変わること、変わらないこと

変わること


あれから20年以上が経つというのに、今なお眼に浮かぶのは、夜明けと共に浮かび上がった昨日までと全く違う風景。
阪神淡路大震災のその日、私は獣医になろうと志す動物が大好きな中学生でした。地震の前と後での変化は、形ある命がある日突然いなくなるということ。私は、動物の何が好きだったのかと問われると、その美しい、凛と生きている姿がとても好きだったのでした。それからは、その美しい姿が残せないものか、失われた形を取り戻すことができないものかと、私は動物たちを治療したいというより残したいんだと思うようになり、気がついたら絵を描く事へ変わり、絵ではもの足りずもう一度生きていた動物たちに触れたいという思いから、私は彫刻家という一風変わった道へ足を踏み入れたのでした。
その後、その仕事を目指すという事はただの女子中学生にとってとんでもなく苦難の道だという事は、知るすべもなく。
勉強しかしてこなかった私が、初めて長く削った鉛筆を持ち、イーゼルに向かい、デッサンを始めました。あの頃の悔しい気持ちは、今も忘れる事がありません。あんなによく見ていたはずの、大好きだった動物たちが、全く描けない。目に見える美しさのそのひとかけらさえも、描けない。私は美大受験を志すも一年、二年と失敗し、気がついた時には三浪と、世の中から随分取り残されてからようやく大学の彫刻科に拾い上げてもらいました。
美術を始めて変化した事は、眼に見えるもの全てが、「絵になる」ということ。大好きな動物たちのいる風景や空間まるごと、この世界ごと好きだったことに気がついたのでした。

変わらないこと


変わらないことを最近、とても大切にしています。
20年前に食べていた大好きだったレストランのオムライスが、20年後に思い出して入ったら同じ味がして、こんなに自分や世界は変わったのにと泣けてくるような、そんな変わらないものを届け続ける職人さんたちの心意気に、心打たれます。
美術はなぜか真新しいものや斬新奇抜なもの、一見見たことのない難解なものが好まれる傾向がありますが、私はそんな世界からすこし離れたところでひっそりと育まれる美術を日々探し続けています。
彫刻家として、人では無く、名のないその辺の野良猫などをたいせつに作る仕事を始めてはや10年、見る人に届けたいのはいつも、そこらへんに転がる身の回りの名のない美しさです。
新しい美を発見し、表現し、どうだと奇抜に表現する事はある意味やりやすい方法で、美術の世界で本当に難しいのは、みんなが日常で見ているそこら辺にあるものを、あらためて美しいんだという事に新しい価値観で気づかせることです。表現は進むだけじゃなく、戻る、とどまるといったことも重要です。自分本位な進化は時として、周りの何かを傷つける事になりうるものだから。
変わらないたいせつな現実を、いつもそばに置いてものを作りたい。
変わらないものづくりを続ける事は、実はとても難しい事だから。
三重の片田舎に移り住んで、目の前の大自然の景色や動物たちの声色があまりにも美しく、
「この景色が変わらないでほしい。」と、心底思います。
こんな変わらない風景を届ける美術というものが、私のやっている形を残す彫刻なのかもしれません。

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