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歴史・人物伝~信長飛躍編⑬三好三人衆を各個撃破していく

※先週お休みしましたので、3月2日の第12回以来となります

足利義昭を奉じて上洛を目指した織田信長は、近江を平定して京の間近にまで迫ってきました。ただ、畿内には三好三人衆(三好長逸・三好宗渭・岩成友通)がおり、予断を許さない状況だったのです。

万全を期すため、信長は各個撃破にあたります。京都の東側にある東福寺に陣を張り、桂川を超えて岩成友通と激突しました。柴田勝家らが先陣を切った戦いで、抵抗してきた岩成を降伏させたのです。

続いて、京都の西側にある山崎に進軍し、摂津の三好長逸らを攻めます。三好方の池田勝正との戦いは、信長公記で「敵味方とも討ち死にする者が多く出た」と記される激戦でしたが、最後は制圧に成功しました。

上洛戦について、信長公記はこう振り返ります。

戦意は日ごと新たに湧き上がり、戦うに当たっては風の吹き荒れるように激しく、攻めるに当たっては大河が氾濫するような勢いである
※地図と読む現代語訳信長公記より

信長の家臣たちにとっては、多くの戦国武将が目標としていた上洛を、主君が成し遂げようとしていたことはお家の誇りであり、同時に自身の立身出世のきっかけになるととらえていたのでしょう。

そんな信長の上洛を、起死回生のチャンスだと考えていた武将がいました。それが、大和(奈良県)の松永久秀だったのです。

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