夢を叶えることができる人。それは、最後までやり抜くことができる人である。最後まで諦めずにやり抜ける人は、「やっぱりこっちを選んで良かった。」って、どのみち言う。何を選択するか以上に、選んだ後の行動の方が大事なのを知っているのである。そういう人が、夢を叶えることができるのである。
常に前へ💥 いつも前へ✨ そして前へ🔥 これが 冒険家の針路である 🦾🎇🔮🔔⛏⛵⚓🌍🌎🌏
パラパラ読み世阿弥133葉 「上手だにもわろきところあり」 風姿花傳 第三「問答条々」 ...世阿弥のすごいところのひとつが、下手と上手をフラットな目で見ていること。 きちんと上手の上手たる努力の部分はみとめた上で、下手な人の必死さや体当たりできる度胸なども誉めている
パラパラ読み世阿弥 118 「自然居士の物まね,高座の上にてのふるまひを,時の人,十六,七の人体に見えし」 風姿花傳 第七「別紙口伝」 ...つづき 観阿弥の演技についての記述. この16,7歳に見えたという舞台をした時の観阿弥は四十路を越えてから. 年々去来の花を極めた演者
パラパラ読み世阿弥 41 「稽古の劫入りて、垢落ち(洗練され)ぬれば この位(生得の位相当のものが)おのれと(自然と)出で来ることあり。」 風姿花伝 第ニ「問答条々」より …"垢抜ける"という 室町からの共通認識にちょい痺れるのは私だけかしら♡♡♡
パラパラ読み世阿弥136葉 「花と申すも去年(こぞ)咲きし種なり」 風姿花傳 第七「別紙口伝」 …珍しさの流れ。同じ花は2度咲かない。 様々な植物が季節ごとに咲かせる花。年に1度しか咲かないことがまた、花を美しく見せている。 努力の種が時々に応じ花咲くの意味にも見える🌸
パラパラ読み世阿弥132葉 「老人の物まね、この道の奥義なり」 風姿花傳 第二「物学条々」 ...重く扱うのは、わざとらしい芸にならない為もあるやろけど 加齢延年を寿ぐ申楽では 老人の存在自体が現代の感覚と違うと思う🤔 御神木への敬いや 老木の神性へのよりそいに似てる
パラパラ読み世阿弥131葉 「神さび、閑全たるよそほひ」 至花道「二曲三体事」 ...直訳するまでもなく、とてもステキな超越した身体操法の極み 閑全は、静かで端正な美しさ。 この表現が、現代の能の舞姿に直結してるんやろなぁ🤔 物まねを超越し、人間くささを排除した表現法
パラパラ読み世阿弥129葉 「元次、芸能感人たるによつて、是を又伝フル所也」 風姿花傳 第七「別紙口伝」 ...この元次が気になる人物 一説に、元雅の兄とされる五郎か?とも言われる そうなると世阿弥の息子は3人 でもその史料の信憑性が微妙...🤔 そこが歴史の面白いとこ
パラパラ読み世阿弥 125 「人に油断させて勝つことを得る」 風姿花傳 第七「別紙口伝」 ...当時の演能は座同士の対決 兵法書のように勝負に対する心構えの言葉も続く 何をもって勝敗とするかは、今と感覚が少し違う 面白いと思わせたもの勝ち N-1グランプリやってほしいな
パラパラ読み世阿弥 119 「後々までの芸態に 幽玄を残すべき風根なり」 至花道「二曲三体事」 ...ここでいう後々までとは,成人後までもという意味。 前段まで入門してからの心得を書いてある 幼少期は物まね芸はさせずに,歌舞音曲を中心にお稽古をさせること.年齢相応の花が大切
パラパラ読み世阿弥 120 「上果の芸風」 至花道「二曲三体事」 ...最上級の芸態。 <上果> 優れた結果や、修行の先の到達点の中でもとくに優れた点。 迷いを去ったさとりの境地のことも言うのだそうな。 仮名書きやと、じやうくゎ。 この仮名の表現がなんともいいなと思う。
パラパラ読み世阿弥 98 「わが風体の形木のおろそかならんは、ことにことに能の命あるべからず」 風姿花伝 第五「奥義云」 …自分の座の芸態の基本がしっかりしていないと、芸の成長や発展はありえないの意。 いつも思う。 リズム感がいいので心地よく読める。 厳しく優しい
パラパラ読み世阿弥 97 「たとへ一子たりといふも 不器量の者には伝ふべからず」 風姿花伝 第七「別紙口伝」 …この箇所は応永25年、世阿弥56歳の折に書かれている。 一子相伝の一長一短を痛いほどに見てきて、この境地に至ったのだろうな。 この後さらに跡継ぎで悩むことになる
パラパラ読み世阿弥 81 「憑き物の品々、神仏・生霊・死霊のとがめなどは、その憑き物の体をまなべば、やすく、たよりあるべし」 風姿花伝 第ニ「物学条々」より …とがめ=たたり。 なんと!憑き物の体(てい)を学ぶ?! そ、それはホンモノさんに? そこんとこ詳しく( ̄□ ̄;)!!
パラパラ読み世阿弥 42 「しほれたると申すこと、花よりもなほ上のことにも申すべし。 花なくては、しほれどころ無益なり。」 風姿花伝 第ニ「問答条々」より …"しほれ"は花が散ったり弱ったりすること。 花を会得した上で、手に入れる事ができる境地。なんか凄みあるな〜
パラパラ読み世阿弥 76 「ただ花は、見る人の心に珍しきが花なり。」 風姿花伝 第七「別紙口伝」より …不思議な事に、人って興味の無いことは 目にも耳にもはいらないように出来ているという。 珍しいと思わせるところに持っていく,その手前の技術というのもある気がするな。
パラパラ読み世阿弥 79 「風体・形木は面々各々(めんめんかつかく)なれども、 面白きところはいづれにもわたるべし」 風姿花伝 第五「奥義云」より …天下の許されを得た演者は、 芸風や演技の形は各々変われども、どれも面白さがある。 そこに登り詰めるまでの方向性正しき努力♡
パラパラ読み世阿弥 78 「日を重ねたる申楽、 一日のうちは申すに及ばず、風体の品々を色どるべし」 風姿花伝 第七「別紙口伝」より …世阿弥の時代は、今と違って連日興行があった。 その日ごと番組ごとで細かく芸を変えて、 同じ人が何度見に来ても違う楽しさがあるようにと。
パラパラ読み世阿弥 77 「大網(たいこう)よりはじめて、ちち[些細]とあることまでも、 自然ゝに心にかくれば、 一期花は失せまじきなり」 風姿花伝 第七「別紙口伝」より …大網は根本。 細かい所まで心にかけ精進を続けると、時々の花を生涯咲かせ続けることができると。
パラパラ読み世阿弥 75 「人の悪きところを見るだにも、わが手本なり。いはんやよきところをや」 風姿花伝 第三「問答条々」より …言葉ではわかってる。 うん、わかってる。 でも、これほど実践の難しいことはあるやろか。 なかなか、そうはいかんな~人は鏡やと思うのが関の山😂
パラパラ読み世阿弥 65 「当世、この道のともがらを見るに、芸のたしなみ[練磨]はおろそかにて、非道[本業以外]のみ行じ (以下略)」 風姿花伝 第五「奥義云」より …64葉にも書いた、観阿&世阿の危機感の部分。 安直に云うと見逃せぬ程副業が流行った。極道の意味ではなく😀
パラパラ読み世阿弥 59 「夜はまた陰なれば、 いかにもうきうきと、やがてよき能をして、 人の心花めくは、陽なり」 風姿花伝第三「問答条々」より …[うきうき]のニュアンスが今と若干違うとはいえ [心花めく]と相まって、この一文がめちゃくちゃ可愛い雰囲気に読めてしまう♡
パラパラ読み世阿弥 52 「花なくては、しほれどころ無益なり。それはしめりたるになるべし。」 風姿花伝 第三「問答条々」より …42葉にも書いた、この"花を得た境地"からの"しほれの境地" 興味深い!! 花ないまま萎れると"しめりたる"になるっていう。 絶妙の表現力🌸
パラパラ読み世阿弥 51 「経にいわく『善悪不二、邪正一如』とあり。 本来より、よし・あしきとは、何をもて定むべきや」 風姿花伝 第七「別紙口伝」より …善悪というのは、時代や場所や権力者によって変化する。 必要に応じて、必要とされる方が善になる。 今も昔も根本は一緒やな
パラパラ読み世阿弥 46 「稲経翁(いなつみのおきな)<翁面> 代経翁(よなつみのおきな)<三番申楽>父助(ちちのじょう)これ三つを定む。 今の式三番これなり」 風姿花伝 第四「神儀云」より …世阿弥以前はまた違うのね! 現代は翁、三番叟(さんばそう)千歳(せんざい)の3つ
パラパラ読み世阿弥 45 「花を究めんこと、一大事なるに、 その上とも申すべきことなれば、 しほれたる風体、かへすがへす大事なり。」 風姿花伝 第五「奥義云」より …花を咲かせる努力の、その上。 花の咲かない草木が枯れた姿を美しく魅せる。その努力は言葉にしきれへん。
1日1葉 パラパラ読み世阿弥 36 「陽気の時分に陰気を生ずること 陰陽和する心なり」 風姿花伝 第三「問答条々」 ...子育ての時にも、子どもたちが騒いでるとき、大人が大きな声でなだめようとしても効かないのと同じかと。 そんな時、あえて小声で声掛けをする。これ陰陽和する心