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私がSNSを好きな理由

私はSNSをよく利用しています。

代表的なサービスとしてLINE、Facebook、Twitter、Instagram、TikTokなどがありますが、この中で私がアカウントを持っていてよく利用するサービスはTwitterのみです(Xは伝わりづらいのでTwitterとします)。

LINEはもちろん使用しますが、友達という友達がいないので実際はほとんど使用しないです…🥲

そして、YouTubeやnoteもSNSとして分類されるらしいのですが、私はSNSを見ることも自らが発信することも好きで楽しんでいます。

今回は、私がSNSについて考えていることを書き出してみました。


私がSNSを好きな理由

①誰もが自由に発信できるため

SNSの醍醐味と言えば真っ先にこれが浮かびました。

SNSがない時代、発信するサービスはブログが中心だったと思いますが、時代が進むにつれて多種多様なサービスが生まれ、誰もが、好きな形で、そして何より手軽に発信できる時代になりました。

皆さんはYouTubeで登録者の少ないチャンネルの動画を見たことがありますか?

私はよく自分と同年代のアラサー社会人の日常系の動画を見るのですが、全然注目されていないチャンネルの動画でも意外な発見があったり、話題の「猫ミーム」系の動画では様々なバックグラウンドを抱えた人によって社会の闇が垣間見える動画が投稿されていてとてもおもしろいです。

その手軽さがゆえに炎上につながる事例もしばしばありますが、間違いなく人々の暮らしを豊かにさせているものだと思っています。

②情報の宝庫であるため

私は過去に社交不安障害と診断された時、初めて耳にする病名に困惑し、医師の説明を聞いたうえでインターネットで情報を集めました。

はじめはググって、次にYouTubeで調べて分かったことは、精神科医の解説ばかりで当事者による話がまったく見つからないことでした。

私が知りたかったことは、同じ悩みを抱えた人がどのような生きづらさを感じているか、どのように生きてきて、いまどんな仕事をしていて、(その悩みを抱えたうえで)将来はどう考えているか、どのようなモチベーションで生きているのかなどであり、当事者でもないWebライターがほんのちょっと調べて記事にしたような浅い記事に憤りと絶望を感じました。

もちろん、概要や向いている職種についての記事など役に立つ記事もありましたが、そういった記事は内容が同じことばかりで情報に「深み」がなく、自身の悩みを緩和させたり解決するには不十分でした。

しかし、試しにTwitterで検索したところ、まさに私が知りたい情報がたくさん見つかりました。

そこでは当事者の赤裸々な悩みが当事者の言葉で「言語化」されて発信されていて、共感することばかりの内容に本当に救われました。

それはnoteも同じで、社交不安障害やHSP、適応障害など私と共通の悩みのカテゴリの他にも「人付き合いが苦手」、「人と一緒にいることで疲れてしまう」、「一人が好きで集団行動が苦手」など、生きづらさを感じる人がどのように感じて、どのように生きているかを知ることができます。

そうして知った情報は普段人と関わることの少ない私にとって新たな価値観の発見につながり、人生をより豊かにしてくれます。
この場を借りて、日々何かしら発信している皆様にお礼を言いたいです。
本当にありがとうございます。

このように、私はSNSの情報について「個人的な意見・感想」が集約された素晴らしいサービスだと感じています。

サッカーの試合やアニメ映像の放送中にハッシュタグをつけて検索すれば、世界中の視聴者の反応がリアルタイムで表示され、より楽しむことができます。YouTubeのライブチャット欄も然りです。

SNSではよりリアルタイムで、ダイレクトな意見・感想を収集することができ、それは検索エンジンで調べて得る情報にはない良さがあると思っています。

③誰かの「好き」を知ることができるため

趣味や嗜好、あるいは性癖などにおいて、現実ではあまり声を大にして言うことができないものって意外と多いのではないかと思います。

しかし、SNSを通じることで世界中に「同士」を見つけることができる、これは本当に素晴らしい時代だと思います。

以前にバキ童チャンネルで「ショタ」を語る企画がありました。
性癖という際どいテーマの中で思わず聞き入ってしまう内容で、ゲストの性癖を否定することなく場が盛り上がる雰囲気がすごく新鮮に感じました。そしてコメント欄も否定的な投稿は全然なく、温かいコメントばかりでした。

(SNSとはいえ)好きなものを堂々と好きだと言い、それを理解してくれたり受け入れてくれる人と繋がることは素晴らしいことだと思います。

ちなみに、私は人の好きなことについてたくさん知りたいし、なぜ好きなのか、どれくらい好きなのかを知りたいです。

自分が好きで、尊敬している人の好きなことについて単純に興味があるし、そういう人が自分の好きなことについて私に話してくれたら、心を開いてくれた気がしてとても嬉しいです。

そして、その相手の好きなものについて、たとえ自分が興味をもてなくても全然いいと思います(わざわざ相手に伝えて否定することはNG)。

④本音を吐き出すことができるため

こちらもSNSの醍醐味だと思います。アカウントを本名で登録している人より、ある程度の匿名性を保って運用している人の方が圧倒的に多いのではないでしょうか。

他人に迷惑をかけないことが前提ですが、現実では言いたくても言えないことを相談したり、叫んだり、愚痴ったり、時には汚い言葉遣いで吐き捨てたり…とても人間らしいと感じます。

家族や友達、パートナーなど普段から付き合う相手は好きなことも含めてなんでも言い合える関係も理想的だとは思いますが、私は「裏の自分」を隠した関係も十分に理解できます。

Twitterだと「旦那デスノート」という投稿が賛否両論ありますが、私は仕方ないことだと思います。

仮に自分のパートナーがそれをつぶやいていたら傷つくとは思いますが、家族とはいえ人の悩みや不満をすべて解決することは不可能であり、直接伝えても解決しないしそもそも話にならないから吐き出しているわけで、どこかで吐き出す場所は必要なのではないかと思います。

SNSは現実では言いづらい「好き」について話したり、匿名性が高いゆえに本音を吐き出すことで誰かと繋がることができることが醍醐味だと考えます。

SNSから離れたくなる時もある

日常的にSNSを利用している私もSNSから離れたくなる時もあります。

①気を使いすぎて自由に投稿できない

SNS利用の醍醐味は悩みや不安などの本音を吐き出せることだと思いますが、私は自由気ままに投稿することに躊躇してしまいます。

例えば、下記のような投稿と理由です。
・深夜に投稿➡(可能性は低いけど)誰かが通知をONにしていたら迷惑
・連投➡FFのタイムラインが荒れるので迷惑
・下ネタ含む投稿➡過去にその類の投稿をしていないのでイメージが下がりそう

頭ではそんなこと誰も気にしていない、考えすぎだってことはわかっているんですが難しいですね…笑

誤字脱字に気づいたり文章の構成に違和感を感じたらすぐに投稿を削除するので、ものすごく完璧主義なのかもしれません。

顔の見えない人達に異常に気を使いすぎていると感じた際は、気持ちを安定させるためにいったん離れるようにしています。

②切り取られた情報をめぐる第三者の論争

これは誰もが自由に発信できるようになったSNS時代ならではの悩みです。

Twitterではよくトラブルの現場が第三者によって撮影され、晒されている投稿をみかけます。

私はこうした投稿を見かけるたびに、自分が当事者として晒されていたらどれほど怖いだろうかと想像します。

このような現場は接客業に従事する人が晒されている印象です。
私も学生時代に接客のアルバイトの経験がありますが、実際にカメラで無断撮影しているような人に何度か遭遇しました。

YouTubeでは、かわいい声の女性車掌を盗撮した動画の中でたまたま映り込んだ別の女性の容姿についていじるコメントが多数ありました。

SNSが普及した現代は一般の人が手軽に発信できることもあり、モザイク処理などがされておらず、盗撮に近い動画や写真が多くはびこっています。

こうしたコンテンツを一つ一つ取り締まって完全になくすことは不可能ですしエンタメ性の低下につながる可能性もあり難しい問題ですが、自分や自分の大切な人が巻き込まれたらと考えると、嫌な気持ちになる時があります。

そして、私が最も嫌悪感を感じるのは「投稿された"切り取られた情報"について無関係の不特定多数の人間があーだこーだと意見をすること」です。

「これは店員が悪い」「このおっさんが何か言ったんだろう」などトラブルが晒された動画でその場に居合わせていない、状況も分からない第三者が言っている様子は見るに堪えません。

③エイプリルフール

私は普段の会話の中で起こる「冗談」は好きですが、エイプリルフールにおけるTwitterの「エイプリルフールネタ」投稿は苦手です。

エイプリルフールの日は「これは嘘ではない…これは嘘だ」と情報の信ぴょう性について考える必要があります。

なんとなくSNSを見ていて「お、そうなんだ!すごいな~」と思った投稿が実は嘘で「エイプリルフールネタですwww嘘ですwww」と嘘だったと分かるとなんだかすごく疲れます

繰り返しになりますが、私は普段の会話の中で起こる「冗談」は好きです。
でも、SNSを見るたびに「今日はエイプリルフールだから情報は全部嘘だという前提で見よう」なんて意識するのがバカバカしくて嫌になります。

そのため、エイプリルフールにはSNSから距離を置きます。

SNS投稿で意識していること

①投稿は自己責任である

SNSは自己開示することで様々な出会いがあると思います。
そのため私もできる限り自分の情報を発信するようにしていますが、それを悪用する人も多くいることを忘れてはいけません。

非公開にしたり、自分に害を及ぼすと感じた場合は距離を取るなど必要に応じて策を講じて運用していきたいと思います。

そして、自分のことだけではなく、相手のことも配慮したいと思っています。ここでいう相手とは「写真などで写る人」や「FF」です。

知人やパートナーがいれば投稿にどこまで載せてもよいか確認は必要だと思うし、自分の発信によって関係のない誰かが特定されることのないよう処理もできるだけしようと思います。

FFへの配慮としては、アカウントが残る限り、リプなどの投稿を定期的に削除することは意識しています。

Twitterのリプは、様々なやり方で垢バレに繋がります。
例え自分がアカウントを削除しても、やりとりしていた相手のアカウントや投稿次第で過去のアカウントや投稿内容の流失の可能性もあります。

そして、リプは不特定多数の人が閲覧可能であるため、誤解を与える表現をしないように気をつけています。

恐らく普通に利用している人はこんなこと意識していないと思うし、自分でもそこまで慎重になる必要はないとも思いますが、デジタルタトゥーを自分や周りの人に残さないよう注意していきたいと思います。

②なるべく猫を被らない

先ほど、気を使いすぎて自由に投稿できない時にSNSから離れたくなるという旨を書きましたが、なるべく猫を被らないように意識しています。

「なるべく」です。どうしても被りたくなる時はあります…笑

誰にも気を使わず、誰にもこびない自由な投稿が理想ですが、ストレスをためずにのびのびと楽しんでやることが一番だと考えています。

好きなものは好き、苦手なものは苦手だと発信したり、苦しい時は誰かに助けを求めたり、悩みや不安を思いっきり吐き出したり…。

常に誰かの反応を気にするのではなく、ありのままの自分をできるだけ発信していきたいと思います。

最後までご覧いただき誠にありがとうございました。

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