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毒親育ち、カウンセリングに行ってみた。④【体験談】

こんばんは!2022年上半期、5本指に入るくらい作ったであろう晩御飯のおかずは「鶏の手羽元さっぱり煮」かもしれない!はるねずみです。

何を隠そう今夜もそうだったのですが・・・

すっかり作り慣れて油断していた私は、ゆで卵を作っている最中スタエフの収録などしていたがために、気が付いたらお鍋のお湯がすっかり蒸発して、殻ごと卵を焼いている状態になっていました・・・(幸い焦げるまでには至ってなかった)

何事も初心を忘れるべからずですね(*´ω`)笑


といういつもの雑談はさておき!

4・5回目カウンセリングに行ってきたので感想をお話しします!(4回目のときすぐ記事にできなかったのでまとめて💦)

3回目のカウンセリングについては、前回の記事でお話ししています。↓



カウンセリング4回目

いつも通り「前回のカウンセリングから今回にかけての間で、何か変わったことはありましたか?」といった世間話から始まりました。(私は、先生とたわいない話(あくまで私にとって)をするこの時間が結構好きです。)

前回はお盆休み前だったこともあり、お盆期間中の過ごし方なども含めて世間話をしていたのですが、その中で夫の家族について聞かれました。


夫の家族について

「旦那さんのご家族と始めて会ったときにどう感じましたか?」

という質問にたいして、私は、

「こんなに優しい人たちがいるんだと驚いた」
「理想的で素敵な家族」
「夫だけでなく私にも、心から愛情をもって接してくれているのがわかる」
「このご両親に育てられたからこそ、あの夫がいるんだ」

など、思いつくままに、当時の感動した気持ちを話しました。

すると先生は、

「決して恵まれたとは言えない環境で育てられたにも関わらず、人の家庭を妬むことなく純粋に素敵だと思えることはいいこと」
「今のあなたがそう思えていること自体がすばらしい」

というようなことを言ってくれました。

私は夫の家族のことを褒めた(本心から)つもりで言っていたので、まさか自分のことまで肯定してもらえるとは思わず驚いてしまい、そこから少し涙がこみ上げてきました…!

世間では、片親育ちや家庭環境が複雑で育ちが悪いとなると、自分の子供には近づいてほしくないと言う親御さんも多くいると思います。悪影響を及ぼされたりすることへの懸念や、どう接していいか分からないという不安もありますよね。

私自身、自分の家庭とのあまりの差に、結婚前は「本当に私でいいんだろうか」と悩みました。

結婚後に仕事を辞めて、定職につくわけでもなく好きなことをさせてもらっていることにたいしても、夫だけでなく夫のご両親へも後ろめたさがありました。

それでも、決して陰でコソコソ嫌味を言われているようなこともなく、むしろ私のしていること(宅録ナレーターの活動含む)を応援してくれていました。

夫の言葉にも裏や変な含みがないように、夫のご両親もまたそういう部分がなく、心底から私たち二人の幸せを願ってくれているのが伝わってきます。

これまで、映画やドラマで見るような「仲良し家族」がどうしても信じられず(というより信じたくなかった?)、家族そのものにたいしてネガティブなイメージを持っていた私ですが、夫や夫のご両親と接する中で確実に考えが変わってきたのを実感しています。



子どもを望む気持ち

「家族」にたいしてポジティブなイメージを抱けるようになってくると、今度は「子ども」にたいしての考えも少しずつ変わってきました。

このnoteの固定記事「あの日、母に抱きしめてほしかった。」でも書いているように、私は自分が母になることなど結婚当初は考えていませんでした。

10歳以上歳の離れた妹や弟の世話をしていたこともあり、子供は好きで、中学校の頃は保育士さんに憧れてもいました。

けれど、心理学や児童虐待について本を読んだり、自分なりに学ぶにつれ、虐待の連鎖が存在するということを知り、自分には子供を愛し育てることは難しいことだと痛感しました。


「自分がされて悲しかった・辛かったことを、親になった自分が子供にしてしまう可能性がある。」

と、将来持つかもしれない子供への申し訳なさのような気持ちがある反面、

「愛されたい、自分が一番大事。」

という自分本位で子供っぽい考えも持ち続けてきました。


長年そんなふうに思ってきた私が、自分よりも子供優先の人生を歩めるはずがない。自信がない。だからこそ、欲しいか欲しくないかではなく、自分が子供を持つべきか持たないべきかで考えてきました。


けれど最近になって、その気持ちが少し変わってきました。

「この人(夫)が子育てをしている姿を見てみたい」
「この人(夫)に似ている子が生まれたらきっと可愛いだろうな」
「二人の生活も楽しいけど、子供がいたらもっと楽しいかもしれない」
「お義父さんお義母さんに孫の顔を見せられたら喜んでくれるだろうか」

というようなことをふと思い浮かべるようになったんです。


一緒に生活する中で、どんな場面でも支えてくれた夫にたいする信頼と、「もらった分を私も返したい(人に与えたい)」という気持ちが強くなってきたんですね。

自分自分!だったのが、少しずつ気持ちに余裕が生まれてきたのかもしれません。


子育てによって心の傷を癒せる?

また、自分が親になり子育てをするにあたって、

「自分がしてもらえなかったことを自分の子供にしてあげられれば、自分の心の傷も間接的に癒すことができるのではないか」
「子育てを通して、人間的に未熟な自分が成長できるのではないか」

とも考えました。


それらのことを先生に正直に話したところ、先生はまるごと肯定してくれました。

私が、

「こんなふうに考えること自体がエゴなのかもしれない」
「それに、自分がされて嫌だったことをしてしまうのではないかという恐怖や不安はある」

というネガティブな心境も打ち明けると、エゴであるという部分は否定しながら、

「そうしたことを自覚しているかしていないかでは大きな差がありますよ」

と、安心できるような言葉を投げかけてくれました。

「あなたの代で、世代間の連鎖を断ち切ることができたらいいですよね。」

とも言ってくれました。

虐待された子が親になり、その子へと虐待が連鎖するという不幸な事件は後を絶ちません。 そうした事件の背景を知れば知るほど、希望を見失いそうにもなります。

生まれた時からの悪人などいないのに、育った環境がその後の運命の半分を決めてしまう。

さらにそれが連鎖しているのだとしたら、一体誰を責めることができるのか?自分は普通の人生を歩む資格はないのだと、ただ諦めるしかないのか。

出口の見えない悩みを抱え続けていたけれど、先生に打ち明けてみて、自分の心境の変化も含めて肯定してもらうことができ、とても気持ちが軽くなりました。


毒親育ちは地雷?

今まで私は、自分のような生い立ちの人間が「子供が欲しい」と思うこと自体が、「無責任」「エゴ」「また不幸な子供を増やすつもりか」と非難されても仕方の無いこと、悪であるとすら思っていました。

誰からもそんな風に言われたことはないですが、勝手に一人で罪の意識を持っていたんですよね。


以前Twitterで、

「毒親育ちは地雷。毒親育ちは履歴書に書くことを義務付けるべき。」

という趣旨のつぶやきを目にしたことがあります。

この言葉を読んだとき、強いショックを受けました。

親が子を選べないように、子もまた親を選ぶことはできない。血がつながっていて顔かたちが似ていたとしても、人格までまるきり一緒とは限らない。

自分が選んだわけではない運命によって、その後のチャンスさえ奪われてしまうのはものすごく理不尽なことだと思います。

片親育ちや毒親育ちの子供が必ずしも非行や犯罪に走ったり、人を傷つける問題行動を起こすとは限りません。それなのにどうして「どんな家庭で育ったか」まで説明し、それによって差別されなければならないのか。


少し話は逸れますが、私は転職活動中に面接で家族構成を聞かれたことがあります。そのときは正直に家族のことを話し、結果的にその会社に入社することは叶いました。

ただ、やはりそうした説明を求められる場面では「どう思われるだろう」と内心動揺します。「育ち」を見られているのだと委縮してしまいます。


育ちの良し悪しで品定めされるという世間の風潮があることを経験上知っているからこそ、全て知った上であたたかく包み込んでくれる夫や夫の両親には心底感謝をしています。たとえ「子供」「孫」という形でなくとも、恩返しをしてきたいです。



心理テスト

4回目のカウンセリングでは、心理テストを受けました。

先ほどの会話のあと、前回の続きでEMDR治療をするか、それ以外のことをするかを選ぶことになりました。

EMDR治療の効果は前回実感していた(今までになく自分をさらけ出すことができたことから)のですが、何度も嫌な記憶を繰り返しては説明する、という治療で心に負担もかかると感じていました。

そのため、今回は何か違うことを間に挟みたいな、という気持ちから、別のことがしたいと申し出ました。

すると先生から、「心理テスト」を提案されました。それが、「TEG(東大式エコグラム)」です。


TEG(東大式エコグラム)

対人関係におけるストレスのかかり方や課題を探るための心理テストということで、全53問の質問に対し「はい」「どちらでもない」「いいえ」の三択から答えていき、各項目の合計点などによってその傾向を分析するというものでした。

項目は5つあり、それが下記の通りです。

交流分析では、人には親の自我状態(Parent:P)、成人の自我状態(Adult:A)、子どもの自我状態(Child:C)の3つの自我状態があるとしました。
そしてさらに、親の自我状態を批判的な親(Critical Parent:CP)と養育的な親(Nurturing Parent:NP)、子どもの自我状態を自由な子ども(Free Child:FC)と、順応した子ども(Adapted Child:AC)のそれぞれ2つに分け、全部で5つの自我の機能として表しました。

引用元:心理学用語集サイコタム


  • あまり時間をかけずに直感で正直に回答すること

  • なるべく「どちらでもない」は選ばないこと

と指示され、サクサクチェックをつけていきました。


私の結果は、下のグラフの通りです。

N型(「優しいサリー」)と呼ばれるタイプに似ている


CP・NP・A・FC・ACそれぞれの数値に●をつけ、線で結んだ折れ線グラフです。私はNPが最も高く、次いでAC、Aは極めて低いという結果でした。

このグラフをコップに見立て、その上からバケツをひっくり返して水をこぼしたとき、どれくらい水がたまるか?

それがすなわち対人関係において受けるストレスの量だということでした。

私の場合、Aが極端に低いことによってかなりの水が溜まることがわかります。


私のグラフを先生が分析したところによると、

NP・ACが高いことから、頼みごとをされると嫌と言えず、優しさをもってそれを引き受け、他人に尽くしてしまう。Aが低いため冷静に物事を判断する能力(客観性・知性)が低い。深く考えずにその場を乗り切るために自己犠牲を払うが、それに対する見返りは得られないことでストレスを感じやすい。

ということでした。(ちょっとうろ覚えですが💦)


本当にその通りだなと感じました。

私は昔から、人から良く思われたい一心で仕事でもプライベートでも頼み事は断らず、利用されているのでは?と感じても、口にすることで離れていかれることの方が辛いと考え、気持ちを押し殺し、心の中にストレスをため込んでいました。

自分が我慢することで関係を維持できるなら、と思いつつ、無理をしながら付き合うことはやはり苦痛で、気持ちに余裕がなくなると、人間関係すべてから逃げ出したくなることも多々ありました。


今回の私の場合、コップに溜まる水の量を減らすためには、Aを上げ、ACを下げる(するとFCは下がる)ことだと説明されました。

幸い、Aは本人の努力で上げやすい要素だということで、それを聞いて少し前向きな気持ちになれました。


A(冷静さ・客観性・知性)を上げるには、日頃から物事を判断する際、

  • 直感だけを頼りにすぐさま決定するのではなく、じっくり考えてみる(将来的にプラスになることか?客観的に見てどうか)

  • 自分以外の誰かに意見を求める(「~について~してみようと思うんだけど、どう思う?」等)

ということを習慣にしていくとよいということでした。


対人関係における自分のストレス傾向が明らかになり、そして解決すべき課題が見つかったことで、より前向きな気持ちになれた気がします。



カウンセリング5回目

5回目のカウンセリングでは、世間話タイムはほぼ無し(4回目からあまり日が空かなかったので私の話題がなかったため笑)でした!

「辛いと思うけど、前々回の続き(EMDR治療)をしませんか?」

と先生からの提案を受け、5回目は最初から最後までEMDR治療の時間となりました。(しんどいとは言え避けては通れぬ道、そして回数券も有限である…)


治療は以前と同様、私の座るソファの前に先生が少し距離を置いて座り、前回と同じエピソードを頭に思い浮かべるところから始まりました。

前回のEMDRから結構日が経っていたこともあり、最初の2回くらいはなかなか集中できず、

「今どんなことを考えていますか?思い出したことがあれば教えてください」

と言われても、

「特にありません」

と答えていました。

この日は予約時間が普段(19時)と違って17時半でバイト終わりすぐだったということもあり、なかなかすぐそっちに思考を切り替えられなかったんだと思います。


ただ、それでも3回・4回と繰り返すうちに、色々な感情や、そのエピソードと少し関係のあるような出来事を思い出し、それらを素直に口にしていきました。

するとやっぱり自然と涙が出てきて、最終的には鼻m(ry


それは何度思い出しても気持ち悪いな、最低だな、という不快な記憶でした。これまでの人生で誰にも打ち明けたことのないことでした。

それでももはや、先生にたいしては何でも話せるようになっていました。というより、少しでも関係がありそうなことなら話した方が治療にも意味があると思っているので、自ら進んで話しました。


というわけで、5回目はすべての時間をEMDR治療に費やし、あっという間に終わりが来ました。

今回もマスクが汚れてしまい、帰り際に

「マスクの替え無いでしょ?」

と先生に心配されましたが、前回のEMDR治療の際に、個包装された替えマスクを先生からもらっていて、そのうちの1つを鞄に忍ばせていたので、先生がお会計の準備をしているときにちゃっかり替えていました🤣笑


この日はそのまま、まっすぐ家に帰りました。

帰宅すると、私より先に帰っていた夫がカレーを作って待ってくれていました。


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こんなお父さんが欲しかった

先生のようなお父さんが欲しかった、と帰り道にひとり思っていました。

何を話しても否定することなく「そうだったんだね」と受け止めてくれ、涙を流せば心配もしてくれる。

(先生は仕事なので当たり前だけど)私が機嫌を取ろうとせず、自分のことだけに集中して思ったことを思ったように伝えても怒ったり不機嫌になることはない。

そんなお父さんがいたらどうだったかな、と想像しました。


実父と暮らしたのは小学校2年生まで、小学校5年生からは義父と”その家族”との生活。その中で、父親に甘えたり頼った記憶はありません。(忘れているだけで、幼児期にはあったのかもしれないけど…)


実父も義父も、躾にはかなり厳しい人でした。

食べ残しかなにかをして、室(むろ)の中に閉じ込められたこともあります。(蓋の上に父が乗っていて、中から開けることはできませんでした。)

義父には気の利いた話題を自分から率先して話しかけることを強制され、うまくできなかった場合は嘲笑されたり、逆に不機嫌になられて後で母に叱られたりしました。


父や義父だけでなく、祖父母や母にたいしても、

自分の思っていることを素直に話すことはできませんでした。


自分が良くないことをしてしまったとき、その行動について𠮟られたり否定されることには納得がいき反省はしても、自分が今どういう気持ちなのか、ということまで否定されることに耐えられませんでした。

だからいつしか、そういうことは最初から言わなくなりました。


先生のように、私が自分の気持ちを、否定されるかや不機嫌になられるかなどを恐れず素直に打ち明け、それを事実として受け止めてくれるような人がお父さんだったら、どんなに幸せだったろうと想像して、少し悲しくなりました。

世の中にはお父さんっ子、お母さんっ子と自称したり呼ばれる人がいるけど、私はそのどちらでもない。

お父さんが大好き!お母さんが大好き!と声を大にして言える人のお父さんやお母さんは、きっと先生みたいな人なんだろうなと思いました。



8回分の回数券を購入し使い始めたのはカウンセリング3回目から。

なので、逆算すると回数券を使ってカウンセリングに通えるのは残り5回。先生に会って話を聞いてもらえるのもあと5回。

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今回も最後まで読んでいただきありがとうございました!

6回目のカウンセリングは明日です!
なのでリングフィットも後回しに大急ぎでこの記事を仕上げました🤣💦(←言い訳はいいから運動せい笑)


次回の記事も読んでいただけると嬉しいです!それではまた(*´ω`)ノ

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