はしもとみお

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最近の記事

ミノムシの神様

阪神大震災から30年弱、まだ私は生きている。 尼崎の実家で被災して、その日からしばらく家には住めなくなり、避難所は当時女子中学生だった私には厳しい環境すぎて、比較的被害の少なかった大阪の親戚の家に制服とお財布と小さな荷物だけ持って、居候させてもらいました。 なぜかそのお家で、ノートとペンを持って、ノートに一日中人や生き物の不思議な絵を描いていました。犬や猫だけでなく、アメーバーやミトコンドリアもいる。それまで獣医を目指して一直線に進んできた私は理科の勉強ばっかりしてきたか

    • いれかわる

      10年以上前の彫刻を見ていると、 デッサンも狂っているし彫りすぎな面もあるけれど、今に足りないものがあったりする。 どちらがいいという訳でもなく、フラットにただ並んでいて、決めるのは観る人々だ。 技術は身につけては捨て、身につけては捨てと常に入れ替えて新鮮にしてきた。 技術を貯め込みすぎないようにするのは、いつでも鮮度ある目線で子供のようなセンスオブワンダーを大切にしたいのと、フットワーク軽く気ままに感覚を動かせたいから。 もちろん美術を始めた頃は、技術を

      • 9月28日

        11年前の今日に親友ピロは亡くなったらしい。 しかし親友だった私にも連絡はなく、死を知ったのは一年後、連絡があまりにもなくて心配で連絡しまくっていた私に親族の人が手紙でしらせてくれたのだ。ご両親は憔悴しきっていて今は会えない、連絡もできない、と。死因も、心不全としか書いてなかった。 心に大穴があき、私はしばらく何もできなかった。だけど病気で亡くなったんだ、仕方なかったんだと信じていた。調べる方法もないし、家族は密葬したそうなのでおそらく解剖も一切されていない。 10年経った

        • マイノリティ

          アトリエの飾り棚。 毎朝ここを彫刻たちと野の花で飾る。 高校のとき、特殊な私立だった私の学校では華道の時間があって、私は美術が好きだったから華道もできそうだと思っていて選択した。 けれど華やかな花より野の花が好きで、最高の花器に猫じゃらしを生ける私はやっぱり理解されず、大学のアルバイトで食堂に生ける花を用意する仕事も、「なにこれ、あなたドングリや葉っぱ見ながらごはん食べたい?!」と怒られた。 昔からマイノリティな感覚の自分にとても嫌気がさしていたけれど、美術を学んでから、

        ミノムシの神様

          ものの終わり

          ひとつひとつの仕事をたいせつに、日々過ごしています。 いつでも終われる覚悟で、彫刻しています。 彫刻は、どれだけ時間をかけても、彫り足りないものです。 そもそも彫刻には、終わりが無いものだと感じます。 完成とは、そしたら何なのか、それはもう、時間で区切るしかないようなものです。 いつまでたっても、そばにいる彫刻には、手を入れたくなります。 そんなときに私はいつも、「ものの終わり」について考えます。 「終わり」を想像するといつでも覚悟ができるようになります。 血を通わせなが

          ものの終わり

          一生

          28のときにたいせつな友人をこの世界から失って、それからは止まり木を失った鳥のように飛び続けてきました。 残されたものにできることは、ほとんど何もなくて、 ただ、ひたすらに生きることしか、できませんでした。 そのころからいつも、私は自分の一生を、外側から見ているような感覚で暮らしています。 ひとつの生は、生まれた時に、もう死への時を刻んでいて、 それは彫刻の始まりのように、いつかは形をこの世界に残して、そして失われていくのでしょう。 私より、彫刻の方が長く、この世界に暮らし

          修正力

          自分が納得いくまで何度でも彫りなおし、いついかなる時も、完成直前でも、いいと思った形でなければ壊す勇気を、忘れないようにしています。 一つの彫刻を納得のいかないままで終わらせることは、貴重な素材を殺してしまうということ。この世にいいものでないものを残していくことは、一番の愚行です。 おもえば、美術の世界に足を踏み入れてからずっと、学んできたことといったらたったひとつ、 修正する力に他ならないような気がします。 美術は、変化の連続です。一枚の絵にも流れがあり、好調と不調は挑戦

          変わらないもののために

          変わらないことを最近、とても大切にしています。 20年前に食べていた大好きだったレストランのオムライスが、20年後に思い出して入ったら同じ味がして泣けてくるような、そんな変わらないものを届け続ける職人さんたちの心意気に、心打たれます。 美術はなぜか真新しいものや斬新奇抜なもの、一見見たことのない難解なものが好まれる傾向がありますが、私はそんな世界からすこし離れたところの、山奥の森の一軒家でひっそりと育まれる美術をやっていきたいと思っています。 進歩はもちろんしていきますが、

          変わらないもののために

          もうひとりの

          ちょうど彫刻と、自分の関係のように、彫刻家はしもとみおは、私の隣にいつもいます。 自分で立ち上げた作家業、彫刻家はしもとみお、というダメなほんとうの私とは違う別の仕事人間が、いつも私を励ましてくれます。 私自身は面倒臭がりで適当で、とてもダメダメな人間ですが、 彫刻家はしもとみお は、そこだけでもちゃんとしようと、 人見知りで外に出るのが億劫で大の苦手な自分ですが、仕事としての自分は、なんでもできるようになりました。人と関わることも、交渉することも、お金のやりくりも、ほんとう

          もうひとりの

          デッサン十ヶ条

          デッサン10ヶ条 1まるごとを見よ   モチーフを取り囲む空間のすべてを見ろ。   どこか一部にとらわれるのでなく、   また、見ないようにするのでもなく、   極小の細部から、まるごとの空気まで、   全てを一度に見よ。 2、描き方を忘れよ  モチーフを目の前にしたら、  自分が描いてきた歴史を忘れよ。  未知のものを描く緊張感でモチーフを見よ。  鮮度は、全ての技術の上を行く。 3、力を込めよ  描く道具は手と一体に  手は自然と天地と一体に  力を込めれば、力は道

          デッサン十ヶ条

          デッサン1

          デッサンの一番の秘訣は、うまく描こうとしないことです、 上手い絵が、いい絵とは限りません。あなたが美しいと思う物事を信じ、いいデッサンを重ねましょう。 自分の眼を信じ、正しい形、量、色、空間を捉える訓練を重ね、嘘をつかず素直に絵を描くことが、本当のいい絵に近づく一足づつです。 確かなデッサン力は、美術の表現を自由にします。 それは、現実の世界の中に、ひとが美しいと思うものの答えが膨大に隠されているからです。 あなたが一枚の真のデッサンを重ねるたびに、あなたは物事の美しさの理由

          デッサン1

          こどもたち画伯へ伝えたい10のこと

          こどもたち画伯へ ひとつ  絵を描くということは、うまく描くために描くのではなくて、よく世界を見るために、よく感じ、よく学ぶために、そしてそのことを、だれかに伝えるために、描くのだよ。見る人のことを思って、描くのもいいよ。世界と君とをつなぐ、窓なんだよ。 ふたつ  描いた絵を見せるということは、窓をひらくこととにているよ。鍵がかかってしまっていると、みんなには絵がよく見えないから、まずは「ようこそ!」と、窓をひらくように描くのがいいよ。君の世界へ、たいせつなひとたちを

          こどもたち画伯へ伝えたい10のこと

          変わること、変わらないこと

          変わること あれから20年以上が経つというのに、今なお眼に浮かぶのは、夜明けと共に浮かび上がった昨日までと全く違う風景。 阪神淡路大震災のその日、私は獣医になろうと志す動物が大好きな中学生でした。地震の前と後での変化は、形ある命がある日突然いなくなるということ。私は、動物の何が好きだったのかと問われると、その美しい、凛と生きている姿がとても好きだったのでした。それからは、その美しい姿が残せないものか、失われた形を取り戻すことができないものかと、私は動物たちを治療したいという

          変わること、変わらないこと

          アナログのススメ

            アナログな事を日々大切にしています。手を汚し、汗をかき、頭を使い、全身でものづくりをする事が、自分の肌に合っています。 パソコン一台でSNSから近況報告や意見交換、情報収集、何でもできる時代ですが、私は大切な報告は会った時にしたいし、考えがある時は面と向かって言いたいし、情報は自分の足で歩き目で見て体験したいと考えます。 ネットで集めた情報は、誰かの脳の中であり、誰かの目で見た物であり、今はそれらが溢れすぎていて、見ていると知ったような気になってしまい、膨大な情報の網目

          アナログのススメ

          地からの視点

          人はいつも上から物事を見おろすのは得意です。高いところの視点から物事の全体像を見て、安全な位置で批判したり考察したりするのはとても得意です。 上から目線、という言葉にもあるように、いつも物事を上からの視点で見ていると、正しい判断を見失うこともあります。 広い視野で、自分の目線で物事を見て暮らしたいと感じ、三重県の古き良き風景の残る田舎にアトリエを移し、暮らしと彫刻を見つめ直してから3年半が経ち、見えてきたのはここに暮らす人達の地に親しい視点。ここでは同世代の友人が薪を集め割り

          地からの視点

          動物たちの目線

          血のつながらない、言葉の通じない、肌の色も見た目も足の数も違う、それこそ種族の違う犬や猫たちと、こんなにも気持ちが通じ、共に暮らして幸せを感じるのはなぜだろう。朝起きると駆け寄ってきて、顔を見ただけで喜んでくれる彼らの心と目線を、深く知りたいといつも感じます。彼らは世界をどのように見ているのか、幾千枚のデッサン彫刻を通してわかってきた事は、彼らの物事を省略して判断する力。 彼らは極力少ない情報から多くの物事を想像する能力に非常に長けています。顔色を伺う、声色で判断する、匂いで

          動物たちの目線