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婚姻届を出す?出さない?

名字が変わるのがさみしい。

婚姻届を出すことをためらう理由は、はっきり言ってこれだけだ。いや、「さみしい」では足りないかもしれない。むしろ「苦しい」という気持ちに近い。

恐らく、少数派だろうなとは思う。

「なら事実婚でいいじゃん」という声も聞こえてきそうだが、事実婚では社会的に結婚と同等の権利が得られないことも多いということを考えると、名字を変えたくなければ事実婚しか選択肢がないというのは、あまりにも悲しいことだ。

ちなみに婚姻届を出すことを「入籍」と呼ぶのは誤りだと、どれくらいの人が認識しているだろうか?結婚するときは、どちらかが相手の戸籍に入るのではなく、新たに2人だけの戸籍を作る。だから相手の名字を選んだとしても、相手の家の人になるわけではない。女性が男性側の名字になるとしても、相手の家の「嫁」になるわけではないのだ。ここを誤解している人は意外と多い気がする。

以下に、婚姻に関する記事をいくつか引用してみる。

入籍とは「それまでの戸籍から削除されて、他の戸籍に記載されること」です。 戦前の旧民法の考えでは、多くの場合、女性は男性の「イエ」に入ることとされていたので、「妻は実家の戸籍から削除されて、夫の戸籍に入る」のが普通でした。つまり「入籍」です。
 しかし、戦後の新民法の下では、男女が結婚する場合は「二人で新しい戸籍を作るのが基本」です。だからほとんどの場合、新戸籍を作るわけで、「入籍」はしません。

(デイリー新潮 2016年6月8日掲載 「入籍」と「結婚」は別モノ! 意外と知られていない「正しい用法」を梶原しげるさんが解説 より)

それぞれが今までの親の戸籍から抜けて「2人だけで新しい戸籍をつくる」のが婚姻です。完全に男女平等です。ただし、今の日本は夫婦別姓ではありませんから、婚姻する時に夫の姓か妻の姓かどちらかを選ばなければなりません。しかし、これもどちらか好きな方を選ぶことができます。これまた男女平等です。
「嫁に行く」とか「○○家に嫁ぐ」とか「○○家の人間になる」というようなことは50年以上も前から戸籍上は死語です。たとえば夫の氏を選んだ場合、夫の親にしてみれば嫁が来たという感覚で、妻になる人の親にしてみれば嫁に出したという感覚なのでしょうが、両方とも同じように親の戸籍から出ていくだけです。テレビドラマなど見ていると(「渡る世間は鬼ばかり」など)50年も60年も前の戸籍に基づいて話が進んでいるようで、困ります。

(元市民課職員の危ない話 誰も教えてくれない戸籍の話 婚姻 3の1 より)

「入籍」は芸能マスコミや一般人にはごく普通に使われるようになったのだが、実は一般の新聞やニュースではほとんど使われない表現である。多くの新聞記者が使う「共同通信社 記者ハンドブック」には、「入籍」は「養子縁組では使用するが、結婚の場合はなるべく『婚姻届を出した』『結婚した』などとする」と書いてある
わざわざ間違った表現を使うことで、「自分の戸籍に入れる」「相手の戸籍に入る」という意識になってしまい、無用なプレッシャーを夫婦の両方に与えるだけである。
「婚姻」と「姓」についての誤解も多い。夫婦で新しい戸籍を作る現在の結婚では、「姓」もどちらのものを選んでもかまわない。しかし男性が姓を変えると「婿養子」と誤解されることもあり、日本では98%もの女性が改姓しているといわれる。「夫婦別姓」も、戦後間もない1950年代から議論されているが、これも前回の「婚外子差別」同様に、「家族の絆を守れない」という保守派の言い分により、なかなか法制化されそうにない。夫婦別姓の国は多いが、それらの国で家族の絆が壊れたということはないと思うのだが。

(サイゾーウーマン 2013.12.05掲載 「入籍」は間違い、正しい「戸籍と婚姻」と「夫婦別姓」についても知ろう! より)

※ちなみに、結婚でも「入籍」と呼ばれるケースとして、こんなケースがあるようだ。

ドラマでも何でも、男性が「結婚しよう」と言えば、それは自動的に相手の女性が名字を変えることを意味しているような今の日本。「じゃあ、名字はどっちにしようか?」という展開を、フィクションの世界で見たことがない気がする。そこを話すことなく「うん!」と泣き笑いで即答できる女性と私の間には、高い高い壁があるようだ。

10年以上一緒にいる彼とはもう家族のようなもので、彼と「結婚すること」自体には何の抵抗もない。法律的に夫婦となって、家族になれたらうれしい。でも、そのためには自分の名字を変えなくてはいけない。それがここ数年どうにも引っかかっているのだ。(彼と何度も話し合った結果、どちらかの名字を選ぶしかない今の法制度で結婚するなら、私が名字を変える方向で気持ちの整理をつけて折れるしかない、という方向で2人の間での「名字をどっちにするか論争」は一応収まっているけれど…。)

「そんなこと?」と言われるかもしれない。

でも、引っかかってしまうのだから仕方ない。

小さい頃から「お嫁さん」に憧れている女性もいると思う。そういう女性にとっては自分が相手の名字になることさえ、この上ない喜びなのだろう。そういう人の意見を否定するつもりは全くない。何を「幸せ」と感じるかは本当に人それぞれだから。

でも私のように名字が変わることに抵抗を感じる人がいるのも紛れもない事実だ。そして現行の法制度では、こちら側にいる人の意見は暗に否定されている。

選択的夫婦別姓制度が導入されれば、夫婦で同じ名字を名乗ってもいいし、別々の名字を名乗ってもいい。どちら側の意見も、それぞれの好きなように形にできる。誰に何を強いるものでもなく、単純に結婚する際の選択肢が広がるだけだ。だから、「選択的」であるのに制度の導入自体に反対する人がいることには驚きと悲しさを覚える。

「そんな考えは理解できない」とか「今さら伝統を壊すようなめんどくさい議論はしなくていい」などと切り捨てるのではなく、「自分には理解できないが、そんな考え方をする人もいるのか」と単純に認めてくれたなら、どんなに寛容な社会になるだろう。

もう何度も自分に問いかけている。

今は子供が欲しいとも思っていないのに、私は名字を変えてまで結婚したいのだろうか?

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