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守破離の提唱者は世阿弥でも利休でもないよ、という話。

仕事柄、人の成長について話すことが多いのですが、ここ半月ばかり、その対話の中に「守破離」という言葉をよく耳にする機会がありまして。この言葉が出てくる会話それぞれに繋がりは無いので、集中的に聞いたのは全くの偶然だと思うんですけども。

気になったのは、この「守破離」という言葉を使って話される内容が人によって結構バラバラだったり、「この言葉って、そういう意味だっけ?」と思うような使い方をする人もいたりしたことなんですよね。

そういった違和感を感じる使い方の中でも、特に多いもののひとつが守破離という言葉を最初に使った人についての誤解。

「世阿弥の風姿花伝には…」は間違い。

守破離が持ち出される時の前捌き的な説明をするとき
「世阿弥がその著作『風姿花伝』の中で述べた言葉で…」
という紹介をよく聞きますが、実は風姿花伝の中には一言も「守破離」という言葉は出てこないのです。

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似た言葉は出てきます。それは「序破急」

守破離と序破急。

2文字目は一緒だし、「守」と「序」、「離」と「急」は何となく同じような意味を持っていなくもない感じがする。
あと、世阿弥の言葉に「離見の見」というのもあるし、世阿弥の能のエッセンスが、守破離に継承されている可能性も否定できない。

ただ、一つ間違いないのは、「守破離は風姿花伝には出てこないし、世阿弥の言葉でもない」ってこと。

ごっちゃになっちゃってる人が「風姿花伝起源説」を紹介してくるんだと思います。

守破離の提唱者として、世阿弥の次に多く名前が挙がるのは千利休。
これは世阿弥起源説よりは筋がいい感じがします。

というのも、千利休の教えを広めるために、それを歌の形に詠んだ「利休道歌」というのがあるんですが、その中のひとつに

規矩作法 守り尽くして破るとも 離るるとても本を忘るな

というものがあるからです。守破離の3文字がちゃんと歌の中に入ってます。守破離起源が千利休と言いたくなる気持ちもわかります。

ただ、前述の通り、これは千利休本人が詠んだ歌ではありません。

だから、「かの有名な千利休の言葉で守破離というのがあり…」みたいなのも違うわけです。

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ただ、千利休が創始した茶の湯が、守破離という言葉やコンセプトの産湯だったのは間違いなさそう。

というのも、江戸時代の茶人で、川上不白。
江戸千家という千利休の流れをくむ茶道のリーダーのおひとりだった方らしいんですけども、この人が守破離という言葉を口にした人だ、という説が一番もっともらしいみたいなのです。

当時、この人が書いた「不白日記」というブログの中に

弟子に教るは守、弟子は守を習尽し能成候へば、おのずと自身より破る。離はこの二つを合して離れて、しかも二つを守ることなり

という文章があり、恐らくこれが「守破離」というパワーワードの大元であろうと考えられているからなんですね。

ということで、守破離起源説は
世阿弥(違う) < 千利休(違うけど惜しい) < 川上不白(ほぼ確)
の順番みたいです。

はいそこ、世阿弥とか千利休の方が説明する時の箔が付いたのに、とか言わない。

不白だけにハクは付かないという300年を経て今よみがえる壮大なオチで我慢していただければ幸いです。

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