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「話せ」の言葉が一番怖いけど、これからのために自分らしくあることを選択した。

「何か喋って」「喋らない= “疲れてる”の?」と聞かれることが度々ある。でも、決してそうではなくて話したいことは山ほどあるけどどこからどう話せばいいのか分からずに気持ちが泡となって消えていく、ただそれだけなんだ。
なのに、喋らないことで誤解される、不機嫌かもしれないという相手に与えてしまう印象。

コロナ以前だったら口元が見えて、表情もはっきり見えたからいらなかった誤解も、 「マスク越しになったから必要になったのかも…」ってわたし自身がメッセージとして受け取ることで幾分かマシになる。

でも相変わらず「何か喋ってよ」「不機嫌じゃないなら(この場を)話すことでどうにかしてくれない?」という質問はこの先も避けて通れないのかもしれない。 

怖いし、わたしの場合はそれで結論を急ぐ人も何人も見てきたから余計になんだけど、「時間が止まって、それを面白がれる人になら話してもいい」と心があなたに、「わたしの元へ来てください」の暗証番号をそっと、教えるよ。

誰かがいてくれることで
わたしがいる。
『わたし自身だけじゃ「わたし」という人がどんな人かさえわかって貰えないの』

と小説に出てくるその子は言ってた。
誰かに触れる、誰かと話をする、その子のことを好きになり嫌いになる。

全てが「自分」という存在を引き立たせてくれるんだと。

わたしの家にはコーヒードリッパーなんてお洒落なものはないけれど、コーヒー豆を自分で焙煎してる人がそれをガリガリと挽くことで自ら香りを楽しめるように、周りを巻き込んで自分から「コンプレックス」を楽しめる状況に置いてみたらもう何も怖いことないね、って
自分の心の変化…成長に嬉しさを隠せなかった日。

#自分日記 #自己成長 #相変わらず話し下手
#吃音 #つっかえる #文字だと滑らか
#話せるに変わる瞬間 #わたしはわたしのここが好き

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