悟りへの執着を手放したいという執着から強制的に解放されて“いまここ”に至る。 どうやら一周まわってきたようだ。 朝起きて顔洗って仕事にでかける。 晩酌しながら、色々あったりなかったりの 今日を報告しあう。 かつて斜めに見ていた俗世間。 そんな日常がたまらなく愛おしい。