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「あのころの感性が、今のわたしを育てた」 と4年後わたしは言えるだろうか

「ぼくはね、太宰やドストエフスキーを貪り読んだ、10代のあの頃の少し尖った感性を失ってしまった」

その人はそうぽつりと呟いた。
わたしはもう26歳で10代ではないけれど、
後から失ったことを寂しく感じるような感性を、少しは持ち合わせているのだろうか。

2019年12月30日。
世間より一足遅れて仕事納めを迎えた。

私の仕事は「AIや機械への置き換えが可能な事柄を探すこと」だと考えている。

いろんな業務に携わっているのだけど、根底で共通しているのはそういうことだと思う。

それぞれの仕事に意味や役割があり、ニーズがあるからそこに仕事が生まれるのだろう。
どの仕事が優れていて、どれが劣っているとか、一義的に決めることはできないし、自分が経験して始めてわかることも多い。

長らく私のモットーは「向き不向きより前向き」だった。
新卒入社から26歳までの今まで、とりあえず食わず嫌いをせず前向きに取り組んでみた結果、わかったことがある。

私はできることなら、
”代替可能なもの” を見つける仕事よりも、”代替が難しいもの”と向き合う仕事がしたい。

特に今年に入ってから強く感じるようになり、
私は今とある分野の大学院への進学を志し、働きながら勉強している。

「本気なの?」
「お金はどうするの?」
「大学院を修了するよりも、今の会社で勤め続けた方が安定じゃない?」
「結婚や、子供のこととか、不安にならないの?」

あるとき将来の構想について少し話をしたとき、数名からこんな質問をされた。

彼らが抱くどんな心配も、私をそれほど不安にはしていなかった。
働きながら大学院に通ってもいい。
贅沢をせず自分ひとりを養うくらいならどうにかして生きていける。

結婚はパートナーとの縁次第だし、
卵子凍結を真剣に検討している私は、社会における出産のあり方が今後変わると考えている。

何よりも「まだ見ぬ結婚相手や子供の姿」という不確定な要素に縛られ、身動きが取れなくなるのは嫌だった。
それはまさに、新卒での就職活動のときに私が陥ったものだったから。

何が正しいとか、誤っているとかじゃない。
人の生き方は様々で、自分と全く同じものを見て、考え、行動する人など存在しないから。

頭ではそう理解していても、
彼らとは見ている未来も、ありたい姿も、そのために大切したいことも違っていて、
感性を揺さぶられる物事も異なるという事実に、何だかたまらなく孤独になった。

そんな思いを抱えながら、私はその人と会った。
恋でも、愛でも、友達でもない。関係性を表す言葉を持たない、その人。

終電近くになるまで、5時間ほどいろんな話をしたあと、その人は帰り際にふと私に言葉を向けた。

「でも本当に、4年後、どんな君に会えるのか楽しみだよ。君のその感性がどう変化し、どんな個性を開花させるのか。」と。

手に入れたいと希求するものも、
残酷なまでに感じる孤独や哀しさも、
愛おしく、幸せを感じる瞬間も徐々に変化して、
今この瞬間感じているものはきっと消えていく。

26歳の今この瞬間に息づく私の感性は、1年後には形を変えていて、経験によって変化を遂げた感性は、きっと二度と戻らない。

私だけじゃない、あらゆる人の感性は変わりやすく、唯一無二で、孤独で、それでいて共感し得るものなのかもしれない。

だからこそ、他人や、過去の自分とは異なるその瞬間の自分の感性にときに戸惑い、孤独で、不安を感じながら、それでも進み続ける。

30歳。孔子でいう「而立(じりつ)」の歳まであと4年。ありたい自分になるまでの時間は、長く、それでいて短い。

あのころの感性が、今のわたしを育んだ
過去を振り返ったとき、私はちゃんと言えるのだろうか。

2019年も今日で終わる。
けれど、4年後、そしてその先のわたしをつくる制作活動はまだまだ続く。


ご覧いただきありがとうございます。 また気分が向いたら、ぜひのぞきにいらしてくださいね。 今は大学院進学を目指して、働きながら勉強中です。サポートいただけたらとても嬉しいです。