ない会話の目的を考えることが時たまある. 会話の主な目的の一つ,無意識レベルで「整理すること」にあるのだと思う. 分かっていそうで分かっていない自分の思考,話すことで脳内のカオスがどんどんカテゴライズされ整形されていくあの感じ. そういう認識で話し合える関係はきっと素敵だ.

感受性豊かであることほど武器なことはないと思う 一人ひとりの能力は本質的にあまり差異がないということがとある研究で示されているらしい であるならば,後天的に体験して獲得した資質や感受性が個性につながる 言葉や言葉以外による表現,個性の源泉をどのように育むかって大切すぎるな

とにかくやってみる・続けてみる・変えることをためらわない,ということがとても大切であると感じる 人間は徐々に内面世界が変わる どこへ向かっているか分からない時もある,どこかに行きたいと信じたい時もある だから何かになる過程を楽しみ続けたい,道草も大いに楽しみたい

「こうしたい」という宣言と,そのための行動は,必要としている環境を引き寄せてくれる 内からの少しずつだが確実な変化が,自分の目にどのように世界が映っているかを変えてくれる 更なる変化は更なる変化を引き寄せてくれる 本当にこうしたい!というような気持ちがあれば,まずやってみる

仮想現実に関して一つ誤解してはいけないなと思っていることがある 仮想現実は現実世界のあくまで延長線上の関係であるってこと 仮想現実と現実世界における充実感は多少感覚が違うと思うけれど,その個人の内面においてその差がなければないほど本当の幸福感は高まると思う,という作法的なお話

この人のことをもっとよく知りたいという感情が呼び起こされると,すごく幸せな気分になる 何に感謝すべきかって,そう思わせてくれるきっかけをくれたその人本人なのだけれども,その人の今までを取り囲み形成してきた全てだ 自分も感謝し感謝されるような人たちと関われるようになりたい

世界にあるのは事実だけ. 解釈は事実から生まれる. それを知った時に,世界が変わった気がした. 解釈は自分が何で創られているかということを証明する. 世界が自分にとってどのように見えるかということは,自分を解釈することにつながる. どんな世界を見たいか,自分に問いかける.

周りの目ばかりを気にしていた頃に感じていた孤独と,人間関係を更新した後の今現在における孤独の意味が変容した 受動的孤独と能動的孤独(造語)は幸福度に影響の差を与えるんだと思う より幸福になりたいのならば,意味のある孤独を愛でて楽しむくらいが人間的寛容性が高まるのだとふと思った

ストーリーに価値が付く(感じられる)という話をよく聞く 個人的に考えること人間ドラマが好きなのかもしれないとよく考える 自分ではない誰かが圧倒的な到達地点へ進んでいる過程を見たいのかもしれない 見てみたいという好奇心という言葉だけでは説明できない概念が潜んでいそうで面白い

不幸の対極にある概念は何なのか(自分を不幸と思わない) 思うにそれは派手な幸福でなく,慎ましい平均的な普通の生活ではないか(普通の定義とかどの集団における平均かとかは脇に置いておく) 不幸をどのように捉えるかにもよるかも(幸福と同じく,不幸の定義も人によって様々だ)

何かに没頭してその何かを自分のイメージ以上にやりきった. そういう経験を何度もこなしたい. そうした後には,言葉では表すことができないほど,だがまとっている雰囲気で雄弁に語るほど,厚みのある人間になることができているのだと思う. 一つの理想の話だけど,想像は自分を創造する.

昔話をしたがる自分がいなくなったと感じることが最近よくある 物語の出発点は常に過去にある それを履き違えることがなければたまには誰かと話してもいいのだろうけど,どこを見ようとしているのか,それさえ大切にしていれば大丈夫なのだと思う 今何をすべきで・未来で何をしたいか,だけを

時間は有限であることを意識すると,いろいろな行動の密度を上げようと思える 人付き合いを真剣に考えようと思う 無駄な飲み会なんか行っている場合ではないと思うようになる お金を思考停止で貯めるだけでいいのかと考えるようになる 何のために生きるのかを真剣に考えるようになる

同じコミュニティにたまたまいた人たちと数年ぶりに会う場面で,よく感じること 新しい何かに挑戦し続けて価値観を変化させ続けている姿がとても刺激になる 共同体験をしていた頃との印象が変わるわけでもなく,内面のアップデートをし続けることはとてもカッコよく,キラめいて見える

ミニマルな生活を目指している ミニマル思考は,自分にとって不純物が何であるのかを見極める・それを除去する・取り付かないような環境構築をするみたいなサイクルを続けることなのだと思う 人生において本当に何をしたいのか目的・目標があれば,それに照らし合わせて必要・不必要を判断できる

自分を知れば知るほど,他人に興味があるようでそんなに他人に興味がないということを痛感する そんな当たり前のようなことを一昔前の自分であれば,無意識に見て見ぬ振りして言語化することを面倒臭がっていた 人間を,未知なことを,ただ知りたいというだけで,人生の暇をつぶしているのだなぁ

同じような毎日は同じ日々ではない. その日その時で,身体的・肉体的感覚も考え方も細胞も変わっている. 正確に認知できないだけで. 同じような日が続いているということは感覚が濁っている証拠なのかもしれない. 僕たちは毎日新しく生まれ変わっていて,毎日が素敵な可能性に満ち溢れている.

今の自分ではどうしても思いつかない表現や言語の組み合わせ,描きたいことのビジョンなどを目にしては,「悔しい」と感じることがある,何故なのか その時の心理背景は,丁寧に紐解いていきたい 根源的には何かを表現したくてでもできなくて嫉妬もあってみたいな混ぜ合わさったものかもしれない

個の時代だなんだと世間では賑やかな気がする2〜3年間. 本当にそうなのかどうかは絶対的に判断できないし,主張も背後にある文脈も様々な気がする. 自分という個をいかに幸福にできるか,かつ他者と豊かな関係性を築きながらいい影響力を波及するか,みたいな捉え方が個人的にはしっくりくる.

暗い海から二度と浮き上がれないような. 世界の誰とも接点が途絶えてしまったような. 世界一面が灰色に覆われて見え,もう這い上がれないくらいの底面に佇んでいるだけのような. 自分は二度と救われないという無力感に浸されているような. 誰かがそんな絶望の際,僕は一体何ができるだろう.

人生はグラデーションが徐々に起きるように,ゆるやかに変化していくのだと思う 選択の蓄積が慣性となって目に見えないところで何かが変わっていく その変化にどんな意味があるかは,その時になってみないと分からない 常にできることは自分が喜びたい可能性を少しずつ蓄積していくこと

ここ2ヶ月言語化と「なりきり」を少しずつ意識し,その領域を広げることができてきた感覚にとてもいい意味で溺れている 結果とても拙いものであったとしても喜んで,それを受け取ってくれる人がポツポツいらっしゃってくれる 物質と精神の断捨離は圧倒的にコストパフォーマンスを高める

夢の話をできる人は本質的な意味でたくましい人だと痛感しまくっている こうなっていたい,ということを描くにはある程度慣れが必要なんだと思う 理想の姿や状態を言語化するにはイメージが必要だし,それを包む隠さず周りの目を気にせず屈託のない笑顔で伝えることができるのはとても素敵なこと

不安を払拭するには,行動とそこから得ることができた成長しかないのだと痛感することが増えた 気づきを言語化することから成長は始まるのだと思う 毎日一つの生活改善と気づきを続ければ1年で365回,10年で3650回成長できるチャンスがある 不安が幸福に変わることを期待し続けよう

その人の世界観がだだ漏れになっている時間に浸っていることができる,あの瞬間がたまらなく好きだ 言葉でも所作でもモノづくりでも,その人という精神も肉体もがどうしようもなく内から溢れ外の何かを魅了してしまう瞬間がたまらなく好きだ そして2者以上の与え合う関係が成立している様相が好きだ

世間では「僕にできることはまだあるかい」ってフレーズが溢れているみたいだけれど ありまくるわって一人で心の中で勝手につっこんでいる,自分のことで精一杯だ ただ自然に考えたら歌詞的には自分以外に問いかけている相手がいるって素敵なことだなと思う 問いかけたい人がいるか自問しよう

日常と非日常が何なのか,そしてそれらの境界線は何なのか,ここ最近よく考える まだ結論は出ないままなのだけれど,個人の幸福感にとても関係する概念である気がしてならない 行ったり来たり,当てはめてみたり,状況による客観性で判別してみたりしてみると少しずつ正体が分かるような気がする

高校生の時は,大学生の時は,楽しかったという言葉. おそらく日本人にとっては,過半数以上の人たちが経験するであろう学生生活. いろいろな思いでが僕にもあった. 「昔は楽しかった」という言葉が逃げになっていないか,意識するようにしている. 昔より今を楽しんでいるよって言いたいから.

生命力が溢れている若さを見ていると,もうどうしようもなく嫉妬してしまう自分を発見した 自分にはもうないという諦めを無意識のうちにしてしまっていたことを内観した 若さは,無意識かつ身体的にということでなく,生きたいというビジョンが明確であれば明確であるほど新鮮なのかもしれない

誰もがなれない自分になるというのは,過程も結果も全てが新鮮なのだと思う それまでの自分から少しずつ変化していく様子をもう一人の自分が励ましたり叱ったりすることを楽しみたい 偶然性と未知が好きだ 自分を信じて生きたいように生きていくことができるような力を認識していこう