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5月18日は、ことばの日&国際親善デー&国際博物館の日&不動産電子契約の日&長久手の戦いが開戦&セント・ヘレンズ山が大噴火

【ことばの日】

こ(5)と(10)ば(8)の語呂合わせにちなんで、5月18日に記念日が設けられています。

心、気持ち、思い、考えを表し、記録する情報伝達手段のひとつの言葉について考え、普段から正しい言葉を使えるように心がけることが提唱されています。

言葉という語句は、平安時代前期の「古今和歌集 仮名序」に、「やまとうたは、 人の心を種として、 よろづの言の葉とぞなれりける(意訳:和歌は、 人の心の基として、 さまざまな言葉となったものである)」と登場して以来、一般的にも言の葉という語句が用いられ、それが言葉になっていったとされています。


【国際親善デー】

1899(明治33)年5月18日に、ロシア皇帝ニコライ2世の呼び掛けにより、「第1回平和会議」がオランダ・ハーグで開催されたことにちなんで、国際デーとして記念日が設けられています。

国際表記:INTERNATIONAL FRIENDSHIP DAY

同平和会議では、日本を含む世界26か国が参加していて、国際紛争平和的処理条約、陸戦の法規慣例に関する条約が結ばれ、平和に向けた世界的取り組みが更新され、定められています。


【国際博物館の日】

1977(昭和52)年に、「第11回国際博物館会議(ICOM)」が、5月18日〜29日まで開催されたことにちなんで、開催初日の5月18日に国際デーとして記念日が制定されています。

国際表記:International Museum Day

博物館の定義としては、美術館、科学館、動植物園、水族館があり、世界約145ヵ国に35,000以上の博物館が存在するとされています。

例年5月18日には、その年ごとに世界共通で設けられたテーマを元に、各国独自の様々な企画やイベントが会議を通して開催されていて、日本も、2002(平成14)年から同会議に参加しています。


【不動産電子契約の日】

2022(令和4)年5月18日に「宅地建物取引業法」が改正され、不動産契約書類の電子化が解禁され、義務付けられていた書面での契約締結のデジタル化が可能になったことにちなんで、不動産売買のDX推進やUX創造サービスの企画・運営を行っているGOGEN株式会社が、記念日に制定しています。


【長久手の戦いが開戦】

1584年5月18日(旧暦天正12年4月9日)、現:愛知県長久手市で、小牧・長久手の戦いと総称される戦のひとつ「長久手の戦い」が開戦しました。

小牧・長久手の戦いは、天正12年3月〜11月にかけて、羽柴秀吉陣営と織田信雄(のぶかつ)・徳川家康陣営が激突した一連の戦いの総称で、近年では、「天正十二年の東海戦役」という名称に変わりつつあります。

羽柴秀吉・豊臣秀吉

《長久手の戦いの背景》
1582(天正10)年に、織田信長が「本能寺の変」にて、家臣だった明智光秀に討たれ、その明智光秀を討伐したことで、一気に台頭した羽柴秀吉。

その地位は、1582年7月16日(旧暦:天正10年6月27日)に行われた清州会議で顕著なものとなりました。 織田家の跡取り問題を巡って行われた清州会議では、羽柴秀吉は信長の次男・織田信雄を推していたものの、さらなる権力を狙った秀吉によって、結果的に邪険に扱われることとなり、その末に、織田信雄が徳川家康を頼ったことで、羽柴軍と織田信雄・徳川家康軍とで対立する構図になっていきました。

徳川家康

《長久手の戦いの簡単な内容》
天正十二年の東海戦役で、最も大きな戦いとなった長久手の戦い。

戦は、後に徳川四天王と称される、酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政らの活躍もあって、死傷者数=羽柴軍:約2,500人、織田・徳川軍:約600人もの差が出るなど、結果としては、織田・徳川軍が勝利しました。

戦いには敗れはした羽柴秀吉でしたが、全国的に圧倒的な領土を誇っていることと、権力を背景に織田信雄へ迫り、織田信雄は徳川家康がいないところで、勝手に羽柴秀吉と講和を結ぶことに。

戦う名目を失った徳川家康でしたが、当初は羽柴秀吉からの和睦を拒み、戦いの意思を示すも、羽柴秀吉が朝廷の後ろ盾を得て関白に就任すると、豊臣になった秀吉側に降り、臣従を誓う形で降伏(和睦)しました。

《長久手の戦いの論評》
実質的に、羽柴秀吉vs.徳川家康の戦で、結果として羽柴秀吉が勝ち、朝廷の後ろ盾を得て関白になったことは、その後の日本の国家形成に大きく影響与えたため、ある種の「天下分け目の戦い」と見る向きもあります。

また、総力としては圧倒的不利だった徳川家康が、戦では羽柴秀吉に勝ち、講和に至るまで徹底抗戦したことは、全国的に徳川家康の名を一層上げ、羽柴秀吉に次ぐNo.2の座を固めた契機にもなったと捉えられています。


【セント・ヘレンズ山が大噴火】

1980(昭和55)年5月18日、アメリカ・ワシントン州にある「セント・ヘレンズ山」で、大規模爆発と山体崩壊が発生。

この大爆発は、山頂部分に直径約1.5km規模の蹄鉄型カルデラを出現させた他、爆発前の標高は2,950mだった同山が、2,550mになるなど、約400mもの山体崩壊が起こりました。

また、大爆発の影響は、東京23区に相当する約600k㎡もの範囲に大きな被害をもたらしました。

セント・ヘレンズ山は、2004(平成16)年にも頻繁な火山活動が確認され、大規模爆発が起こりましたが、2008(平成20)年に溶岩ドームの活動停止が確認され、噴火活動の終息が宣言されています。


(以上、ネット検索より)

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