見出し画像

毒親育ち、カウンセリングに行ってみた。③【体験談】

こんにちは!SNSを休んでみたら戻れなくなってしまった、さぁどうしよう・・・はるねずみです。

とは言いつつ、noteはなんとかマイペースで更新できています。

読んでくれる人がいる…待ってくれている人がいるかもしれない…という、それが支えになっています。ふとしたときに、誰かに思い出していただける存在でまだかろうじていられていることが嬉しいです。

ありがとうございます!!!!( ;∀;)


さて、私は先日3回目のカウンセリングに行ってきました。

2回目から1週間ちょっと空けての予約でした。(予約を入れるペースは、金銭的なこともあるのであくまで無理のない範囲で、ただ理想としては1週間~10日くらいの周期が良いと先生から言われました。)

2回目のカウンセリングについては、前回の記事でお話ししています。↓


3回目のカウンセリングでは、いよいよ「EMDR」という治療を始めるという話でした。

前日あまり眠れず寝不足で、「こんな状態で行っても大丈夫だろうか?何か準備しておくべきだったろうか?」と思いながら、バイト終わりに軽く食事を済ませて時間を潰し、カウンセリングルームへ向かいました🍔

今回も、カウンセリングルームへは地図を見ないとすんなりたどり着くことはできませんでした。でも、多分4回目は見ないで行けそうです(´ω`*)


カウンセリング

EMDRについて再説明

まずはカウンセリングシートを見ながら前回の振り返りと、2回目のカウンセリング後のことなどのヒアリングから始まりました。

私は「家族」に対して強い嫌悪感を抱いていること、また、それに紐づく生理的な不快感情など…それらを切り離すために、EMDR治療をしていこうという今後の方針について、先生から説明を受けました。

この治療では、過去の出来事や記憶を消してなかったことにするものではなく、そこに紐づいている感情(不快)のレベルを下げることを目的としています。そのレベルが下がることで、そこから生じる反応も和らいでいくということですね。

なので、治療は一つ一つの出来事(エピソード、記憶)をターゲットにしているため、あくまで対処療法的なものかもしれません。ただ、私としては頻繁に思い起こされる記憶と不快感・嫌悪感が和らぐことで、他の部分にも相乗効果があらわれることを期待しています。


短気的・長期的な人間関係

カウンセリングの中で、今回は私の「家族以外との人間関係」に焦点を当てて話を聞かれました。


私は基本的に、人付き合いが苦手です。
もっと具体的に言うと、長期的な関係を前提とした付き合いが苦手です。

人の顔色、声色、使う言葉、仕草から、相手の気持ちを探ることは得意な方、というかかなり敏感です。相手が何を求めているかを常に察知して動こうとします。

そのため、初対面や短期的な付き合いはどちらかと言えば得意、あまり苦ではない方です。とにかく、そういう自分の得意なことをフルに働かせれば良いので…(多少無理をしてでも「その場だけ」と割り切って頑張ればいい)

ですが、長期的な関係が前提となると、そうした性質が裏目に出ます。

感覚を研ぎ澄まさせっぱなしでは物凄く疲れてしまうからです。かといって、そうしなければ「相手を不快にさせるのでは」「嫌われてしまうのでは」「私に怒っているのでは」と、相手の反応を気にしすぎてしまうんですよね。

人付き合いが苦手と言っても、決して「人が嫌い」というわけではなく、むしろ逆?かもしれません。とにかく「嫌われたくない」「いい人(優しい)と思われたい」「必要とされたい」という感情が強いです。


ただ、そうした気持ちが強い分、人の「悪意」にもすごく敏感です。

・陰口
・マウントの取り合い
・いじめ、嫌がらせ
・ルール違反
・自分の利益のために人を利用する
・人を下げて自分の株を上げる
・恐怖で周りを自分の言いなりにさせる

こういうものを見たり感じ取ってしまったとき、その人と関わるのが「怖い」「嫌だ」と強く思ってしまいます。

世の中は漫画やアニメのヒロインみたいに心が綺麗な人ばかりではありません。学生でも社会人でも、あからさま加減は違えど、そういうことをする人は少なくありません。陰で、わからないようにする人もいれば、傷つける目的で、誰にでもわかる形でする人もいますよね。


こういう「悪意」をどう捉えるか。
そして、悪い部分だけでなく良い部分を見ることができるか、自分の課題と他人の課題にきちんと線引きできるかどうかが、人間関係で苦労する人・そこまで苦労しない人の分かれ道なのかもしれません。

たぶん、私が苦労している理由は、自分を「傷つけられたくない」という気持ちが強すぎるあまり、「悪意」にばかり敏感になっているせいですね。


。°+°。°+ °。°。°+°。°+ °。°。°+°。°+ °。°+ °。


職場の人間関係

まず、職場での人間関係について聞かれ、「今の職場(コールセンター、派遣)では人間関係で困ってはおらず、楽しく仕事ができています。」と答えました。

その理由としては、

・大人数が働く職場であり、入れ替わりも早い
・座席が日替わりのため、隣になる人がランダムである
・良い意味で互いに関心がない
・(コロナの関係もあり)昼休憩は一人で取る人が多い

現在の職場

ということが考えられます。


これまで人間関係で悩んできた職場(事務職)では、

・少人数で仕事を分担している
・事務員は異動がなく、退職しない限りメンバーは固定
・社内外の人間の噂話や愚痴で盛り上がることが多い

過去の職場

という感じでした。(昼休憩の取り方は会社ごとに異なりましたが、会話をしながら一緒に取ることが多かったです。)


つまり、現在の職場(派遣社員)での人付き合いは私にとって「短期的な人間関係」であり、過去の職場(正社員)での人付き合いは「長期的な人間関係」でした。

人の入れ替わりが少なく、この先ずっと毎日同じメンバーで仕事をしなければならず、いつ自分の陰口を言われるかわからない環境では、絶対に関係をこじらせるわけにはいきません。

話しかけるたびに名前を呼びかけ、自分から挨拶をし、仕事以外の会話もしながら漫画や本の貸し借りもし、旅行に行けばお土産を買ってくる。こうした日常のコミュニケーションも大事にすることで、仕事が円滑になればと努力しました。

頼まれた仕事は基本的に断らず、一度で覚えられるようメモを取りながら教わり、あとでまとめ直してマニュアル作り。(マニュアルが存在しない職場だったため)ミスを防ぎ効率よく仕事を回すために、自分に何ができるか、を常に考えて動きました。


けれど、結局職場の雰囲気はリーダー的ポジションの考え方次第で、良くも悪くも左右されます。

コミュニケーションが苦手で極力会話を最小限にしたいタイプの人であれば、声を掛け合いながらの仕事が良しとされず、その結果、顔色を伺いながら作業することとなり、責任の所在が不明確になったり、行き違いになったり、コミュニケーション不足による人的ミスも多発していました。

陰口や犯人捜しなど、恐怖政治をするタイプの人であれば、皆が標的にならないよう疑心暗鬼になり、共通の敵を作ることで結束し、派閥も生まれていました。まさに、今日の仲間は明日の敵。うまく立ち回れない新人さんは仕事を教えてもらえないまま現場に立たされ泣いている、ということも珍しくない光景でした。それを表立っては声をかけたり手助けもできない状況がありました。


ただ、これはたまたま私の仕事運が悪く、そうした職場に当たってしまったのかもしれません。

それでもこうした経験から、私は「長期的な人間関係」が苦手だと自分なりに理解しました。


。°+°。°+ °。°。°+°。°+ °。°。°+°。°+ °。°+ °。


友達付き合い

すごく恥ずかしいことなのですが、私は「友達」と呼べる人が今誰もいないに近いです。

自分がその人を「友達として認めていない」というよりも、「友達と呼んでいいのかわからない」の方が近いです。どこからが友達で、そうでないのかもわかりません。


会ったりはしないものの、時々連絡を取り合う人はいます。ただ、基本的にそれは相手の恋愛の話を聞く、くらいの関係性です。「ご飯に行こう」と、それとなく誘ってみても社交辞令で終わってしまうため、私もそれ以上言うことはなくなりました。


そして、これまで長く付き合ってきた友達がたった一人だけいましたが、最近絶縁状態になりました。

私が良かれと思ってしたことが、彼女にとってはきっと「裏切り」「傷つけられた」と感じたのだと思います。

ただ、このことについて私はそこまで後悔もしていません。

相手の機嫌を損ねないように話を合わせたり、欲しがっている言葉をあげたり・・・

住む場所が離れ、会うのが年に数回になっても長く親友を続けていたのは、「親友と呼べる友達がいる私」に固執していたからだと思います。友達が一人もいないなんて惨めだと、ただ見栄のために無理をしていた気がします。


母との関係もそうです。

母に愛されたい、母と仲のいい娘、そんな親子関係に憧れて、自分の本音は押し殺しながら機嫌を取るために振舞ってきました。そうしないと、関係を維持できなかったからです。

友達との関係もそうやって維持してきました。

長く付き合うためには、いかに自分を殺して、相手を優先させられるか。

でも、そんなだから、一緒に過ごしている時間もだんだん「疲れる」と感じるようになり、いつの間にか会うことが楽しみだと「思いこむ」ようになっていきました。


多分、今の私はそんな風にでしか長期的な人間関係、友達付き合いができません。だから、そういう人間関係が「欲しい」とも思わなくなってきました。

長く一緒に居ようと思えば必ず無理が必要になってしまう。それと同時に「悪意」にも敏感だから、深く関わるのも怖い。


先生には、そんなようなことを簡単に説明しました。
とにかく、人間関係でいつも悩んでいて、同性の友達はいない、友達がいればいいな、とは思うけど・・・というようなことを。


EMDR治療1回目

小学校3~4年生くらいの出来事

カウンセリングが終わり、1回目のEMDR治療をしてみることになりました。

あらかじめ先生に話してあったいくつかのエピソードの中から、今回は「小学校3~4年生くらいの出来事」に的を絞りました。

具体的な内容はここでは書けないのですが、私が頭から消し去りたいくらい大嫌いな記憶の一つで、今も月に3~4回は思い出しています。

また、それに近い悪夢を見ることもあって、カウンセリングの前々日にも見ました。一番嫌な場面で「やめて!」と大声で寝言を叫び、隣で寝ていた夫を驚かせました。笑


カウンセリングのときから、私は一人がけのゆったりとしたソファに腰かけていて、そのまま先生が少し距離を取って目の前に座りました。

ターゲットとする出来事について、目を閉じて具体的な場面を頭に思い描きます。

そして、ゆっくりと目を開けると、先生が右手の人差し指と中指を揃えて立てて、それを左右にゆっくり振り始めます。

私はそれを”目だけ”で追うように指示され、場面を頭に浮かべたままで眼球を左右に動かします。

振り子のようにしならせながら、先生の指はだんだん速さを増していき、目で追う動作に集中しながら、他のことを考えずに出来事をできるだけ頭から離さないよう意識しました。

何往復かすると、また目を閉じて鼻からゆっくり息を吸い、口から深く吐くように、そして、その時湧き上がってくる感情や、思い起こされたことをしっかりと感じるように言われます。

この繰り返しを何往復かしました。(おそらく4~5回くらい)


こんなことをして本当に意味があるんだろうか?
「指をふる」って、プリン(ポケモン)みたいだな…
糸にぶら下げて揺られる5円玉を見る、みたいな催眠術あったなぁ。


治療前や初めのうちは、そんなことも思っていましたが・・・


実際に受けてみると、思った以上に自分の隠れていた感情が表に出てきた実感がありました。(もしかして、私洗脳とかされやすいタイプ?(;'∀')w)


特に、指の動きを見たあとで、深呼吸をして目を閉じて、色んな感覚に集中している時間。

その時に、どんな感情が出てきたか、何を考えていたかを先生に聞かれて答えるのですが、それが回数を重ねるにつれ具体的なものになっていきました。


初めは、なんと答えれば良いのかわからず、

「気持ち悪い」「良くないこと」「恥ずかしい」

と、漠然とした感情を伝えていたのですが、

具体的に思い浮かべながら、湧き上がる自分の感情とを照らし合わせてみると、この出来事にどうして自分がここまで執着しているのかが、なんとなく見えてきた気がしました。


当時の幼かった自分が、どんな気持ちだったのかを想像し、誰にどうしてほしかったのか、思いつくままにそれを先生に言葉で伝えました。

自分でも恥ずかしくなるほど、涙と鼻水が止まらなくなり、それでも、意識をそらしてはいけないと思い、鼻をかんだりはせずにそのまま治療を受けていました。

涙で視界はぼやけるし、マスクの中は涙と鼻水でドロドロになり、しまいにはマスクの下から首筋にまで鼻水が流れてきて、そのときにはさすがに先生がティッシュでそれをおさえてくれました。(汚い話ですみません💦)


幼い頃の自分、そして今大人になった自分、結局こだわっているものはほとんど変わらないままで、母の愛にしがみついているんだと感じました。

母に愛される弟、名前で呼ばれもしない不細工な私、家にいないのが当たり前の母。何をしても疎まれる邪魔な存在の私。ある日抱きしめられたときの母の化粧品の匂い。

当時の自分の感情は、正直ほとんど覚えていません。

でも、今思えばきっとこうだったのかな、と出来事から気持ちを想像していました。言いたかったこと、してほしかったこと、かけられたかった言葉、それらが与えられなくても飲み込んでいた気持ち。


「子ども」の自分にフタをして「大人」になった私


気がついたら、先生に話すときに「はい」ではなく「うん」になっていたり、頷くだけになっていました。

先生もまた、そんな私にたいして敬語ではなく、まるで幼い子供に話すような優しい話し方で聞いていてくれました。

先生の問いかけにたいして、もしかしたら私は的外れなことを答えていたかもしれません。

でも、私が何を言っても一切それを否定せずに、そういう感情や言葉、出来事を受け止めてくれていました。

だからこそ、私もそのときだけは子どものような気持ちになって、素直にものが言えていたのかもしれません。


そんな感じで、1回目のEMDR治療は終わりました。

指を目で追い続けたり、目を閉じて暗闇を見つめたり、嗚咽するほど泣いたりしたあとだったので、ソファから立ち上がると、少しフラッとしました。

先生から、

「EMDRのあとは少しフラフラするかもしれないので、気をつけて帰ってくださいね」

と言われました。


これまでの生い立ち、家族のこと、人間関係、友達、恋愛のこと・・・

誰にも話さずにいたことも含めて、こんなに短期間で一度に自分のことを打ち明けた経験は初めてです。

そして、それを一切否定されなかったということも。

(仕事だから当たり前かもしれませんが・・・)


それでも、私はすごく気持ちが軽くなりました。

カウンセリングのとき、先生からは、どこから手を付けたらいいかわからないほど問題が山積みだというように言われました。私もそう思います🤣w

今回はある相談事の解決のためにカウンセリングデビューしましたが、本当ならもっと早い段階で思いきれていたらよかったかもしれないとさえ思います。

そのときその瞬間の感情、思ったこと、何を言っても否定されないという安心感の中で、ありのままの自分を出せることが、こんなに幸せなんだな、とつくづく嬉しくなりました。

本来、家族ってそういう場所なのかもしれない、と、自分にないものへの憧れに少し胸が痛みもしましたが。


まやかしみたいなもの、と半信半疑で挑んだEMDR治療でしたが、私の思っている以上に意味のある時間になりそうだと期待が持てました。



都度払いか回数券か

今回で3回目。EMDR治療1回目。

これから果たして何回通うことになるんだろう・・・?
何回通えば私は「健康」になれるんだろう・・・?

少なくとも、あと2,3回とは思えませんでした。


カウンセリングの時間は、1回につき約70分。
(前回までの振り返りや決済の時間等も含まれます。)

  • 都度払い:1回で7,000円

  • 回数券:8回で48,000円(つまり1回分お得)


長い目で見れば回数券を買った方がお得です。ただ懸念点として、回数券を買うことで1回あたりのカウンセリングの質が下がってしまったら・・・?と思うと、踏み切るのには少し勇気が要りました。


それでも、今回のEMDR治療を受けてみて、私は思いきって回数券を購入しました。

といっても、カウンセリング料金は夫が負担してくれています。

回数券を買うかどうか相談したときも、夫は私に任せると言ってくれ、私の口座に回数券分を含んだカウンセリング料金をあらかじめ振り込んでいてくれていたんです。

だからこそ、私は決心できました。

結局、自分の心がどうとかよりも、経済的負担の方に頭がいってしまって今まで後回しにしてきていたので・・・


帰宅して、3回目の感想と回数券を買ったことを夫に話しました。

そして私が、

「知り合う前に通ってればよかったよね」

というと、

「今だから通えているんだよ」

と返してくれました。

心が健全でない人と付き合うことは、並大抵のことではないと、私も身をもって知っています。だからこそ、こんな状態の私と一緒にいてもらうことに罪悪感がありました。

でも、そんな不安を吹き飛ばしてくれる存在に感謝してもしきれません。


まとめ

人の「悪意」ばかりに気を取られ、自分の身を守ることでいっぱいいっぱい、そして皮肉にも、そのおかげで生きてこられたという事実。

子どもの私が辛い気持ちに蓋をしてきたこと、顔色を伺って生きてきたこと、それらは全部、生きるためにしなければならなかったことだと、先生は言ってくれました。

先生は、私が子ども時代のことを泣きながら話すとき、子ども時代の私のことを「その子」と呼んでいました。「その子は一生懸命だったんだね」というように。

「その子」のために、大人になった私が今何をしてあげられるのか・・・

人の気持ちに敏感なのは、自分の武器でもあり欠点でもある。考えだしたらキリがないけど、今までにはなかった、自分が否定されることのない今の環境で、もう一度自分の気持ちと向き合っていきたいです。


。°+°。°+ °。°。°+°。°+ °。°。°+°。°+ °。°+ °。


最後まで読んでいただきありがとうございました!

4回目のカウンセリングは来週、お盆明けです。
また次回の記事も読んでいただけると嬉しいです!それでは(*´ω`)ノ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?