内観とはいろんな角度で物事を観て、ひとつの答えを導き出すこと。このため内観をしていると気付きが起こりやすくなり、内観を継続的に行っていると直観力が向上していく。また、文章を書くということは内観することでもあり、文章を書く習慣を身に付ければ直観力が向上し、人生に輝きを与えられる。
人の思いは影のように隠れている。しかし、そういった目には見えない思いを人は感じ取れる。影響とは、目には見えないことを心で受け取って感じることであり、目には見えないことを響かせることでもある。本当のことは目には見えない。だが、感じ取ることはできる。人の思いが相手に影響を与える。
内観し気付きを得たことを観測する。そうすれば自分の望む未来を創り出せるだろう。未来を観て測ることは誰もがしていることだが、それを意識的、意欲的にしていけば生きることがより楽しくなり、誰もが理想的な未来を産み出すことができる。愉快で明るい未来を観測すれば、産みの楽しみも体験できる。
ひとり一人はオリジナルな存在であり、誰もが独自の才能を持っている。自分の独自性に気づいて、それを才能として使っていけるようになれば、のびのびとした人生を歩んでいけるようになるだろう。「私」は独りではない。他者がいるから自分を認識できる。独特な自分に気づけば他者の個性も認められる。
明快とは、道筋を明らかにし迷いのない状態を生み出すこと。迷いを消してシンプルに明るい気持ちで心地よく。そんな明快さを身に付ければ、人生をスムーズに展開できるようになるだろう。明快さを伴って行動すれば、周囲からの協力を得られるようになるものだし、目に見えない力も動かせるようになる。
この世界に存在する目には見えない法則である理(ことわり)を解き明かし、それを使いこなせるようになると物事がスムーズに運んでいくことだろう。法則は地域も時代も関係なく、いつでもどこでも同じように働いている。そんな不変で普遍の法則を理解すれば、自由を手に入れ自然な自分で生きていける。
人生は常に発展途上であり、同じような日々の中にあっても修正を加えながら進化させていかなければならない。修正は、自分の言動を客観的に眺めて内省し、そこから気づきを得て言動を変えていくことで達成される。修正と更新は同意であり、自分を更新し続ければ、常に新しい自分でいることができる。
壮快とは、いつも元気で快く過ごすこと。爽快は一時的な心地よさである一方で、壮快は持続的な心地よさといっていいだろう。人は心と身体を心地よく保つことで幸せを実感できる。心地よさは自分の思いで生み出すものであり、心の快が身体の快を生み出していく。いつも爽快であれば、それが壮快になる。
円い物は滑るように転がっていく。円滑さは角を取り除き円くなることで生まれる。角を取り除くには、葛藤を手放さなければならない。葛藤を手放せば抵抗がなくなり、物事がスムーズに進んで行く。スムーズに生きるには、何をすれば心が喜ぶかを知り、思いと行動を一致させて楽しんで生きていけばいい。
自分の心の在り方が、すべての原因となる。幸せは、自分の心が生み出すものであり、自分自身に寛いで常に穏やかでいることができれば、柔らかく調和の取れた現実を生み出すことができる。夏空に浮かぶ雲のように、その時々の状況に合わせて柔軟に生きれば、風に乗って悠々と自由気儘に生きていける。
人のエネルギーは、「快」に向かって動ごくもの。嬉しい、楽しい、大好き、そんな思いがエネルギーとなって人を動かし、一度、動き出したら、あとは慣性の法則を使って軽快に進んでいく。幸せは心地よさとともにある。快のエネルギーを使っていけば、自然体で悠々と目的地にたどり着くことができる。
可能性は、許可することで広げられる。許可するとは、出来ないという思いをなくし、出来るという思いを持つこと。そうやって自分に許可を与えることができれば、どんなことでも実現できる。自分の能力を認め、それを才能に変化させれば許可できることが増えていき、可能性を開いていけるようになる。
どんなことでも噛み砕いて吸収すれば、適切に腹に落とすことができる。腹に落ちたものは新たな活力となり、自身の可能性を広げることができる。気づきという発見を体験を通じて咀嚼し吸収していけば、それを自分のものにすることができる。発見力と吸収力を磨いていけば、自分らしさの幅を広げられる。
この世界は私を観照するために存在している。私を知るには私以外が必要となり、私以外のひとつ一つの対象を冷静にかつ客観的に観て照らせば、私が今ここに存在する訳を知る。このことに気づくとき、感謝の念が自然と湧いてくる。我々は私を知るために存在している。私とは何かを知ることは喜びなのだ。
相応しい自分で生きるには、自分に相応しいことをして生きればいい。自分の特徴や資質を知り長所を活かしていけば、越えなければならない人生の課題を無理をすることなく越えられる。相応しい自分で自然体で生きれば、最大限の力を発揮でき、幸せを感じて生きていける。相応しさとは、自分を知ること。
軽いだけでは、風に乗ることはできない。風に乗るには、柔軟で強度のある翼が欠かせないし、風を読む力と風に乗る技術が必要となる。我々が飛翔するには心技体を洗練させ強度を持たせ、風の力を上手に利用すればいい。風は自由な発想で生み出せる。自由な思いを追い風にし、それに乗れば飛翔できる。
泰然と生きる。それが我々の目指す生き方といっていい。急いですることに、愛を見出すことは難しい。愛は常にゆとりがあって穏やかで安らぎがある。人が愛に目覚めれば、泰然と生きるようにいなる。自分が望む理想の姿を想像するとき、その振る舞いは泰然とし、好きなことや愛することに没頭している。
内的な発見をすれば、それが気づきとなって人を進化させる。内的な発見とは、自他を繋ぐこの世界の目には見えない法則のこと。こういった法則を知って日常生活に活かせるようになると、力むことなく自然体で生きていけるようになる。見つけたものを発信し、それを共有することで我々は発展していく。
喜びで生きるとき、人は世の中に貢献できる。人の波動は伝播するものであり、多くの人が喜びの波動を他者に伝えていくことができたなら、世の中が平和になっていく。貢献は笑顔で行うものであり、喜びがもたらす心地よい波動を伝え合っていけば、鯉が龍に出世するように次元を上昇させることができる。
この地球は水の星であり、水が循環することで生命が育まれる。だから水の流れを止めてはいけないし、水を澱ませてはいけない。澱むとは滞ることであり、滞れば成長が止まる。成長とは進化を意味し、我々が進化をすることで、この宇宙も進化する。全は個であり個は全である。水一滴の性質が全体を表す。
自分の思いと行動を合致させれば、心地よく生きていける。人は誰もが心地よく過ごしたいという欲求を持っている。自分の思いを大切にして行動すれば、自分を愛することができ、他者も尊重できるようになる。他者は自分の鏡の姿。自分が整えば人間関係も整っていく。自己一致が整った環境を創り出す。