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『海の向こうでこんなこと言われた』#8

「マイタイム」


2度目の海外公演体験は
エジンバラでの『テンペスト』(シェイクスピア)。

これを機に一気に海外での交友関係が増えた。

もの凄い体験だったので数回に分けて。


エジンバラ国際フェスティバル

毎年8月から9月にかけて、演劇や音楽バレエなどのステージアート、映画、絵画など、世界中から凡そ1000の作品(うち招待は1割弱)が集う、世界最大級のフェス。


蜷川さんとの2作目『ハムレット』の稽古中、8月中頃エジンバラフェスで上演する『テンペスト』に主演予定の役者さんが倒れたと知らせが入った。後遺症の可能性があり絶対安静。稽古場に衝撃が走る。
これが5月。


2日後、演出家とプロデューサーから依頼があった。

「プロスペローの『代役』をやってくれないか。

 但し12月の帝劇公演までに彼が回復したら役は戻して欲しい」。

勿論否やはない。でも「エラい事になった」と思った。

『テンペスト』初演は以前平幹二朗さん主演で観ていて
「和洋が混じり、テクニカルで大変な舞台だな」という印象。

その時のキャスト中で主役のプロスペローだけが替わるのだ。

一度仕上げた舞台。
蜷川組常連のベテランだらけ。
僕はほぼ新参。

6月の『ハムレット』終了後、大緊張で稽古に入る。
一人だけ初役というプレッシャー。
連日の「明日幕が開く」ようなダメ出しの機銃掃射を潜り、何とかOKが出て稽古を終えエジンバラに向かった。


実はこれからがタイヘンだったのだ。


まずロンドンに飛び、一泊してエジンバラへ。
主催者が用意した会場・エジンバラプレイハウスに向かう。

劇場に入って皆が息を呑んだ!

‥ひ、広すぎる!!

一階席は最前列AからZを超えて遥か向こ〜うまで。
二・三・四階が迫り出していて総キャパ3000超のオペラハウス。
とんでもないエアヴォリューム!!

これは生(なま)声じゃ届かないだろう。
だが蜷川さんはマイクを使わせない。

ど、ど、どうする!?

役者全員の顔がひきつる。

翌日、追い打ちのようにバッドニュースが入った。

船便で送った舞台セットが香港の港湾ストの影響で
本番前日まで届かない!!

予定の舞台稽古の内2日間は空舞台(からぶたい)。
荷物が無事に着いてもぶっつけ本番は避けられない。

何より、超緻密かつスピーディに運ばねばならぬ舞台転換要員が、全て現地のスコットランド人なのだ。

芝居の進行は大丈夫か!?

まあ結果から言うと、奇跡のように無事故で初日が開いたんだけど、荷物が届かず、役者が休める仕込み日もなく、2日間空舞台でぶっ続けの稽古になった役者達が次々に体調を崩し、喉を痛めるという最悪の展開。
僕も声が枯れてしまった。

この間数日、蜷川さんは殆ど眠れなかったらしい。

初日前日、夜明け前に荷物が着き、昼過ぎに装置が組み上がった。
それから各場面の転換稽古、明り合わせ。
船のセットが倒れそうになる等々色々あって、20時頃からゲネプロ開始。

‥これが最悪!!


疲れがピークで演技が噛み合わない、声が出ない。
相次ぐ転換ミス。

これまで我慢をしていた蜷川さんがキレまくった。

「とにかく初日に備えて寝よう」ということになり、0時頃にバスで宿舎に戻る。


(この項あと僅か。もう少し付き合って)


演出家、プロデューサー、各スタッフチーフ、メインキャスト数名の宿は、昔貴族の別荘だったという全10室程の瀟洒なホテル。
美味しいと評判のレストランとバーには外からも客が訪れる。

0時半頃、玄関のチャイムを鳴らすと10分程経って門番が現れた。
私室で休んでいたのを正装に着替えて出て来たのだ。
90歳、総白髪。
この人はバーのチーフバーテンダーでもあり、この3日の内に顔馴染みになっていた。

蜷川さんは物も言わず走るように、
他の面々も足取り重く部屋に向かった後、
最後になった僕の肩を彼が叩いた。
「?」
ジッと顔を見て‥『飲みたいかい?』
「‥ええ」

真っ暗なバーの電源をガチャッ。
彼はカウンターの中へ。
僕はスツールへ。
『何を飲む?』
「任せます」
頷いて足元の棚から出して注いでくれたのは見たこともないウイスキー。
『これはスコットランドの中でしか飲めない』

‥定かな記憶ではないが‥口に含むと、甘く柔らかく、深い香りがするのだがあと味のすっきりした旨い酒‥時が時だけに身と心に滲み渡った。

「ごちそうさま」立とうとすると
『好きなだけ飲んでいけばいい』
「じゃ」
とお代わりを2杯。
彼は静かに立っているだけ。

20分後、「有難う!落ち着きました。おいくら?」

するとちょっと目が笑って

『マイタイム!』(おごりだよ)。


その夜は、のしかかる不安と、同時に、静かに背中をさすられているような不思議な安心感の中で泣きながら眠りに就いた。

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