見出し画像

川越の夜 冬

これから記すのは、一昨年の冬の記憶。

川越駅で電車を降り、ショッピングモールに向かって歩く。

乾燥した空気を肌に受けながら、知らない誰かを抜き去り、また他の誰かに抜かれていく。

スマホを見ながら器用に歩く大人たちの人混みに流されるように、改札をくぐり帰路へつく。

寒さが、痛い。

マフラーを2周、ぐるっと首に巻き付け、余りはマスクの上にも巻いておく。

念には念を。

マスクとメガネ、そしてマフラー。自分のアイデンティティは極限まで隠される。

でも、それでいい。

20代前半の女性だろうか。

駅から少し離れたベンチで歌う「チェリー」が聴こえてくる。

うごめいて散り散りになっていく何百もの人、人、人。

それらが生み出すへばりつくように重たい静寂を、調子外れの音がかき消していく。

必死にかき鳴らすギターと高音が、私の背中に何度もたたみかけてくる。

「私を見て、私の声を聴いて」と確かに言っている。

彼女の声に、冬は負けている。

「今ずれましたよ」、なんて言わないし、まして、「下パートを歌うからハモりませんか」、とも言わない。

後ほんの数歩、反対に足を向ければ彼女のそばに行けるのに、彼女の一番の観客になれるのに、人混みの一部である私はそれをしない。

けれど、私はひっそりと彼女の歌を聴いている。

早足で前を行く気難しい顔の会社員らと、肩を寄せ合って笑うカップル、その波間に1人歩く川越の、BGMにはちょうどいいから。

12月の寒さの中、もう、店はみな閉まっている。

ただ、イルミネーションで照らされた通路だけが、ほんの少し、青いぬくもりを心に感じさせる。

通路を抜け、ファストフード店を横目に階段を駆け下りた。

マシュマロ入りココアのフライヤーに、後ろ髪を引かれながら。

また今度と言い聞かせながら。

駆け下りるのは急いでいるからじゃない。

ただ、駆け出したいと心が急いたから。

笑いあうカップルの横すれすれをすり抜けると、2人がこぼした白い息がひゅっと風で揺らいだ。

そして、不本意ながら混ざり合った。

大通りへ向かうのに、赤信号を1つ。

横断歩道を渡る前から、カラオケ店のアルバイトの、コートの賑やかな色が目にちらつく。

信号が青になる。

渡り始めると、一層てらてらとしたコートの、青と赤が目を刺激する。

彼、彼女らは右に左に身体を揺らしながら、手に持った看板を上げ下げして、客引きに若い声を張り上げている。

どこかサンタクロースのような余裕な表情を浮かべて、引き留める気もあまりなさそうな彼らの声に、必死さが見えなくてそれが逆に好ましかった。

1人でせかせかと歩く私に、誰も声をかけてこないのも、またよかった。

 少し歩くと、道の端には占い師がいる。

毎日ではないけれど、時々、道の右や左にひっそりといる。

小さなブースで、椅子に座ってじっと何かを見つめている。

「何を考えているんですか、今、何が見えていますか。」

聞きたいけれど、聞かない。

ただそこに彼がいるという事実だけを咀嚼して、私は彼を見つめていた。

もちろん、足は止めない。

通行人Aとしての役割を守りたいから。

今日は違う人だな。

こんなに寒いのに、マフラーを巻いていなくて大丈夫だろうか、風邪を引かないだろうか。

そんな言葉を胸にこぼれない程度に抱えながら、結局どの言葉も伝えることなく私は占い師の前を通り過ぎる。

私は人を信じやすく、騙されやすいとよく言われる。

占いは好きだし将来は気になる。

けれど、今はまだ、占ってもらえるほど自分が確立していないのだ。

昨日も今日も明日も、盛大にブレて生きていく。まだそれでいいかな、と思う。

ブレないようになったら、占いはもう、必要なくなっているかも知れないけれど。

川越は不思議な場所だ。

人生が重なり合って、一瞬。

その後はまた別の道を歩いて行く。

駅のそばで耳をかすめた「愛してるの響き」が私の心を突き刺した。

棘は、まだ抜けない。

カラオケ店のアルバイトが道を塞ぐように、ゆらゆらと私の視界を遮った。

あの赤と青の景色は、別に嫌いじゃなかった。

誰も私のことは見ていなかったから。

道の端で占い師が、1人でじっと見つめていたものを私も見てみたかった。

あなたは今、どこにいますか。

川越は、許してくれる場所だと思う。

1人で歩く心に、ひっそりと湧いた感情を、鬱屈を。

空を見上げれば、星が近い。

川越の夜が好きだ。

また会いたい、夜の川越で。

新しい私に。

もし文章を気に入ってくださったらサポートをお願いします(^^♪ 本の購入費に充てさせていただきます。