お久しぶりです。 久しぶりに書きたいことがあったわけで笑 自分は社会人3年目、趣味ではフットサルチームの代表をやってます。 3年目にして課長は3人目、色々なリーダーを早くも見てきたけれど、代表とかリーダーにむく人って 少し面倒な人、細かい人 だと思う。 そうじゃないと至る所に目を配れないし、言い方悪いけど、自分の支配下に置くことなんだと思う。 どちらかと言うと自分も何でも知っていたい、面倒な人なので、向いてると言われれば向いてる。 最近、こんな人がいた 何も妥協して
全く投稿してなかった笑 けどアプリを消していないのはやっぱり心の拠り所が欲しいからなんだろうな。 先日の土曜日で震災から12年。 2年前の女川に行ったが、1年ぶりにまた女川・石巻へ。 午前中は女川。震災遺構の女川交番は何度行っても息を呑む。どうしてもそれが現実に起きたということが信じられない。非現実的な事が現実として、そこで突きつけられる。 女川交番に行って感動したのは、子供連れの家族がいたということ。ショックを受けてしまいそうで、自分が親ならもう少し大人になってからと
メディアの印象操作ってすごいって、ようやく感じた。 切り抜き方がすごい、事実が事実じゃ無くなってることだってある。 最近だとGW。 「公共交通機関の利用率が昨年の〇〇倍」そりゃそうだろって笑笑。去年、一昨年なんて旅行に行く人少なかったよねって。 すごい不安を煽る取り上げ方をする。 「てめぇら家にいろよ」そんな事を言われてる気がしてる。 私は行くところもないので家にいましたけど… 何にも信用出来ない。 ニュースで1番信用出来るのはスポーツの結果ぐらい。
お久しぶりです。在宅勤務の息抜きとして久々に書いてみようかなと。 現状、まだ在宅勤務が続き「必要であれば出勤しなさい」というスタンス。システムも改善したようだし今後もそうなっていくのかな?? 最近、後輩や大学に行っている同級生から就職活動について聞かれることが多くあって、思ったこと書いてみようかな、で今に至る。 なにやりたい?最初にぶち当たる壁だと思う。 もちろん最初から夢を持って勉強をして叶えていく人だって沢山いる。でもそんな人ばかりではないし少なからず私の周りにはあま
ずっと書けなかった。入社して早くも1ヶ月。1日は早かったけど1ヶ月経過するのは遅く感じた。 ところで最近不思議に思うのは、「忙しいから時間が無いのか」ということ。 私はそんな事ないと思うし「忙しい」と「時間が無い」は別物かなとそんな感じがする。 一概に「忙しいから時間が無い」言い訳にしか聞こえなくなってきた。ひにくれものだ。 社会人が言うにはまだわかる。仕事量が多いから終わらない。そりゃ時間もない だけど学生が言う「忙しいから時間が無い」は全くそんなことないんじゃないか
みなさんたくさんの分岐点があったと思います。 人生の選択であったり、買い物であったり、多種多様。 自分にとって重要なことほど長い時間をかけるし後悔させやすい。 そんな時に先輩たちは「なるようになる」「なんとかなる」って言いがち。 確かに一理あるのかもしれない。でも、それはベストを尽くした上での「なるようになる」でなければいけない。 そうでなければ選択を迫られた時、片方を選べば片方に後悔をしやすい。 ただでさえ人間は1人になるとネガティブになる。 後悔をすることは大切。だ
かりゆし58さんに「オワリはじまり」という歌があります。結局好きな歌です https://youtu.be/Vb50GwvHH14 聞きたい方はこちらにw たくさんの人の環境が変わる4月。 ぜひこの言葉を頭の片隅に留めて欲しい。 「始まりは終わり。終わりは新たな始まり。」 当たり前の事だけど、必ず始まりがあると終わりが来るし、終わればまた新しい始まりがある。 何事にも当てはまる気がする。 1番簡単に言えば、生まれて死ぬって事。人間に限らず。 大事なことは、死ん
私が生活する上で忘れちゃいけないと思うこと。それは、、、 表裏一体どーゆーこと? って思うかもしれないけど、私の言いたい事は、 何か感情を抱いたのなら必ずその感情と逆の感情を抱いている人がいるということ。 嬉しいと思っているのなら、必ずどこかで悲しんでいる人がいる。 泣いている人がいるなら、ガッツポーズをしている人がいる。 もっと言えば雨が降っているところがあるなら晴れているところがある。 私たちは常に表裏一体の状況に置かれていることを認識しなければいけないし、
何度も言うように私は小3〜野球をやってきた。 そんな私だが、ことある事に団体競技って言われるのが違和感だ。この違和感を感じたのは中学校入ってからかな。 小学校はめちゃくちゃ弱いチームで、中学校では地区大会を優勝して県大会でも成績を残すぐらいの強いチーム。雲泥の差。 そこで感じたことは、一定のレベルを超えると「個」のレベルをすごく求められる。違和感を覚え始めたきっかけだった。 野球ってほとんど個人競技。 ピッチャーが投げてゲームが始まるが、投げるのは1人、バッターは打つの
私の家庭環境が原因なのかわかりませんが、「大人はずるい」って思っています。 現在20歳で一応大人の部類に入りますが、「ずるい大人」にはなりたくないってつくづく思います。 都合の良いことしか聞く耳を持たず、都合が悪ければ話をそらされ、機嫌を悪くされwwww 私の親に限らないと思いますが、国会議員がどーのこーの、信用できないだの言ってますが、私からすれば親も国会も国会議員もやってる事あんま変わらなくて、自分の都合なんだって思ってしまいます。 そんな大人が選挙で投票すれば選ばれ
今日から春のセンバツ高校野球が開幕したみたい。 文脈を見ていただけると分かると思いますが、あまり高校野球には興味が無いww 厳密に言うと高校野球の全国大会に興味が無い。 地方大会の方がよっぽど面白いとか感じる。 小3から野球を初めて中学、高校と野球型スポーツを部活としてやってきた者からすると、どうも全国大会の面白みが足りない。 理由はうまく説明出来ないけど、全国大会はどうも綺麗な野球の印象。 メディアで取り上げるのも「チーム」より「選手」が多くて、「プロ注目の○○」っ
日常っていつを境にそれが日常になったんだろう。 日常って元は非日常なことが多いと思います。非日常なことが当たり前になってそれが日常へと変化していく。 まさに今のコロナ禍のように。 あるいは東日本大震災の沿岸被災地域のように。 今やマスクが日常。マスク警察なんてのも一時期話題になりましたね。 このことは間違いなくコロナを境に日常が変化した。 沿岸被災地域を見れば、被災前が今となっては非日常。だけど、被災前からしてみれば今の生活は非日常。震災によって日常が変化した。 日
言霊ってあると思いますか? 私はあると思います。 言葉に宿る力は、人の心も動かして時には笑顔を、時には感動を与えます。 今書いてる事も誰かの心に刺されば、言霊のおかげです。 たくさんの人達が様々なコンテンツで発信できる時代。 マイノリティーを発揮するにはもってこいの環境です。 でもこれって、当たり前や昔からある言葉、考えれば普通の事を自分の言葉に言い換えて、綺麗事に変換して発信してるだけなんです。 言い換えるだけで人に与える影響が違う。 多分これって書く人の人格や性
私は、10年前の小5の夏に転校を経験しています。 最近、前の学校の友人に会いたいと強く思います。普段は頭の片隅にしかないのですが、時間が比較的あり、その地域に行く機会も増え、この思いが強くあります。 どうしてもこの思いを発散したくて、友人に話したら、、、 「会えばいいじゃん」 そんな簡単に言うなよ、話す相手を間違えたと思いました。 10年前なんて、しかも小5以来会って無い。 今会えば、初対面にかなり近いし、会うのも緊張します。 確かに転校を経験してない人から考えればこんな
先日、専門学校の卒業式。 私も無事卒業することができました。 「2年間で何を学んだのか」 1年生は嫌でもたくさん勉強した。 検定勉強をたくさんして大変だったけど、1番楽しかった。 2年生は人に頼られるってこの事かと体感させられた。みんなが出来ない事もやらせていただき、貴重で自分にとってプラスになる事が大きかった。 高校で芽を育て、専門で花を咲かせる事が目標だった入学前。 その目標が達成出来たと感じてます。 今やるべき事は、友人に言えなかったことを素直に言うこと。
あの震災から今日で丸10年。 10年前は小学生。今でもすぐにあの時を鮮明に思い出せる。隣は家庭科室で皿の割れる音がすさまじかった。 今週8日に石巻・女川に友人と行った。 日和山公園・旧女川交番。 言葉が見つからなかった。 行く前までは震災は「経験した出来事」にしか過ぎなかった。忘れることは無く、心のどこかにはあったものの深く考えることは無かった。 しかし、今回行った事により「経験した出来事」で終わってはならないと感じた。 現地に行かないと分からないこと。感じられない