見出し画像

小学生のころ、先生の家に遊びに行った思い出。

おはようございます!

沖縄旅行から帰ってきて、引き続きダイエットのためにジムに通っているものの、4月の連続記録達成により完全に燃え尽き、5月は3日に1回ペースとなり、ジワジワと体重が戻りつつある、おデブネズミです🐷(←いや、これはもはやネズミではない)


はじめに

今日は、ちょっとした思い出話をします。

なぜ急に!?と思われるかもしれないのですが、これまでにもときどき懐かしく思い出すことがあって、今日何気なくInstagramを見ていたら、当時の先生に似た女性の写真が目に入ったことがきっかけでした。

あなたは、学校の先生の自宅に遊びに行ったことってありますか?

私は2回、小学生の頃に、それぞれ別の先生の家に遊びに行ったことがあります。

今の時代だと、たとえ同性であっても、「先生の自宅に子どもだけで遊びに行く」なんてことがあったら、事件になってしまう・・・のかな・・・?

ちなみに私は平成元年生まれ、最近オリジナルブランドを立ち上げ、日清食品さんとコラボして「みそきん」なるカップ麵を発売開始した大人気Youtuber HIKAKIN(ヒカキン)と同い年です。(何が言いたい)

時代的なことはもちろん、私は北海道の田舎の方で暮らしていたこともあり、そういうことは全く問題になりませんでした。

たった1回ずつだし、遊びに行って具体的に何をしたのかはほとんど覚えていないけど、「先生の家に遊びに行った」という事実が、私にとってはとても特別で、当時のことを「楽しかった」と振り返ることができる理由でもあるのです。

うろ覚えなことだらけの、夢の出来事みたいな回想話ですが、良かったらお付き合いいただけると嬉しいです。

それでは、はじまりはじまり~(*´ω`)ノ



担任の先生との思い出

小学校4年生(?)

(?)がついているのは、3年生だったか4年生だったかが曖昧だからです。

小学生の頃は、2年ごとに担任の先生が変わっていました。だから、この先生が担任だった期間は3~4年生なのですが、自宅訪問がどの時期だったかは覚えていないんです。

先生については、ざっとこんな感じです。

担任の先生について
・20代
・関東地方出身
・女性の先生
・転勤してきたばかり
・まじめで優しく、一生懸命な性格。繊細な一面もあり。

年齢・出身・性別にかんしてはさておき、性格の部分など、当時子どもだった私がそこまで分析していたかどうかは謎ですが・・・

若くて、先生としての経験もまだそこまで多くはないであろう先生でした。

目鼻立ちのくっきりした綺麗な先生で、かと言って自分を良く見せようということもなく、冗談を言ったり明るくさばさばした雰囲気で、誰からも好かれる印象でした。

ただ、当時の私たちのクラスは少し荒れていて、先生をからかったり、女性の先生だからと甘く見て(?)言うことを聞かない生徒もちらほらいました。

先生は、どんな生徒にも一生懸命向き合おうとするあまり、ときどき空回りして、教壇に立ちながら涙を見せる場面もありました。

私は3年生の頃、両親の離婚によりこの小学校に転校してきたばかりだったので、慣れない環境で頑張っているという意味では、先生と立場が少し似ていたかもしれません。

当時の私は、転校してきてすぐに仲良くなった親友と、「ウッキー兄弟」というコンビを組んで、二人で人形遊びをしたり、漫画を描いたりという「ごっこ遊び」に夢中でした。

私は彼女を「ウキ1(ウキワン)」「ウ1(ういち)」と呼び、彼女は私を「ウキ2(ウキツー)」「ウ2(ウニ)」と呼んで、二人とも一人称は「ボク」、何か言葉を発するときには語尾に「~ウキ」「~だウキ」を徹底していました。
(というかほぼ癖になっていて、「ウッキー兄弟」を「解散」する頃には、それをやめることが難しくなっていたほどでした。)


私の知る限り、その先生が自宅に招いたのは、クラスで私たち二人だけでした。

先生は、学校から少し離れた、山の上の方に立つアパートで一人暮らしをしていました。

大人(年上)の女性の家に遊びに行くのなんて、私には初めてのことで、少し緊張しました。どんな部屋だったかはほとんど覚えていません。

ちびまる子ちゃんの映画『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』という作品で、まるちゃんが、絵描きのお姉さんの家に遊びに行く場面があるんですが、なんとなく、そのお姉さんとの関係性と、当時の先生と私たちとの関係性が重なるような感じがしました。

(この作品、知らない世界(恋愛・結婚・別れなど大人の世界)が覗けるような気がして、大好きでした。)


ローテーブルを挟んで私たち、先生と向かい合って床に座り、先生が買ってきてくれていたケーキを食べながらおしゃべりしました。

私たちが語尾に「~ウキ」と付けて話していることが話題にのぼり、先生も子どもの頃同じようにしていたことがあったということや、先生の出身地方の訛り・方言について教えてくれたりしました。

何か相談したりされたりするでもなく、そういうたわいない話をただしていたと思います。


私たちはいわゆる陰キャで、二人のときには冗談を言って爆笑したり饒舌になるのに、他の人とはほとんどまともに話せない、大人しい子供でした。
(話せないことをからかわれたり、ウッキー兄弟であることを馬鹿にされることもよくありました。)

二人で描いている漫画を「読ませて!」と他の子から言われることもあったけど、それは二人だけの秘密でもあったので、決して見せることはありませんでした。(別に変なことや悪口を書いているわけではなかったけど、それが二人のルールだったんです。)

それでも、「ウッキー兄弟」のイラストを、クレヨンなどを使って小さな紙にカラーで描いて、クラスの子たちに配ることが何度かありました。

なぜか「ウッキー兄弟」は人気で、そのイラストが「欲しい」と列ができたほどでした。

そういう背景もあったので、先生の提案により、4年生の学年末には文集の表紙に「ウッキー兄弟」を描きました。


というわけで、けっして目立つ存在でも、クラスのまとめ役でもない私たちのことを、先生はたぶん少しひいきしてくれていたんですね。

その後、先生は確か転勤しました。

(私たちの学年は2クラスで、5年生に上がると1組も2組も別の担任の先生になりました。こんなことも覚えてないの!?と思われるかもしれませんが、先生が転勤したのかそのまま別の学年を受け持ったのかも、覚えていません・・・。)



小学校5年生(?)

こちらも(?)がついているのは、5年生だったか6年生だったかが曖昧だからです。

先生については、ざっとこんな感じです。

担任の先生について
・20代
・中部地方出身
・男性の先生
・転勤してきたばかり
・中部訛りがあって面白く、皆から好かれていた。熱血漢。

先生は、身長が高くてガタイが良く、スポーツ万能で冗談が面白い、クラスの問題児(?)もあっという間に手なずけてしまうような、いわばカリスマ熱血教師でした。

私も先生のことが大好きでした。

先生はクラスの生徒のことを、全員「下の名前」で「呼び捨て」にしていたと思います。

授業中かホームルームの時間か、ある生徒がしょっちゅう問題行動を起こしていたのですが、そのときには大きな声で「たわけ!!」と怒鳴り、教団を蹴ったり、その生徒の首根っこを掴んで引きずるような場面もありました。

北海道では訛りはほとんどないので、そういう聞きなれない言葉で怒鳴られることも子どもにとっては怖いことでしたし、それまで女性の担任の先生だったぶん、声のボリュームや力の強さにも圧倒されていたと思います。

ただ、もちろんそういう熱血な面ばかりでなく、先生の身近に起きた出来事や思い出話など、先生自身の体験を面白おかしく話して聞かせてくれたり、一緒に遊んでくれたりしたので、みんな先生のことが好きでした。


当時の私は、5年生で母が再婚し、突然「お父さん」ができた頃でした。

実の父親と母親のことは「パパ」「ママ」呼びでしたし、そもそも、数回一緒にキャンプや食事に行ったことのある男の人を、ある日突然「お父さんと呼びなさい」と言われても、なかなか簡単ではありませんでした。

新しいおじいちゃんおばあちゃんからも、人懐っこくない私たち兄弟は可愛いと思ってもらえず、「好かれていない」と感じながらその人達に会うことも、私たちにとっては苦痛でした。

お父さんの出現、そしてクラス替えで親友「ウキ1」とはクラスが別になり、私を取り巻く環境は大きく変わっていきました。

家の中では「お父さん」を中心に、色々としつけられました。

まずは食事のマナー(姿勢、箸の持ち方、食べる順番やバランス)などから徹底的に矯正されました。生活態度についても、お父さんに自分から話を振ったり、ご飯を食べに連れて行ってもらったら「おいしい」「ありがとう」を必ず言うように強く言われていました。


そんなある日、図工の時間になにげなく、普段の雑談のテンションで、

「お父さんと話しないと叩かれるんだ~」

と、私が先生にポロっとこぼしたのでした。

昨日見たテレビの感想を話す程度のたわいなさ、自分にとっては当たり前のことだったので、別に先生に助けを求めるとか相談するつもりもありませんでした。

でもそれを聞いた瞬間、先生の表情が一瞬で変わり、とても深刻そうな声で、

「何かあったらかならず先生に言え」

というようなことを、力強く私に言ってくれました。

私としては、どうしてそんなに驚いているというか、深刻そうに受け止めるんだろうと、逆に驚き困惑しました。


このことがあってか別に関係ないのか、その後先生の提案により、「夏休み中、先生の家に数名ずつで遊びに行く」という企画が打ち立てられたのでした。

3人~5人くらいずつだったような気がします。

この時のことは、先生の家がどんなだったかや誰と一緒に行ったのかも含め、全然覚えていなくて、確かウノとかトランプとか、何かのゲームをして遊んだと思います。

ただ、この時も先ほどの先生のときと同様、何か相談をするとかされるとかいうこともなく、普通に学校の延長線上の楽しい時間を過ごしていました。

そして、その後家でのことを先生に相談するといったことも、特にありませんでした。(小学校5年生のときに妹、小学校6年生のときに弟が生まれましたが、子の頃はまだ平和だったからだと思います。)


とても曖昧な記憶ではありますが、当時、こんな風にサラッとでも、自分の家庭の悩みを「大人」に打ち明けたのは、この先生が初めてでしたし、私の方がびっくりするほど真剣に受け止め、心配してくれたという事実は、今になってとても大切で、ありがたいことだったと感じるんです。


児童館や習い事に通っている子であれば、自分より少し年上のお兄さんお姉さんや、大人の人と日常的に関わり、たわいない雑談からちょっとした悩み相談まで、する機会があったかもしれません。

ただ、私の場合、小学3年生から卒業までは、そうした機会はほぼありませんでした。

だから余計、自分の置かれている環境がおかしいとか人と違うとか、他人から心配されるような状況であるということに気づけはしませんでした。

子ども同士で話すことがあっても、きっとお互い子どもだから、まだ「それはヘンだよ」と気づいたり指摘することも難しかったと思います。


新しいお父さん、新しい祖父母、新しい兄弟ができて、少しずつ自分の周りも、また自分自身も成長期で変わっていく中で、色んな悩みが自分でもよくわからないほど複雑に絡み合っていました。

そんな子どもとは、積極的に関わりたくないと思う人の方が多いはずですよね。

それでも、実際そうして言葉をかけてくれる大人が身近にいただけでも、私は幸せだったと思います。



さいごに

最後までお読みいただきありがとうございました!

小学校の頃に体験した「先生の自宅訪問」の思い出を振り返ってみました。

当時の私は、離婚だの母子家庭だの再婚だのあったものの、そこまで「さみしい」と悩んだりすることもなく、親友と過ごす楽しい毎日の中であっけらかんとしていましたが・・・

今でもこうして思い出すということは、やっぱり二人の先生の存在は大きかったのかなぁと思います。

連絡先も知らないですし、先生たちが今どこでどんな風に暮らしているのか知る由もありません。

この記事でも、先生たちを特定されるような書き方は極力避けました。


ただ、もし万が一、この記事が先生たちの目に触れる機会があったら・・・

「これってもしかして私(俺)のこと?」

と気づいてくれたらいいなぁとほんの少し願っています。


すごく特別なことでなくても、ただ声をかけてくれたこと、心配してくれたことがとても嬉しく、それだけで20年以上経った今でも感謝している当時の子どもがここにいて、そのおかげで生きていられるということを、知ってほしいと思います。

この記事が参加している募集

#忘れられない先生

4,605件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?