ものの終わり

ひとつひとつの仕事をたいせつに、日々過ごしています。
いつでも終われる覚悟で、彫刻しています。

彫刻は、どれだけ時間をかけても、彫り足りないものです。
そもそも彫刻には、終わりが無いものだと感じます。
完成とは、そしたら何なのか、それはもう、時間で区切るしかないようなものです。
いつまでたっても、そばにいる彫刻には、手を入れたくなります。

そんなときに私はいつも、「ものの終わり」について考えます。
「終わり」を想像するといつでも覚悟ができるようになります。
血を通わせながら作った彫刻も、いつかこの手を離れる、
私はいつもそばに覚悟を住まわせながら彫刻をしているように思います。

明日死ぬつもりでつくりなさい
百年続けるつもりでつくりなさい
あなたがひとつの才能をみがけば
神は多くの才能をあなたに与えてくれます

浪人時代に聞いたこの言葉ですが、いまになってもこの言葉の意味を考えない日はありません。

終わりの予測こそが、美術には一番必要な事のように思います。
明日死ぬかもしれないように、
百年続けるかもしれないように、
この大きな矛盾の、どちらでも悔いが残らないように、
そんなふうに、制作するべきだと、日々感じています。

あるとき思った事が、
「終わり」の真の予測さえあれば、
時間に関係なく、どの瞬間も完成している、のだということ。
つくられたものの善し悪しは、かけた時間ではなく、
完成を予測してそこを目指したものであるのかどうか、
そこにすべてがかかっているように思います。

この仕事で生涯終わるのかもしれない覚悟で、
その仕事を百年続ける事ができたら、
それはなんてすばらしい制作になるんだろうと感じます。

いつでも最後の仕事として悔いの残らないように、
今日もこの手に、仕事を与えたいと思います。

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