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あなたらしさの眠る場所

小学校低学年の頃までは、無邪気な子どもだったと思う。幼稚園に通っていた頃の記憶はほぼないけれど、友達と一緒に大きな口を開けて笑って写っている自分の写真を見ると、あまりに楽しそうで、何だかほっとしてしまう。

幼稚園から小学校に上がった私は、周りの空気がそれまでと少し変わったことを、幼いながらに何となく察知した。今までのこぢんまりとした場所とは全然違う、大きな建物に、大勢の生徒。確か1学年に6~7クラスほどある大きめの学校で、クラスに同じ幼稚園だった子はいなかったと思う。

入学式の日、ほかの保育園等出身の仲よしグループであろう子たちが同じクラスではしゃいでいるのを見て、羨ましさと心細さが心の中に芽生えた。幼稚園のときには気にしなくて済んでいた『社会性』というものを意識せざるを得ない空間に、突然放り出されたのだ。

小学生時代の細かい記憶はもうほぼ忘れているが、小学1年生から2年生の間に刻まれた苦い記憶が、2つある。

まず1つは給食のときのこと。給食は前後左右の席の5~6人で机をくっつけて班を作って食べることになっていた。今思い返しても、なぜ?と思うのだけど、私の班では「給食のときだけ日替わりで誰か1人を仲間はずれにする」という謎の『遊び』がいつからか始まった。

仲間はずれにする人をジャンケンで決めたのか、誰かが決めたのかは忘れたけど、その日『仲間はずれ役』になった人とは机をぴったりとはくっつけず、班の会話に入れてあげない、という訳の分からないルールだった。何人かがふざけて強引に始まったように記憶してるけど、私にはそのノリが理解できなかった。仲間はずれになるのが自分でも自分じゃなくても、何も楽しくない。

だから何日かたって、班の子たちに「これ、楽しい?もうやめない?」と言ったら、珍しいものを見るような目で見られて、その発言は笑ってスルーされた。意味もなく仲間はずれ役を作り出して楽しそうにしている班の子たちと、仲よくしたいとは思えなかった。

2つめは、ある休み時間のときのこと。私は今とは違って誰にでも自分の話をしたがる子で、たぶん少しうっとうしかったと思う。当時、実家を新築していて、私は新しい家で暮らす日を心待ちにしていた。そんなある日、新しい家に庭ができるのがうれしくてたまらなくて、誰かに言いたくて仕方がなかった。

近くで2〜3人で話していた女の子たちの会話に混ざり、上機嫌で新築中の家の庭のことを話した。少し時間が経ってから、またウキウキと庭の話をし始めたとき、その女の子たちのうち1人から面と向かって「『引っ越したら…』ってその話ばっかり、あんたしつこい!」と言われてしまった。彼女の名前は忘れたし顔もはっきりとは思い出せないけど、私の話をさえぎって発せられた大きな声とそのキツい口調は今でも鮮明に脳内で再生される。

たぶん、私の性格はそこを境に変わった気がする。自分のハッピーな感情を素直に表現すると、それを面白く思わない人がいる。無邪気に話しかけると、それを不快に思う人がいる。

静かに衝撃を受けて、思考が一瞬停止した。

もともとそんなに好かれていなかったのかもしれないけど、今思えば、私の話はあまりに直球な『自慢話』と受け取られていた可能性が高い。それはさぞかし、うざかっただろう。自慢をしているという意識もないほどに、当時の私は周りが見えていなくて、屈託がなさすぎた。もっと、話を聞かされる側の気持ちも考えて控えめに喜びを表現する術を知っていたらよかったのだろうけど、当時はそんなことに思い至ることもできず、ただただハッピーな自分を拒絶されたことが悲しかった。

そうして、学校では控えめでいるようになった。結局小学校2年まで、クラスの中に好きだと思える友達は1人もできず、当然私を好きになってくれる友達もいなかった。当時は下校してから姉妹や年の近い近所の友達と外で走り回って遊ぶのだけが楽しみだった。学校の休み時間は、基本的に教室で本を読んでおとなしく過ごした。本は絶対に私を拒絶したりしない。

幸いなことに、小学校3年生からは新居への引っ越しに伴い、別の学校に通い始めた。転校後はクラスの雰囲気もよく、先生も優しく、休み時間には男女みんなで校庭で遊んだり、それなりに楽しい学校生活を送れた。それでも無意識に、以前のような無邪気さは心の奥に閉じ込めて解放しないようにしていた。

そして、私は家でも何かをこじらせていた。

姉は明るく饒舌で、おもしろおかしく日々の出来事を話す。聞いていると本当に楽しいし、母親も楽しそうに話を聞いていて、いつも姉と盛り上がっているのが印象的だった。でも私が学校から帰ってその日の出来事を話しても、母親はあまり興味がなさそうだった。簡単な相づちが返ってきた後、姉の時のように何か言ってくれるかな、と期待して待っていても、大抵、次に続く言葉はなかった。

姉と私への反応の違いにはっきりと気付いてしまい、母に学校でのことを話すのはやめた。やめても、特に母のほうから聞いてくることもなかった。姉が母にあれこれ話しているのを聞いている間、私は一緒に笑いながらも、心はどこか冷めていて、その時の楽しそうな母の横顔はあまり見ないようにしていた。

私は、『自分らしさ』の核だった『無邪気さ』を心の奥の奥のほうに閉じ込めすぎて、解放できなくなっていた。いつしか、かつて自分の中に無邪気な心があったことさえ忘れてしまっていた。『本当の私』は完全に迷子になっていたのだ。

中学でも高校でも、ずっとどこか生きにくさのようなものを感じていたのは、今思えばそのせいだったのだ。家族といても、友達といても、自分が自分じゃないような気がしていた。『本当の私を分かってくれる人がいたらなあ』と、声にならない叫びを上げ続けていたように思う。だけどその『本当の私』がどんな人なのか、自分でもよく分からなくなっていたのだ。

大学は実家から通えない他県にしようと思ったのも、根底に『本当の私を分かってくれるまだ見ぬ誰かに会いたい』という気持ちがあったからだと思う。とにかく当時の自分がいた息苦しい場所を飛び出して、生きる世界を広げたかった。

母は最後まで私が家を出ることに反対していたけれど、最終的には父が背中を押してくれた。そうして地方の大学に合格し、見知らぬ土地で1人暮らしを始めたときの、あの気持ちを何と表現したらいいんだろう。引っ越しを手伝ってくれた両親を見送り、部屋に1人になると、自然とワクワクした。狭いワンルームには新しい家具だけじゃなく希望が詰まっている気がした。

引っ越し翌日の朝、新品のベッドの上で目覚めると、やっぱり嬉しくて自然とニコニコした。見慣れない天井、カーテン越しに部屋の中に射し込む陽の光、自分だけの空間、新しい生活。町を歩けば、その見知らぬ土地が私を優しく包み込んでくれている気がした。

そうして大学生活が始まると、早々に友達や先輩などたくさんのいい出会いに恵まれた。日々が楽しすぎて、ホームシックになることもなかった。

4年間のうち、実家に帰った回数は両手で数えたら余るくらいだと思う。帰るたびに、「ここに住むことはもうない」という実感が濃くなっていた。実家は嫌いじゃないけれど、地元の空気感がやっぱり肌になじまない気がした。それは今も変わらない。

そんな大学時代に付き合い始めた恋人と、今も一緒にいる。胸の奥に閉じ込めていたはずの無邪気さは、時間をかけて少しずつ顔をのぞかせ始め、今となっては恋人といる時には、自分のすべてが解放されていると感じる。相手の様子を見ながらたまに解放具合を制御しつつも、基本的には無邪気の詰まった心の栓をゆるめておける。それは、それだけで、とても幸せなことだ。

付き合い始めのころは、ケンカをしたり気まずい感じになったりすると、言いたいことがあっても言葉が詰まって出てこなくて、私はかなり厄介で面倒な感じになっていた。そんな私に対して、彼は驚くほど辛抱強く話を聞こうとしてくれた。そういう時に話せなくなる私も含めて『私』だと認識してくれて、その上で、私が吐き出せない言葉の奥にある心を知ろうとしてくれた。

あの頃の私に今の私を見せたら、あまりにたやすく心を解放できていて、素直に感情を伝えられていて、きっと驚くだろう。

ずいぶん遠いところまで一緒に来た気がする。家族じゃないのに、彼はもはや家族以上に心を許せる存在だ。彼と一緒にいるときの自分が一番楽で、力が抜けていて、一番いい。まさか自分を「いい」と思える日が来るなんて、思ってもいなかった。

中学生の思春期の頃、自分の顏も性格も大嫌いだった。嫌いすぎて一度だけ、家で学習机に座ったまま、思いっきり自分の首を自分の手で絞めたことがある。そしてすごく苦しくなって、手の力を緩めて、静かに泣いた。熱い涙がどんどん頬を伝って、情けなくて、変わりたくて、自分が分からなくて、寂しくて、つまらなくて、抜け出したくて。まだ見ぬ誰かに早く出会いたかった。本当の自分を外に出したくて、出せなくて、変われなくて、苦しかった。

そんな中学生の自分に、会いに行って教えてあげたい。
あとでちゃんと、いい出会いや楽しい出来事が、たくさん待っているということ。自分の外見や内面にばかり目を向けていると苦しいから、もっとほかの、楽しいことに目を向けてみてほしいということ。何か好きになれるものを探し出せると、生きるのが少し楽になるということ。何より、中学校の中の世界なんて本当にちっぽけなもので、その外にはとんでもなく広い世界があるのだということを。

当時、ネットが身近にあったら、手軽に世界が広がって、好きなものがどんどん見つかって、もっと息がしやすかっただろうか。

小中高の学校やクラスは、水槽みたいなものだ。たまたまそこに集められた集団で、何年も過ごすことになる。だから、もしそこで心から気の合う人と出会えなくても、絶望することはない。そんな当たり前のことを、当時は知らなかった。

狭い水槽から旅立って、大きな海を自由に泳いでいけば、その先にまだ見ぬ誰かとの出会いが待っている。自分らしくいられる場所が、どこかにある。深い眠りについていた『自分らしさ』が、不意に目を覚ます時が来る。

人生うまくいくことばかりではないけれど、たった1人の人の前だけでも本当の自分でいられることで、心が満たされて、前向きな気持ちでいられる。昔の私からしたら夢物語だったことが、気づいたら現実になっていた。大人になって、こんな気持ちで毎日を過ごせているなんて、予想もできなかったことだ。

高校生のときの自分に、心から感謝したい。あのとき、いろいろ感じて、考えて、あの大学を選んで、合格してくれて、本当によかった。それなしに、今の自分はいない。そして当時、家を出たい理由をうまく説明できなかったと思うけど、それでも娘の決断を尊重して1人暮らしをさせてくれた父に、最大級の感謝を。信じてくれて、ありがとう。

小学校、中学校、高校、大学、会社員時代。それぞれの時代を振り返って思うことはいろいろあるけれど、やっぱり常に視野が狭かったなと思う。当時は自分なりにいろいろ考えているつもりでも、振り返るといっぱいいっぱいで、もっと気楽にやればいいのにな、と思う部分が大きい。多分、今も狭い視野でしか物事を見られていないことに、後から気付くのだろう。

だから時々、数年後の自分の目を意識してみよう。せっかくこうして自分らしさを取り戻して生きていられる日々を、少しでも楽しむために。未来の私は、どんな所に立っているだろう。

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