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歴史・人物伝~信長飛躍編⑭信長の実力を見定めた松永久秀

残任で勇猛な人物のことを「梟雄(きょうゆう)」と評しますが、戦国時代を代表する梟雄の一人に、松永久秀を挙げる方が多いです。出世を遂げていく過程での行動が梟雄と呼ばれる所以になったとされています。

久秀は、織田信長が上洛する前の京を実効支配していた三好長慶の家臣で、かつては「長慶を抑えて実権を握り、挙句の果てには将軍・足利義輝を殺した」とまで言われていた人物でした。

その後の研究で、久秀は将軍殺しに関与していなかったばかりか、将軍を排除した三好三人衆とは敵対関係だったといいます。久秀は「影の権力者」どころか、存亡の危機にさえあったのではないでしょうか。

そんな中で、足利義昭を奉じて織田信長が上洛の軍を進め、三好三人衆らを次々に撃退してきました。窮地に立っていた久秀は「千載一遇の好機」ととらえ、信長に臣従することを決断します。

信長公記では「久秀は我が国に二つとない茶入れ『九十九髪』を献上した」とあります。「茶の湯道具は一国一城にも相当する」と言われていた時代でしたので、信長もさぞかし喜んだろうと思われます。

当時の織田信長は義昭を奉じたとはいえ、天下統一を成し遂げる武将だとの評価は定まっていません。しかし久秀は、いち早く信長の実力を見定めました。つまり、先見の明があった戦国武将だったのです。

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