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ミノムシの神様

阪神大震災から30年弱、まだ私は生きている。

尼崎の実家で被災して、その日からしばらく家には住めなくなり、避難所は当時女子中学生だった私には厳しい環境すぎて、比較的被害の少なかった大阪の親戚の家に制服とお財布と小さな荷物だけ持って、居候させてもらいました。

なぜかそのお家で、ノートとペンを持って、ノートに一日中人や生き物の不思議な絵を描いていました。犬や猫だけでなく、アメーバーやミトコンドリアもいる。それまで獣医を目指して一直線に進んできた私は理科の勉強ばっかりしてきたから、なぜ自分が何も持たない時、何もする事がない時、絵を描くのか不思議でした。

生きている何か証拠のような思い出のようなものを残したかったのかもしれません。死が間近に迫ってくる経験をすると、死が信じられないくらい恐怖になりました。それからしばらくは余震が来るたび、今死んだらこれが最後のダイイングメッセージなのだなと、感じたりもして、死を前にして自分は何をしたいのか、
それは、震災前の風景を、残したい、大好きだった動物たちの形そのもの、命あるものの輪郭を残したいという、強い衝動が胸を打ちました。

何もなくなった時、私は何かを残したいと思う人間で、もしかしたらみんなそうなのかもしれない。それならば、誰かが作るだけ。私は生き物たちが健やかに育ち、暮らす日常を生涯かけて作って残して行きたいと、ぼんやり考えたのを覚えています。

それから祖母の家のあった豊岡市に長期避難して、豊岡の中学に一時転入もさせてもらい雪のなか中学生最後の生活を少し過ごしました。
聞いている音楽の話とか、少し話せる友達もできてとても嬉しかったです。
震災が壊すのは家や物だけではなく、人間関係や希望や、心や、そのほか多くのものが破壊されて、再生には本当に時を要するもののように思います。それでも以前より強くなって、必ず人は再生する。

進学をいきなり美大に変更して、三浪してそれでも第一志望に受からなくて、何もうまくは行かなかったけれど、何とか美術の世界にしがみついて、私は動物たちに引っ張られるように、3次元で形を残す、存在を強くリアルに残せる彫刻の道に進む事になりました。

電気もガスも何もなくなっても、自分がいたら手仕事でできる木彫に出逢ったのは、震災から5年後の事でした。ノコギリと少しの刃物と木槌があれば、木と太陽の光だけで進められる木彫が、自分にはとても心地よく、そして彫刻自体も、木屑も、地球を汚さずいつかは土へ還る。全てが大好きな動物たちにとって理にかなっているような気もして、木彫にのめり込んで行きました。これからもし大きな地震で被災しても、きっと木彫なら続けられる、そんな気もしました。

尼崎の実家には、一本の楠がありました。
地震のあと、家族に手を引っ張られながら泣きながら外へ出るとまだ暗く、何も見えなくて寒くて、それから目が慣れてくると、楠にぶらんぶらんとぶら下がっている、揺れている一匹のミノムシが見えて、
私たちが家を失い、全てを失ってもミノムシはうちの木に昨日までと何も変わらずぶら下がってくれている。家族は幸いみんな無事でした。
神様だ。このミノムシは、とおもいました。

そんな発見から、全ての生き物の中にひとつずつ神様がいるように思っていて、私は彫刻を作る時その子の輪郭の内側にその子が大切にしている信じる神様のようなものたちを、彫り込みたいと願ってきました。

震災から思う事は毎年変わらず、日常は日常ではなく今日は過去で一番美しい日で、私たちは美しいものに囲まれて今暮らしているのだと言うこと、震災前と、後で、変わらない大切なものは、動物たちへの強い尊敬と憧れ。そして最近は、植物や菌類、全ての生物や無生物もただただ美しいと感じています。

生きている限り、作り続けたいなと思っています。

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