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「200字の書評」(353) 2023.11.25



冬の風情です。お変わりありませんか。

朝晩の冷え込みと日中の陽射しに随分差があって、服装に気を使ってしまいます。20数℃の日の次には、冬装備が必要な空模様になっています。偏西風の蛇行は何故起きるのでしょう。気まぐれ寒気団にご注意です。

今回の書評はかなり難航しました。トッドです、下巻は鋭意挑戦中。果たしてどこまで迫れるか。




エマニュエル・トッド「我々はどこから来て、今どこにいるのか?」上 文藝春秋 2023年

歴史人口学とは斯くも細密に歴史を照らし出すのだろうか。その手法で人類の現状と将来を描き出す。家族類型と政治体制、キリスト教とユダヤ教、カトリシズムとプロテスタンティズムなどの対立構造として読むと著者の意図が分かり易い。GDPでは測れない経済実態の反映や、聖書とともに移住した米国のユダヤとの親和性など現代を射ている。言語、表意文字習得、識字率の高さ等の考察は、著者ならではの洞察力と分析力である。




<今月の本棚>


土田宏成「災害の日本近代史」中公新書 2023年

日本列島は常に自然災害或いは人為的な災厄に襲われている。関東大震災に代表される地震だけではなく、大凶作による飢饉も深刻であった。当時それへの対応に習熟していない権力側の不手際の一方で、国際的な支援が寄せられる。こうした支援による生活再建は、やがて他国の災害への支援ということに目が開かされる。このことが世界標準であることに気づかされ、日本の国際化への契機ともなっていく。


桜木紫乃「凍原」小学館文庫 2012年

著者は同郷。その作品からはそこはかとなく漂うのは昭和の釧路。産業は充実し活気に満ち、日本一の漁獲量を誇った水産業、優良鉱であった炭鉱、王子製紙日本製紙の2工場が立地した製紙業、客であふれていた歓楽街。経済力は日銀支店が置かれているほどだった。それがいずれも坂を転げ落ちるように衰退し、人口減少が深刻な地方都市になっている。そんな寂れゆく街を舞台にした警察小説である。描かれている場所は大体見当がつき、登場人物の幾人かのモデルも想像がつく(複数の人格が組み合わされている)。太平洋から湧きあがり街を覆い尽くす濃霧に覆われるような閉塞感と悲しみがあり、それでも生きていこうとする人物がいた。


白井聡/雨宮処凛「失われた30年を取り戻す」ビジネス社 2023年

この国はどこに向かっているのか。深刻な危機感と満腔の怒りをもって語りあう。新自由主義がもたらした格差の一方にある無力感は、前を向く溌溂さを失わせていく。市民生活と遊離し、陳腐化する政治へ向ける矢は鋭い。就職氷河期に直面し、自己肯定感の薄いロスジェネ世代が壊れゆく様に、投げかける同世代の二人の言葉とは。




【霜月雑感】


▼ 毎日のニュースを見るのが辛い。ガザの惨状はジェノサイドそのもの、パレスチナ人を根絶しようとするイスラエルの悪意を感じる。圧倒的な戦力で無差別攻撃を躊躇わず、無辜の民をすでに1万人を大きく超えるほど殺戮している。国連安保理事会は単なるおしゃべりの場と化し、大国同士が無意味な会話を交わす社交場なのだろうか。不戦憲法を国是とする日本は、米国の追随ではなく独自の中東外交を展開してほしい。増税メガネのキシダ政権では無いものねだりだろうか。ウクライナ戦争の影が薄くなっていく。米ロ代理戦争で疲弊する両国の国民が心配だ。


▼ 日の出が遅くなり、夕日の傾きは早いこと。恒例の早朝散歩の一歩は6時半位になっている。厚着をし、マスクをかけ、手袋を履いての防寒装備である。その慰めは山茶花の花、民家の庭先に緑の葉とほのかな紅を見る時寒さを忘れて見入ってしまう。自然は逞しい。山茶花と言えば、イシイヒサイチの漫画を思い出す。少し間抜けな学生がバイト先に場所を確かめる電話をする。すると先方は「今どこにいるのか、近くに何かないか」と問う。「ハイ近くにヤマチャバナという喫茶店があります」と答える。先方の対応は―――言わずもがなだろう。


▼ 熊被害の報道が重なる。動物界と人間界の境が曖昧になっているのだろうか。ヤマにはエサが無いという、人里に出ると食べ物があると知ってしまう。労せずして食べられるなら出てくるのは仕方ないのだろう。どうも地球規模での自然界の変調がそこにはあるのではないだろうか。人や家畜に害を与えるなら、可哀そうだが駆除は避けられない。対処している自治体、ハンターへの攻撃が度を越している。誰も好んで生命を奪っているのではない、過剰な保護論には同調できない。自宅の窓を開けたら熊と目が合った人の恐怖は想像を絶する。道東で猛威を奮ったoso18の脅威は酪農家の経営を揺るがした。釧路市内の複数の友人宅にはエゾシカがえさを漁りに来ているという。キタキツネも現れるという、次はヒグマかもしれない。この現実を知ってほしい。そして我々は動植物の生命をいただいているのだということを忘れてはならない。




★徘徊老人日誌★


10月某日 50年ぶりの邂逅、学生寮で親密だった同期の3人。M井君とはコロナ前には国会前集会などに一緒に参加していたが、K川君とはまさに50年の時を隔てていた。新宿西口の思い出の居酒屋で待ち合わせ。老人3人はやっとの思いで新宿の雑踏を抜けて顔を合わせた。乾杯🥂


11月某日 年下の友人に拉致されてauの窓口へ。ついに携帯城陥落、気に入っていたインフォバーからスマホの民となる。四苦八苦の末、孫娘とLINEでつながり、可愛いスタンプが届く。マアーいいか!


11月某日 整体に行く。コロナ禍で3年ほどご無沙汰していた。ご夫婦で施術し以前と同様硬くなった体を丁寧にほぐしてくれる。また時々通わねばと思っていたら、年内で閉店するとのこと。がっかり。


11月某日 親族がまた一人旅立った。かねて闘病していたが、力尽きたのだろう。私とは波長が合い、子どもたちにも良くしてくれた思いやりのあるお人柄だった。数日前には北海道の知人の訃報が届いたばかり。こうした別れは避けられないと承知しているが、儚いものだ。合掌。


11月某日 お上りさんは銀ブラならぬライオンビヤホールを探してヨタヨタ。集うのは後期高齢者が8人。中には北海道から飛行機で駆けつける強者も。これまた学生寮時代の仲間たち、当時のバンカラの気風が色濃く残る寮で、それに染まらず平らな付き合いをしていた私達同期3人と1期上5人がメンバー。コロナ禍前は年2回は集まり近況を語り、政治を憂え、生存を確認していた。自由闊達で政治の季節の学生時代の話、就職試験の挑戦、生き抜いた現役時代など語り、呑み、大笑い、ジョッキが林立する。白髪禿頭、酔眼朦朧の老人の目には、互いが学生時代の顔に見えているのかもしれない。生命力の強い老人たちは、今しばらく世に憚るのだろう。




歌の文句ではないけれど、日ごと寒さが募ります。立冬が過ぎ二十四節気では小雪、大雪、冬至、小寒、大寒となってようやく立春です。体調を整えて冬を乗り切りましょう。ご健康を願っています。



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