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今だからそう思えたんだ。【大切な人たちのこと】

ここ二週間くらい、私のなかでいろいろ目まぐるしい変化があった。

あまりの目まぐるしさに、自分の中で整理しきれず、誰かに聞いてほしい気持ちでいっぱいだったけど、聞いてもらうためにはまず文字にしなければならないし、それもきちんと時系列に沿って、必要な背景もしっかり書かないといけないと思ったから、どんどんどんどん後ろ倒しになってしまった。

だけど今日こそは話したい。

今、一人で落ち着ける場所にいる。ここでなら話せる気がする。

その出来事や思った瞬間から時間が経てば経つほど、それについて語る言葉が作り物っぽくなる気がして、「そうなる前に早く書かなきゃ」といつも焦るけど、今日はそういう焦りを捨てて、とにかくゆっくり話します。

こんなにもったいぶるほどの話でもないかもしれないけど、ぜひ、読んでくれている方にもゆっくりしてほしいなと思います。


ハリネズミ珈琲店


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「毒親育ち」にたいする世間の声

一、二ヶ月前から、「毒親育ち」をテーマにしたネット漫画を読んでいる。


主人公は大学生になりたての18歳の女の子。

入学と同時に実家を出て一人暮らしを始めるも、学費や生活費は親に出してもらえずに、奨学金とバイトで工面している。

家族構成は父、母、その子の3人目で、幼い頃は家族仲も良好だったのが、父が腰を悪くして仕事を辞めてから、再就職できずにそのまま酒に溺れる生活となり、母が一人でパートをしながら家計をギリギリで支える生活となった。

経済面で親に頼ることはできないと承知で、私立大学への進学を決めた主人公だが、バイト漬けの毎日でも生活はギリギリ。それに加えてコロナ禍でバイト収入が減ったり、急な出費がかさんだりして、とうとう普通のバイトだけでは足りなくなって、「パパ活」に手を出してしまう…という話。


この漫画を最新話まで読んできて、主人公に共感する部分もあれば違和感を覚えるところもある。

だから、漫画として人にオススメするとか、「面白い!」と評価できるかというとちょっと微妙だ。

それでも、そこに寄せられたコメントを読みながら「毒親」「毒親育ち」について改めて考える機会ができた。


主人公の親が、主人公にしてくれたこと、してくれなかったこと。裕福な家庭と貧乏な家庭。育ちの善し悪し。

コメント欄を見ていると、

「こんな親って本当にいるの!?」
「愛せないなら産むなよ!」
「信じられない。最低…」

のように、「毒親」とは無縁の人生(自分自身や、きっとその周りも含めて)を送ってきたのであろう人たちの素直な感想が溢れていた。

もちろん、

「実際こういう親はいる」
「似た境遇だから主人公の気持ちがよく分かる」

という、「毒親育ち」の当事者だと思われる人たちも意外と多い。

そして、どちらの立場なのかによって、主人公やその周りの人に対する意見も180度変わる。

自分と逆の立場の人の意見を読むのも面白い。

「毒親」とか、そういうテーマについて話すことは世の中ではわりとタブーとされていると思う。

自分がもうほとんど乗り越えていて、「過去のこと」と割り切ってあくまで経験として話すとしても、相手には気まずい思いをさせたり、変に気を遣わせてしまうこともあるから。

だから、そういう気遣いなく、各々が感じたことを素直に話し合っているそのコメント欄を眺めることが、漫画そのものよりも面白いと私は感じている。


そんなこんなで、「毒親」とか「母親」について、自分の立場に置き換えて考えていた。


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知らなかった、母のこと

今までの私は、どちらかというと、「母が私にしてくれなかったこと」に目を向けていたと思う。

もっと愛してほしかったとか、他の人達の母親との関係性を羨ましがったりとか、ないものねだりを何年も何年もし続けてきた。

それがここ最近、「母が私にしてくれたこと」をいろいろ思い出すようになってきた。

(その理由やきっかけは自分でもよく分からないけど、多分先程紹介した漫画の影響もあるのかな…?)


今年の秋、地元へ帰って祖父に顔を見せるついでに、実父にも会った。

そしてそのとき、実父から初めて聞いた話があった。

それは、両親の離婚前、私と弟がまだ小さかったころ、母が児相(児童相談所)に三度ほど通報していた、という話だった。


今まで、あえて話さずにいたことだけど、私の本当の両親が離婚した理由は、実父による暴力(虐待)だった。

両親は私が小学校二年に離婚しているから、それまでの記憶はほとんどなくて、何が実際にあったことなのかも自信がないくらいだけど、覚えていることを少しだけ…


よくある話題で、「自分の一番古い記憶は何か」みたいなものがあると思う。

それで言うと私は、おそらく幼稚園かそれよりも前、団地に住んでいた頃の記憶だ。

仕事から帰ってきた父が、たこ焼きをお土産に買ってきてくれた。それを食べようとした私は、熱くて口から吐き出してしまった。そのことに父は激怒して、私を窓から投げ落とそうとして、母が必死にそれを止めようとしていた。

そんな映像が頭の中にある。

そのことについて、「本当にあったことか」と母に聞いたことはないけれど、これが私の一番古い記憶。


そういうエピソードとしてほかに覚えているのは、小学一、二年生の頃のこと。

私には二歳年下の弟がいて、おもちゃの取り合いか何かでよく喧嘩していた。

そういうことで騒いでいたりするときに、父が弟のお腹を殴ったことがあった。

あとは確か、台所の、手の届きづらい場所にあったフルーツガムか何かを、私が勝手に食べたときだったと思うけど、それについて父に怒られ、私は脱衣場にある室(「むろ」地下倉庫?のようなもの)に閉じ込められた。

私たち兄弟が室に閉じ込められることは、珍しいことではなかった。

正確な広さなどは覚えていないけど、子どもが中に入って立てるくらいの深さはあった気がする。

脱衣場の床に蓋があって、鍵のようなもので留められるようになっていた。

怒られるような悪さをすると、ときどきそこへ入れられて、父が蓋の上に乗り、反省するまで出してもらえなかった。とにかく暗くて怖かった。

そして、離婚の決定的な理由となる出来事が起こる。

それは弟にたいしてのものだった。
(これはあえて具体的には書かないでおきます。弟本人もすでに乗り越えたことだから)


そのことがあった夜、母は弟を連れて実家に帰った。私は家で寝ていた。

翌朝起きると二人がいなくなっていることに気づいて、確か電話をして迎えにきてもらった。


それから間もなく両親は離婚した。

その後は、母方の実家で少しの間暮らすも、母と祖母(母方の祖母は母にとっての継母であり、血縁関係がない)は折り合いが悪いこともあったためか、そう長くは続かなかった。

そして今度は、幼稚園の頃から母親同士ざ仲良くしていた私の幼なじみの家に居候させてもらった。

そのあとに、やっと団地に引越しをして、母と私と弟の三人暮らしが始まった。

それからも、両親の再婚、10歳以上年の離れた妹弟の誕生など、いろんなことがあった。

ものごころついてから、私たち家族の形は変化し続けていた。



「した側」と「された側」

ちょっと脱線したので話を戻す。

実父が懐かしい話として笑いながら、

「母さんに児相に通報されてな~」

と言うのを聞いて、私は正直驚いた。

それがいつの話だったのかまでは聞かなかったけど、私や弟のことを、そこまでして守ろうとしてくれたことがあったんだ、と。


また、実父はそうした思い出について、後悔する気持ちを語りながらも、

「子どもの躾っていうのは犬猫と同じなんだ」

というような台詞も笑いながら言っていた。


私も弟も、当時のことはもう覚えていないことがほとんどだし、覚えていることでも、今思い出して苦しんだりするわけではない。

ただ、そんな風に乗り越えられたことだとしても、それを笑っていいのは、懐かしい話としていいのは「された側」だけだと思っている。

虐待だけでなく、学校や職場での「いじめ」についても、私は同様に考えている。

いじめを「した側」の中には、自分がしたことを大人になるにつれて忘れていってしまうか、「懐かしい話」として笑い話にしてしまう人もいると思う。

一方で、いじめを「された側」は、そういうことがなかなかできない人が多いと思う。

どうしても忘れられなかったり、忘れたと思ってもふとしたきっかけで思い出して辛くなったり、それが原因でその後の人間関係構築に支障をきたしたり…


過去の辛い出来事を「笑い話」にできるようになったときが、乗り越えられたときだと私は思う。

でも、それはあくまで「された側」について。

「された側」がそれをできていない以上、いや、もしできていたとしてと、「した側」がそれを本人の前でするのは傷をえぐることにはならないか…?


私はそんな父の言葉や態度にショックを受けながらも、その場では笑って調子を合わせた。

(そのときは夫と父と三人で食事をしており、弟はその場にはいなかった。)


母がしてくれたこと

そんなことが秋にあったから、余計私は、母のことを考えるようになったのかもしれない。

母は、父を敵に回しても、小さな私たちを守ろうとしてくれたんだ。


それから、子どもの頃に母がしてくれたことを一つ一つ思い返した。

お菓子を作ってくれたこと。
お菓子作りを教えてくれたこと。
学校の工作のために編み物や縫い物を教えてくれたこと。
塗り絵できれいに塗る方法を教えてくれたこと。

中学校に上がったら、英語の勉強を教えてくれたこと。(母も中学生の頃は英語が得意だったと話していた。)

思えば、読書の面白さを教えてくれたのも母だった。

母から勧められた、眉村 卓というSF作家の学園もののSFミステリー小説に、中学生の私はどハマりした。

母から料理を習う、という程のことではなかったけれど、味噌汁の味噌をお玉に取って箸で溶くとか、豚肉を焼くとか、そういうことは教わった。


大人になってからのことも思い返した。

大学からずっと一人暮らしをしていた私が、ある日突然「一緒に住まわせて」と無理を頼んで、母と二人の生活を始めた頃のこと。

(私の家族は波乱万丈すぎて、離れたりくっついたり移動したりを繰り返していた。その当時、母は札幌で一人暮らしをしていた。)

母も毎日、早番のある仕事で忙しくしながらも、私と母娘水入らずの新生活を何だかんだで喜んでくれていた。
(初日こそ、私のその後のことについて心配し、お互い号泣するほど衝突して大喧嘩したのだけれど…)


私のお弁当を作ってくれたこと。
好物の唐揚げを作ってくれたこと。
一緒に食べようと、ケーキを買ってきてくれたこと。
家で一緒に映画のDVDを観たこと。
散らかった部屋を綺麗に片付けてくれたこと。
読んで面白かった本について夢中で話してくれたこと。
職場で貰ったというお菓子を私になんでもくれたこと。


子どものころも、大人になってからも、「母が私にしてくれたこと」は挙げたらキリがないほどいっぱいあった。

思い出そうとすればこんなにあるのに、私は今まで、それらに目を向けず、寂しかったとか辛かったとか、そっちにばかり気を取られていた。


そんな風に思い返し始めたのが二週間前くらいから。


原田マハ『あなたは、誰かの大切な人』を読んで

それと並行して、私が読んでいた本がある。

原田マハさんの『あなたは、誰かの大切な人』。

原田マハ『あなたは、誰かの大切な人』


この本を買ったのは、もう半年か一年近く前のこと。

買う前に本のタイトルをどこかで見知っていて、それが胸に引っかかっていたから、本屋で何を買おうか迷ったときに思い出して手に取ったのだった。


私はこれまで、大げさでなく、自分のことを「大切」だとか、自分が誰かに「大切に思われている」と思ったことがなかった。

自分が死んでも、お葬式で泣いてくれるような人は、親兄弟も含めて誰もいないと本当に思っていた。

もしかしたら母方の祖父だけは、悲しんでくれるかもしれないと思いはしたけど…
(祖父は初孫で、しかも自分にそっくりな私を溺愛してくれている。)


それくらい、自分が「誰かの大切な人」だなんて信じられたことはなかった。


このタイトルを知ったときも、「そうか、私も誰かの大切な人なんだ」と思ったわけではない。

でも、なんだか心に残っていた。


この本はつの短編からなる小説で、そのどれも大人の女性が主人公だった。

それぞれ独立した話だから、急いで続きを読む必要もなく、私は自分の心に余裕があるときに1つずつ読んでいた。

(基本的に、幸せそうな話は心に余裕があるときに読みたくて、そうでない時はミステリー、ホラー、実際の事件をテーマにしたノンフィクション、児童虐待に関する本などを読んでいる。)


この本を読み始めて、私は改めてタイトルの言葉について考えた。

今は、買う前と比べてすこし、この言葉にたいする解釈が変わった。


私は、夫のことを大切に思っている。

夫も、私を大切にしてくれていると感じる。

夫が大切にしてくれるから、私も大切にすることの意味を理解することができた。

そして、夫の両親に会って、二人のことを知るにつれて、より一層その理解を深めていった。


夫は、両親からとても大切に育てられたと、他人の私から見ても感じられた。

実際に会って話した時の雰囲気や、夫が家族とのLINEグループでしているやり取りを見たり、夫から家族の話を聞いたりしたとき。

そういうときに、「この人はあの二人にとって大切な存在なんだ」とわかる。

「元気でいてくれればそれでいい」という、今までの私が自分に言われたら上辺だけの言葉に感じられたような言葉も、本心なんだと素直に受け取れるくらい、「お互いを大切に思い合う人達」を間近に見て、今はその人達に、この私まで大切にしてもらっている。


夫にイライラしたりすることもある。

前まではよく、夫のマイペースさや物足りなさにその感情をぶつけたり、勢いに任せて酷い言葉を投げかけたりもしていた。

でも、この本のタイトルを知って、それを夫やその家族に当てはめて考えるようになってから、そういう自分の攻撃的な衝動にブレーキをかけられるようになった。


夫は私の所有物ではない。

感情のある一人の人間であって、両親から大切に育てられてきて、今も大切に思われている息子である。夫には尊敬し合える親友もいる。

夫のことを大切に思う人達が頭に浮かぶと、冷静になれる。

言葉でうまく説明できないのがもどかしいけど、

「この人を大切に思う人がいる」

と思うことが、私にとってのおまじないみたいになっている。


そんな風に、私はこのタイトルを自分の中に落とし込んでいきながら、同時に小説に登場する主人公やその周りの人達との関係性に思いを馳せていた。



人を大切に思うとはどういうことか

六つの短編のなかで、特に好きだったものがこの二つ。

『月夜のアボカド』

"神様は、ちゃんと、ひとりにひとつずつ、幸福を割り当ててくださっている。"
"いちばんの幸福は、家族でも、恋人でも、友達でも、自分が好きな人と一緒に過ごす、ってことじゃないかしら。"

『あなたは、誰かの大切な人』p77

私と夫には共有できる趣味がこれと言って無い。あれがしたいこれがしたいという欲もさほど無く、何をするにも腰が重い夫に、私は物足りなさを感じることもある。

けれど夫とふたり、平凡な暮らしの中にある当たり前の幸せを、改めて愛おしいと感じられた。


『波打ち際のふたり』

「仕事が忙しいとか、彼とのデートが忙しいとか、なんやかんや理由を作って、めったに帰らへんかったもんなあ。せやけど、親がだんだん年をとってくると、お母はんと私、母と娘でいられる時間はだんだん減っていくんやなあ、とつくづく思う」

田舎で一人暮らしをする母が認知症の兆候を見せ始め、東京での仕事をすぱっと辞めて母の元へ行くべきかで悩む主人公へ、旅仲間の友人がかけた言葉。

この台詞の一番最後、"母と娘でいられる時間"という言葉に、私はドキッとした。

認知症について、私は詳しく知らないけれど、人によってはただ"忘れてしまう"だけでなく、自分の名前や年齢とか、自分が誰なのかさえ分からなくなり、まるで子供みたいになってしまう人もいると聞く。

以前観た映画『ファーザー』でも、最後の方にそんなシーンがあった。

認知症になって、現実に起きていることとそうでないことの区別がつかなくなった高齢の男性が、介護施設の職員に対してまるで幼い子どものように甘えて、抱き締められながら胸の中で泣いていた。

いつか母がそうなってしまったら、私を娘だと認識することができなくなり、立場が逆転してしまうときが来たとしたら…


それはつまり、母と私が"母と娘でいられる時間"が終わった、ということになる。

この台詞を読んでそれに気がつき、急に心がザワザワし始めた。


最初に話したように、私はこれまで「母がしてくれなかったこと」とか、母を責めるような気持ちを抱え続けてきた。

けれどそれは即ち、私が母を「母」だと、いい歳をした大人になった今でも、認識できているからだということの裏返しでもある。

自分が「娘」の立場でいられているから、「母」にたいする欲求不満を持てるということなんだ。

でも、そんな"母と娘でいられる時間"は、永遠じゃない。

突然の事故や病気などがないかぎり、寿命だけで考えれば、母は私より先にこの世からいなくなる。

長生きしたとしても、もしかしたら認知症になって、私のことがわからなくなる日が、いつ来るかも分からない。

今、「母」への不満をこぼせているこの状況だって、それを考えればよほど贅沢なことなんだと、私は気づいた。


その途端、無性に母に会いたくなった。

二人暮らしをしていた部屋を出る一、二ヶ月前、母と顔を合わせるのが苦痛で夜中も外をさまよい歩き、すれ違いの生活をわざとしていた。

ひとつ屋根の下で暮らしていながら置き手紙やLINEだけで会話をし、最後にはお互い酷い言葉で罵りあって、まともに顔も合わせないまま、出ていった。

そのときのこともちゃんと謝りたいと思った。

せっかくの二人暮らしを、当時の自分の状況がどうであれ、台無しにしてしまったことを謝りたかった。

「ありがとう」と伝えたいことばかりどんどん溢れてきた。


夫の好きなところ

それが12月10日(土)のこと。

夫と二人でスタバに行って、そこでこの『波打ち際のふたり』を読んでいたのだった。


その帰り、車の中でその感想を夫に話した。

ついでに、母にたいする気持ちも、本の感想を話すのと同じテンションで話した。

すると、それを聞いた夫が突然「ズズッ…」と鼻をすすり始めたので、泣いているんだと気がついた。

私は他人事みたいに話していたけれど、夫の反応を見て急にしんみりして、そのとき涙が込み上げそうになった。

夫は、

「そっか… ほんとう。良かったね…」

と涙声で言ってくれた。

でも、その泣き方があまりにも激しかったから、私はつられて泣くというよりも、それを通り越して笑ってしまった。

アッハハハハハ!って高笑い。

夫は、私の家族のことも、嫌というほど知っている。私に嫌というほど聞かされてきたから。

だから、私が母とのことについて、こんなふうに前向きに?考えられるようになったことがびっくりで、嬉しいと思ってくれたらしかった。

「良かったね、ほんとうに」

と言いながら、泣き方はどんどん激しくなっていき、

 「ウワァアアアアア!」

と、まるで雄叫びみたいな声まで上げ始めた。

車の運転中で、大きな交差点を通るときだったので、私はそっちの方が気がかりになるくらいだった。笑


私以上に感情を爆発させて、声を上げるほどの嬉し泣きをする夫を見ながら、私は改めて、

(この人のこういう所が好きなんだよな)

と心の中で思った。

(あとで本人にも、大泣きしてたことをイジりながら直接言ったけど😂笑)


夫は、私が悲しいことや怒ってることには、そこまで共感を示さないけど、嬉しいことは私以上に喜んでくれるところがある。

宅録ナレーターとして活動し始めたころは、仕事を一つもらうたびにそれを報告すると、大げさなくらい喜んでくれた。

私がナレーションをした動画は面倒くさがることもなく一緒に見てくれるし、夫のスマホの待ち受け画像は、今でも私の初オーディオブック『どんぐりと山猫』のジャケット画像だ。


一緒に暮らしていると、どんなに幸せなことも、好きなところも、「日常」「当たり前」になってぼやけてしまう。忘れてしまう。


でも、この日あらためて、夫のことが「大切」だと私は思った。


そして、そんな夫が喜んでくれたことが嬉しかった。

私は感情の起伏が激しいし、勢いに任せていろいろ行動しようとするけど、あとで気が変わることだってめずらしくない。


だけど、私が母に会いたいと思った、その前に手紙を書こうと思う。そしてその手紙を妹に託して母に渡してもらおうと思う、という計画に、夫は賛成してくれた。


夫は、

「何年も先に来ると思っていた未来(私が母に会うとか肯定的な気持ちを持つこと)が急に来て、拍子抜けしている 」

と、家に帰ってからポカンとした顔で言っていた。


たしかに、私も本を一冊読んだだけで、ここまで自分の気持ちが変わったり、そこから行動に移すまですることになるなんて思ってもいなかった。

ましてや、以前書いた記事(このnoteのトップページで固定している『あの日、母に抱きしめてほしかった』)を書いたのだって、今年の5月だから、まだ一年も経っていない…


もうこのまま一生連絡も取らず、距離を置いたままでも構わない。

私には家族なんていないものだと思って生きていこう、くらいに思っていたくせに、まさか一年足らずでほぼ180度考えが変わる?なんて…


そんな自分の変化が嬉しい反面、なんだかあの記事を読んでくれた人達に嘘をついたような気持ちにもなって、少し複雑だった。

(もちろん、あの記事に書いたことや、そのときの気持ちに嘘や誇張はないのだけれど…)


それで、私はそれからすぐ妹に連絡をして、会う約束を取り付けた。

元々、11月にLINEで話をしたときに、「来月(12月)に一緒にカフェに行きたいね」と話していたこともあったから。


「父親」の違う姉妹

そんなこんなで、11歳年下の妹と、初めて二人で会った。

一駅しか変わらない場所に住んでいたのに、これまで二人で会うことなんて一度もなかった。

普通の姉妹ならびっくりされることかもしれない…

(妹とは不仲なわけでもなく、むしろ私は妹のことが大好きだった。でも、家族そのものから私は距離を置き続けていた。)


妹と会って、いろんな話を聞いた。

嬉しいニュースもたくさんあったし、聞いていて苦しくなるようなこともあった。

同じ母親から生まれた、血の繋がりのある姉妹であっても、まったく同じ境遇なわけではない。

立場が違えば、考え方も全然違う。

心から同意できないこともいくつかあった。

それでも、家族だからこそ分かり合えることもあったし、会って話ができて、本当に良かったと思った。

もっと早くこういう機会を持てば良かったと思ったくらい。

母が今、私にたいしてどんな気持ちでいるのかも聞いた。

妹が言うには、

「全然気にしてないよ。三人でカラオケ行きたいねっていつも話してるよ。」

ということだった。

私が母とのことでずっと悩み続けていたこと、本を読んで思ったこととか、今回妹と会おうと決めた経緯などを説明すると、

「そんなに悩んでたなんて全然知らなかった…!」

と驚いていた。


私は妹のその素直な反応や、母の話を聞いて、家族と話さず一人で悩みを膨らませ続けていた自分が馬鹿らしくなった。

もっと早く話せば良かった。話せばわかることだったんだな、って。

心が軽くなったし、会いたい気持ちも大きくなった。



その日、妹は私の家に来て、夫と三人で私の作ったおでんを食べた。


妹に会えて良かった。最高の日だった、もしかしたら今年で一番いい日だったかも。

そんな風に、その日は心から思ったし、夫も喜んでくれていた。


仕方ないとわかっていても

だけど…

次の日、朝仕事に行く途中から前日の妹との会話を思い返していた。

そして仕事が始まって一時間も経たないうちに、私の気持ちはどんどん急降下して行った。

(本当にジェットコースター並に起伏が激しく、先が予測できないのが私の心なのですよ…😂😂😂)


なぜかと言うとそれは…


妹と私の間には、一生埋められない溝が間違いなくあるんだ。


ということに気がついてしまったからだった。


私は、家族と一括りにいっても、一番理解し合える存在は親と子よりも、兄弟同士であると思っている。

それは、火曜日にカフェで妹と話しながら気づいたことだった。

兄弟というのは、生まれる時期が数年違えど、基本的に親は同じで、育つ環境はほとんど似ている。

考え方や価値観、つまりその人の人格の半分は、生まれ育つ環境で決まるとも言われている。

だから、その条件がほぼ同じな兄弟同士は家庭のなかで経験することも似ていて、全くの他人と比べてお互いを理解しやすいはずだ。


でも、妹と話しながら、私はそれに限界があると分かってしまった。


妹と私は父親が違う。

私にとっての義父は、私と16歳しか変わらない。

私は義父にたいして今でも肯定的な感情を抱けずにいる。それだけ、一緒に暮らしていた時期に辛い思い出があるからだ。

でも、妹にとってはたった一人の父親であり、妹は父のことも母と同じくらい「大切」に思っている。

父の良くないところは認めつつも、それでもその欠点を「不器用」として大目に見て、そういう部分も含めて、父親を愛している。


私はそんな妹のまえで、義父を悪く言うことはできない。

だから、妹は私の気持ちを永遠に理解できないだらうし、もしかしたら今もこれからもずっと、自分の姉は血の繋がらない父に懐くことができず、嫌っているんだくらいにしか思わないかもしれない。


そうじゃない、と、いくら過去のことを説明しても、想像して理解出来ることもあれば、妹の立場的に「理解したくない」ことだってあると思う。


誰だって、自分の好きなものや人を悪く言われたら悲しいし、気分が悪いに決まっている。

信じているものを否定されたら、それに抗いたくなる気持ちが芽生えるものだと思う。

その意味で妹は、姉である私のことも大切だし、父のことも大切だからこそ、私の義父に対する気持ちや考えを「理解したくない」と無意識に壁を作ってしまうだろう。


家族だからこそ誰よりも分かるけれど、家族だからこそ分からない、分かりたくない。

もしかしたら、全くの他人のほうが、その点では理解してもらいやすいのかもしれない…
(どちか、あるいは両方の肩を持つ必要がなく、第三者として客観的に見られるから)


私は妹のことが大好きだ。

他の家族とたとえ縁を切ることになったとしても、妹とだけはずっと家族のままでいたいと願うくらい。

でも、そんな妹との間にさえ、絶対に、一生かかっても埋められないであろう深い溝があるんだと気づいてしまって、私はひとりで勝手に、急に悲しくなった。


妹は愛情深くて素直でかわいくて、本当にいい子だ。

妹の言葉に悪気なんてない。

妹を責める気持ちも私の中には1ミリもない。

妹にその意図は絶対にないと頭で分かっているのに、そのときの会話を振り返りながら、私の悩みや心の傷を「そんなに?」と軽いもの(ちょっとした反抗期)思われているかのように、私は勝手に感じてしまった。

仮にそうだとしても、「そんなに?」と思われていいたとしたって、それは立場が違うんだから仕方のないことなのに…

なのに、勝手に傷ついてしまった。


妹と話したような、母と三人でカラオケに行ったりご飯を食べたり、映画を観にいきたいと思う。

自分の気持ちがどうこうというのはこの際フタをして脇に置いておいて…

「家族みんないっしょがいい」

と、家族仲良く揃うことをずっと望んでいる妹が喜んでくれるなら、それでいいと思っている。

だから、母と三人で会う約束ももちろん実行するし、年末年始のどこかでは、夫を連れて母たちの家に顔を出し、義父にも会うつもりだ。



自分にしかわからない領域

うん。

こんな心境の変化や出来事が、この二週間であった。

うまく説明できなかったし、結局暗い感じになってしまったかもしれない。


私の大切な人、夫や母や妹が、喜んでくれることが嬉しいと思うし、そのためなら過去のことを、水に流したり忘れたりはできなくても、どうにかその場をやり過ごすくらいはしたい。


「された側」には、忘れることは難しい。無かったことには出来ない。

立場が違う人には分からなくても仕方ない。

でも、「そういう気持ちがある」んだということだけは、否定したり、軽く見ないで(少なくとも本人の前では)しないでほしいなと、思ってしまった。


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そろそろ帰ります。

カフェは23時閉店🦔

そろそろ夫も帰るころなので、私も帰らなくちゃ。

(実は夫は、私の弟夫婦に誘われて飲みに行っていたのでした。😂笑)


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たとえそれが一瞬でも

原田マハさんの『あなたは、誰かの大切な人』を解説文、フリーライター瀧井朝世さんの、心に残った言葉をいくつか紹介させてください。

「人は結局一人なのだ」という言葉がふと胸をよぎるけれど、でも、だからこそ誰かと心と心が繋がる瞬間は奇跡的なものなのだ。

p208

この記事最後の方で話した、妹と私の間にある溝や、そこに感じた寂しさみたいなものもそうですが、いくら家族同士であっても、完全に理解し合うことは難しいんですよね。

でも、たとえすべてを分かり合えなくても、共感できるものがあるって素敵だと思います。

それが趣味でも、物事にたいする考え方でもなんでも・・・

だから私は、SNSで繋がった人たち(直接会って顔を見て話したことがない人たち)にたいしても、その繋がりがありがたいと感じます。

話していくうちにお互いのことを知っていくと、それまでは2次元(ネットの中の人)だったその人の存在が、ある日突然3次元(生身の人間)に感じられる瞬間が来るんです。(私的理論w)

普通に生きていたら出会えなかったような人と出会えて、さらに、限られたやり取りの中で分かり合えることってすごく嬉しいし、確かに奇跡的だと感じます。


大好きな人でも気持ちがすれ違う時はあるし、一生一緒にいられるわけもなく、看取らなくてはいけない時もある。だからこそ、大事な人と繋がる瞬間がいかに貴重かが伝わってくる。

p211

家族にたいする気持ちも、私の場合はころころ変化します。

でも、今「会いたい」「話したい」と思えたこと、そういう自分の気持ちは大切にしたいと思います。

繋がれた人との関係性も、ないがしろにしていればいずれなくなってしまう。だから、その一瞬一瞬を大切にしたいものです。

(そのためにも、自分の気持ちの波をもっと穏やかに保てるようにしたい…!)


読みながら、あるいは読み終えた時、タイトルがじんわりと染みてきたのではないか。(中略)刹那的でもいい、一瞬でも誰かにそんなふうに大切に思われていたことがあるのだったら、人生捨てたもんじゃないと思いたくなる。

p212

”一瞬でも誰かにそんなふうに大切に思われていたことがあるのだったら”という部分、本当に身に沁みます。

ずっとそう思われていなくてもいい。
私自身も含め、同じ気持ちでい続けるって難しいと思います。

家族に対しても友達に対しても・・・大切に思う度合いって波があるかもしれません。

大切に思っていても、自分の余裕がなければ、それを言葉や態度で相手に示してあげることができないことだってありますもんね。

だから私もそれがたとえ一瞬でも、そのときは確かに「大切に思われていた」んだということに目を向けて、自分にはその価値があるんだと信じられるようになりたいです。


さまざまな出来事を経て自分を見つめていく女性たちの姿を追っていくうちに実感するのは、<自分は、自分の大切な人>ということだ。彼女たちはみな、自分と自分のこれまでを受け入れて、これからへと目を向けていく。その姿勢があるからこそ、人は本当に誰かのことを大切に思うことができるし、あるいは自分は誰かに大切に思われていることを信じられるのではないだろうか。

p212-213

(文脈的にうまく切り取れず、いっぱい引用してしまいました…!💦)

最初に話したとおり、私は自分のことを「誰かの大切な人」と思えたことがありませんでした。

でも、夫や義両親の関係性を見て、そして彼らに私も大切に思われているんだと実感したときに、彼らのことを大切に思えましたし、私も「大切にされていい人間」なんだと信じられるようになりました。

自分のこれまでに目を向ける時間や機会を与えてくれたのも、ほかでもない夫ですからね・・・
(仕事を辞めたことでゆっくり考える時間ができたし、カウンセリングに行かせてもらえたことで、「これまで」と向き合えた。)

『あなたは、誰かの大切な人』という言葉を、これからは私も、私自身に言い聞かせていきたいです。

(これを読んでくださっているあなたも、誰かの大切な人・・・!)


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以上、感情ジェットコースターはるねずみによる、激動の(?)二週間の総まとめ記事でした!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!!

次はもっと読みやすく書きます…!!😂

おやすみなさい( ˶  ᷇ 𖥦  ᷆ ˵ )

クリスマス仕様に飾られていました🎄かわいい✨



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