天正12年(1584)12月25日は越中富山城主・佐々成政が浜松城の家康を訪れ秀吉との戦いの継続を懇願した日。小牧長久手の戦い後に織田信雄と家康は秀吉と和睦。成政は命がけで冬の北アルプスを踏破し家康へ徹底抗戦を促すも失敗。このあと三河吉良で鷹狩り中の信雄を訪ねるも説得に失敗した。
天正12年(1584)4月6日は小牧で家康・織田信雄と対峙していた秀吉が三河に向けて別動隊を出した日。羽柴秀次を総大将に池田恒興、森長可、堀秀政を擁した三河奇襲作戦。これを察知した徳川軍が翌日夜ひそかに小牧山を出て長久手合戦が始まる。先に動くことが吉と出るか凶と出るか難しいです。