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毒親育ち、カウンセリングに行ってみた。⑤【体験談】

こんばんは!はるねずみです!

今日の晩御飯はこちらでした!

コメダ珈琲 フィッシュフライバーガー


というわけで!キリッ

今回も、前回(6回目)のカウンセリングの振り返りをしていきます!


そして、ありがたいことに最近私のnoteを読んでくださる方が少しずつ増えてきました…✨✨   
(最近投稿した自作ポエムにもスキをいただけて、恥ずかしくて顔から火が出そうになる反面、嬉しいです…!)


そこで、初見の方にいきなり「カウンセリング」と言っても「何のこと?」となりかねないと思い、今回からカウンセリングの目的(下記)を 毎回書いておくことにします。


<私がカウンセリングに行く目的・期待すること>
今私には、ある悩みがあります。これは私だけでなく他の人にも辛いをさせてしまう問題でもあるため、放置はできないと考えました。
ただ、それを解決する方法を自分自身で見つけることができず、もしかすると自分の生い立ちや過去のトラウマが関係しているのではないかと思い、専門家の先生の力を借りようと思いました。
カウンセリングでは、もちとん悩みそのものの解決を目指しながらも、トラウマの克服や対人関係全般における課題を解決していくことを期待します。現在は「EMDR治療」と呼ばれる方法で、過去のトラウマからくるネガティブな感情、不快な生理的反応を減少させるための治療を受けています。


4・5回目のカウンセリングについては、前回の記事でお話ししました。↓


お礼

「カウンセリング」に関する記事は特に、文章が長くなりがちで、あまり面白さのない暗めな内容であるにも関わらず、いつも読んでくださる方、ありがとうございます。

また、最近フォローやスキ!をいただいた方の中には、私のように「毒親育ち」や「HSP」「アダルトチルドレン」とプロフィールに書かれている方が多いことにも気がつきました。

私にはまだまだ、自分のことで手一杯な状態で、自分以外の人のために力になれるようなことはありません。(悩みを聞いたりアドバイスする等)

ただそれでも、自分の経験や、克服していくまでの過程を話すことで、「自分と同じだ」と共感してもらえたり、「自分も人に話してみようかな」というきっかけを作る手伝いができればと思います。


誰にも言えずに悩みやトラウマを抱え続けることの辛さは痛いほどわかります。

最近読んだ本でも、"同じ気持ちを共有できるコミュニティ"に"複数"所属することが、乗り越える近道であるとも書いてありました。

ここに書く(話す)ことで私自身、今まで人に話せなかったきもちを聞いてもらって癒されています し、同じ気持ちを持つ方の寂しさにも寄り添えるなら、この話を書いてよかったと思えます。

読んでくださってありがとうございます!


それでは!
あまり時間が無いのでささーっと書いていきます!
(と言いつつ、結構長くなりそう…涙)



カウンセリング

まずはいつものように、「何か変わったことはありましたか?」と質問されて、世間話から始まりました。

今回は、仕事の話と夫とのことをちょこっと話しました。


家でナレーションの仕事をしています。

とうとう(?)、先生に打ち明けました。

別に隠すようなことではないと思うのですが、「家でナレーションの仕事してます!」と突然切り出しても、「???」という反応をされることが多いので、なかなか自分から打ち明けるのには勇気がいります。


これまでにも「バイトの他に別の仕事もしている」とはお話していたのですが、具体的な内容を聞いた先生は意外そうな顔をされていました。

けれど、「可愛らしい声をしていますもんね」と私の声を褒めてくださり、なんだか嬉しい気持ちになりました。

「仕事は楽しいですか?」と聞かれて少し話が膨らみ、色々と率直な気持ちをお話ししました。


宅録ナレーターという仕事のことも、本当の家族からはあまり肯定的な反応をされてこなかったので、それを仕事の一つとして認めてもらえたことや、興味を持って質問してもらえたことなど、嬉しかったです。



自分に置き換えて考える習慣

夫との話してから少し脱線し、最近読んでいる本の話についてと、それに関連して私の興味のあることについて話しました。


私は、ひとつのテーマ(特に答えの決まっていない事柄)について、人と色々意見交換するのが好きです。

「あなたは~~についてどう思う?」  
「自分がこの立場だったらどうすると思う?」

と話を振ったり、一緒に想像するのが好きです。

軽めの話題であればどなたとでも、重たいテーマの場合はなるべく人を選ぶようにしています。
(自分の意見を言うことにあまり自信がないせいもあります。)

重たいテーマというのは、世の中の悲しいニュースや残酷な事件(殺人事件や児童虐待、いじめ、貧困、ハラスメント等)、社会問題についてです。


本やネットニュースを読んだり、YouTube動画を見たりして、そこに少しでも「自分の身にも起こりうるかもしれない」「自分がそうなってもおかしくない」という可能性を感じると、自分に置き換えてあれこれ考えをめぐらせます。


最近読んでいた本が『家族間殺人』というタイトルで、実際に日本で起きた家族同士の殺人事件をいくつか取り扱ったものでした。

衝撃的事実なのですが、日本で起こる殺人の半数は「家族間」で起きているんだそうです。

互いになんでも話し合えるような仲のいい家族であればいざ知れず、そうでない場合は「家族」であるがために簡単に離れられず、他人のよりも厄介な場合がありますよね。


家族同士で殺したり、殺されたり、ということは、家族の中に加害者も被害者も両方いることになります。なので、その家族たちは「被害者家族」であると同時に「加害者家族」でもあるという複雑な立場になるんですよね。

加害者本人、またその家族について、事件の背景やその後のことなどを詳細に解説しながら、どうしたらそうした悲劇を防げるのかと色んな視点から考えている本でした。

読んでいて辛い部分も多かったですが、自分の家族や人付き合いに置き換えてじっくり考えることができ、私自身の改善すべき点にも気づけたので、読んで良かったと思えました。


私は昔から、他人から「いつも笑っている」「怒ることとかあるの?」などと言われることが多かったのですが、実際は神経質で気性が荒いところもあり、ずる(不正)や曲がったことを許せない、正義感の強さ?のようなものも持ち合わせています。

だから普通にイライラすることもあります。ものすごく感情的になるとその性格が表に出て、心を許している相手に対し、きつい言葉をぶつけて傷つけてしまうことがあります。
(少し前までは、一度そうなると自分でも抑えられなくなることが多々ありました…)


以前どこかで、 

「動機と条件(機会)が揃えば人は誰でも犯罪に手を染める可能性がある」

というような話を聞いたことがあります。


動機だけなら密かに持ち続けている人も多いと思います。でも、そのチャンスや手段がないので実行には移さない事がほとんどです。

ただ、そのどちらも揃ってしまった場合、普段どんなに穏やかな人であっても"絶対に行動に移さない"とは言いきれないんです。


つまり、私もいつ「加害者」側になってもおかしくないというわけです。

しかも、私は毒親育ちということもあり、私がもし親になったときに、自分がされたことを我が子にしてしまう可能性は大いにありえます。
(被虐待児が、虐待をする親になるということ)


だから、こうした事件は私にとって「まったくの他人事」として無視することはできません。

少しでも自分に思い当たることがあれば、

「自分もこの人に似ているところがある。だから私もこの状況に陥れば同じ行動をしてしまうかもしれない」

というように、自分の欠点や日頃の行動を改める機会にするよう心掛けています。


取り返しのつかない事態になってしまう前に、相手に深い心の傷を負わせてしまう前に、「こういうケースがあるんだ」と知り、自分の立場で想像することで、予め対策を考えておくことができると思うんです。


ここまでの大きな事件では無いにしても、仕事でも私生活でも「失敗から学ぶ」ことが大事だと考えています。

小さなミスやおっちょこちょいだったり、自分が損をする位のことならともかく、自分以外の誰かを傷つける恐れがあることは、「失敗してから学ぶ」じゃ遅いかもしれません。

だから、失敗する前にそういうケースを想定して考えることも必要だと思っています。



”違う”を受け入れられる寛容さを

また、価値観は人それぞれ違うので、自分一人で考えるよりも人の意見も積極的に聴いて取り入れるようにしたいです。

私は器が小さく視野が狭く、33歳の今でも欠点や欠陥だらけの人間です。自分と違う意見をなかなか理解したり受け入れることが苦手でした。


それでも自分と真逆なタイプの人と一緒にいる中で、その人たちから"違いがあること"を教わりました。

そして、自分の意見を押し付けることをやめたり、相手の気持ちを想像してみたりして、"違い"を受け入れる、許せる範囲も広げていけたと思います。


どんな事柄であっても、それをどれくらい自分に関係があることとして捉えるかどうかや、どう感じるか、どこまで言葉にするかは、本当に人によって違います。

違うことが当たり前だと受け入れられるようになるためには、もっと視野を広げること、そのためにより多くの人の考えに触れる必要があると思っています。


という感じで…

カウンセリングでは実際ここまで深くは話していません💦笑

その時はただ、私が「何かのテーマについて色々話し合うのが好き。相手の立場になって考える想像力を養う事に繋がると思うから」みたいなことを話しました😂

(カウンセリングの振り返り…のはずが…笑)



EMDR治療3回目

今回も前回の続きからEMDR治療を受けました。

2回目のEMDRでは、初めの1、2周目ではなかなか瞑想モード?に入れなかった私ですが、今回は1回目からすぐに入り込むことができました。

(カウンセリングの時に先生と話して笑ったりもしていたのに、つかの間のテンションの変容ぶりには自分でも驚きました…!)


思い出したくない嫌な記憶を思い浮かべながら、それに関連することやその時の感情に意識を集中させます。


基本的には目を瞑っている状態でそれを先生に伝えるのですが、今回は目を開けて先生の指を目で置いながら話すフェーズ(?)もありました。

 その時はどうしても言葉に出しづらい気まずさ?恥ずかしさ?のようなものを感じました。目を瞑るだけでこんなに話しやすさが違うなんて。


幼少期の頃の思い出と、自分を取り囲む大人たちについて。


思い出せば思い出すほど、

自分は本当に愛されていたんだろうか?
それとも道具みたいに利用されていた?

という疑念がわいてきて、

今、思い出して不快感を感じるのは自分の周りにいた大人に対して?それとも自分自身?

と聞かれると、悩むけど自分自身に対して不快感を強く感じました。


そもそも、私のものの見方がおかしいのでは?
なんでもないはずのことが、私の目を通すと何もかも歪んで見えてしまうのでは?

と、記憶に残った出来事一つ一つを気持ち悪い、不快だと感じる私自身が一番気持ち悪いんじゃなかろうかという気がしてきました。


そんなこんなんで、一連の流れを7~8回ほど繰り返したのち、EMDRを終えました。

1周目から涙が出ていたのですが、真ん中くらいでやはり涙だけでなく鼻水も大量に流れ、またしても先生が慌ててティッシュでおさえてくれました。

すぐそばにティッシュの箱があるんだから自分でやればいいのですが、そうするとせっかく頭に浮かんだことが消えてしまって冷静な頭になってしまう気がして…💦

あとはなんだか、そういうことも含めて、その時その時間だけは自分が大人であることを忘れ、子供のように振る舞うことが許されている気がして、それにも癒されているんです。多分。



教会で懺悔するように

私が目を瞑ってポツリポツリと話すことの全てについて、私は少なからず罪悪感や恥ずかしさを覚えています。

人に話すことは躊躇する、というかできないことばかりです。

だからEMDR治療を受けているこの時間はまるで、教会で神父さんに罪の告白をしている時間にも感じます。

そして先生はそれを咎めることは決してなく、

「そうしてきたから今まで生きてこられたんだよね」

と、無知で幼かった私を肯定してくれます。


だから私は、人に言えない過去を話せば話すほどそれを赦された気持ちになり、話し終わった時には少し心が軽くなっている気がするんです。


この先の不安

正直、まだまだ終わりが見えません。

当初解決したいと思っていた悩み事にはまだ全くと言っていいほど取りかかれていません。

ピンポイントで、コレにはコレ!みたいに治せるものならいいのですが、そうもいかず…

先程のトラウマのように、色々な問題が山積みでそれぞれが複雑に絡み合っていて、その中心に自分の愛着障害のようなものがあるからです。

ただ、そうは言っても回数券も残り数回で、その後また買い足すのか、都度払いで通い続けるのか…

正直、どうしたらいいのかすごく迷っています。


そもそも、私の悩んでいることってわざわざカウンセリングに行って相談すべきことなのか?とも思ったり…

費用を考えると、自分の悩みや辛さの深刻度合いがよくわからなくなってきますね。


とりあえず、今後の流れについて、次回のカウンセリングで改めて聞いてみようかなと思っています。


。°+°。°+ °。°。°+°。°+ °。°。°+°。°+ °。°+ °。

絶対に泣かないために

最後に、今回の記事の表紙イラストについてお話しします。

これは、私の好きな映画『BOY A』の中で出てきた話をイメージして描きました。

心の中のドア

主人公の親友は年齢のわりにとても大人びていて、小柄ながら喧嘩が強い子でした。

二人とも小学生くらいの男の子で、複雑な家庭環境で育ち、孤立している者同士でした。

ある日主人公が上級生から虐められていたところを助けてくれて、それをきっかけに仲良くなります。

その時に、親友が主人公に自分の秘密を打ち明けるのですが、それはその子が実の兄から性的虐待を受けているという内容でした。

すごく痛いし苦しいけど、それでも「絶対に泣かない」と言い、そのために「頭の中に沢山のドアがあって、順番にバタンバタンと閉まっていくのを思い浮かべる。それが全部閉まるまで泣かないんだ。」というようなことを話します。

(最後に観たのがかなり前なので、めちゃくちゃうろ覚えです💦)


私は時々、その場面を頭に思い浮かべます。

色んな(嫌な)ことで頭がいっぱいになったとき、沢山並んだドアを思い浮かべて、奥から順番にバタンバタンと閉まっていくのを想像します。

一つ閉まるたびに一つ、記憶がそこに仕舞われていくイメージです。

そして全部閉まるころには、もう頭には何も残っていない空っぽのすっきりきた状態になります。


カウンセリングのとき、先生から、

「あらゆるものから意識を離して」
「頭を真っ白にして」

という指示をされるのですが、その時にはそういうイメージで考え事を消すようにしています。


誰にも打ち明けることもできず一人で悩んで、辛くて辛くてどうしようもなくて、それしか考えられないとき。この男の子が必死に考え出した方法なんだと思うとすごく切ないです。


『BOY A』はレンタル落ちのDVDを持っていて、もう何度も観ているのですが、観る度に気分が沈みます。

詳しく紹介したかったんですが、私の語彙力が絶望的だったので今回は諦めます😂😂(あーー!悔しい)


*゜。:+*.゜。:+*.゜。:+*.゜*.゜。:+*.゜。:+*.゜。:+*.

最後まで読んでいただきありがとうございました🌟

7回目のカウンセリングは、実は今日(9/9)です!

次回の記事も読んでいただけると嬉しいです!それではまた(*´ω`)ノ

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