永禄8年(1565)1月1日はイエズス会宣教師のガスパル・ヴィレラとルイス・フロイスが幕府に新年の挨拶をした日。しかし布教の後ろ盾として期待していた将軍・足利義輝が5月に永禄の変で三好三人衆や松永久通らに殺害される。一時的に京を追われるが上洛した信長に畿内での布教を許可される。
永禄12年(1569)1月6日は将軍足利義昭の仮御所の本圀寺を囲んだ三好三人衆を撃退した日。前日から攻め寄せた敵を明智光秀らが防ぐと細川藤孝・池田勝正・荒木村重など畿内の諸将が駆け付け撃退した。岐阜の信長は大雪の中を僅かな供を連れ急ぎ出立すると到着したときには数人の凍死者が出た。
永禄9年(1566)6月8日は筒井順慶が松永久秀の軍勢に占拠されていた大和の筒井城を奪還した日。前年11月に奪われていたが三好長慶が死没したあと三好家内で久秀と対立した三好三人衆と結んで奪還を目指していた。この後も久秀との争いは続いて翌年には戦火で東大寺大仏殿が焼け落ちる事態に。
永禄12年(1569)4月14日は将軍足利義昭が再興された二条御所へ入った日。前年に信長の助力で上洛し将軍に就任した義昭は本圀寺を居所とした。しかし1月に警備の隙を狙った三好三人衆による本圀寺の変が起きた。このため信長は義昭の兄義輝の二条御所跡を拡張し防備の整った御所を造営した。