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9月28日


11年前の今日に親友ピロは亡くなったらしい。
しかし親友だった私にも連絡はなく、死を知ったのは一年後、連絡があまりにもなくて心配で連絡しまくっていた私に親族の人が手紙でしらせてくれたのだ。ご両親は憔悴しきっていて今は会えない、連絡もできない、と。死因も、心不全としか書いてなかった。
心に大穴があき、私はしばらく何もできなかった。だけど病気で亡くなったんだ、仕方なかったんだと信じていた。調べる方法もないし、家族は密葬したそうなのでおそらく解剖も一切されていない。

10年経った後、もう一人のピロの親友だった人に本当に偶然出会った。展覧会の仕事の打ち合わせをしていて、私の亡くなった親友がこの辺りに住んでいて〜と私が切り出した時、その子は一瞬で固まりついた。ピロの本名を瞬時に語り出したのだ。私は10年前のピロを知っている子に出会って、打ち合わせ中なのに動悸がおさまらず、誰もいなかったら号泣していたかもしれない。
その子が話すには、お葬式も呼ばれていない、半年くらい、海外に行っている、と家族に聞かされていた、と。そして自殺だったのだと聞いたそうだ。
私はピロの命日の1ヶ月前に会っていたが、新しい会社に入ることを語っていたし、何一つ死のにおいなどしなかった。

私は真実が知りたいし、ピロの最後が知りたい。どういう風に人生を終わらせたのか、終わったのか、人生の完成を見せてもらっていないから、いつまで経っても引きずっている。
ピロの好きだった山崎まさよしさんの歌を聞くたびに、ツバメを見るたびに、心の大穴が痛む。

みんな、あまり深掘りしないほうがいいと私に言う。知られたくない事もあると。私は今でもすべてを知りたい。そういう性格だ。
ただ変化した事は、死は自分にとって敵ではなくなったという事。天国にはピロもいるし、先代の月もいるし、父親もいる。
死ぬまで味方だからね、じゃなく、死んでも味方だからね、と言いたい。
だけども、いつも思う。生きていたら今ごろ、どうな風に笑いあえたり、どんな風に暮らしていけただろう。あなたの終わらせてしまったこの世界は、今日も美しく陽が傾いている。あなたが私のように、物事を深く考えず、鈍感であったら良かったなと。私は今でもいつでも、ピロにもう一度会いたい。

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