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播磨陰陽道

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#恐怖

御伽怪談第三集・第七話「唐津の水妖怪」

御伽怪談第三集・第七話「唐津の水妖怪」

  一

 正徳(1711)の頃のことである。九州は唐津の城の裏壕に化け物が出ると噂されていた。出会った者は、皆、気を失なうため、ハッキリと見た者はいなかった。どのような化け物が出るのかすら分からなかった。さらに悪いことに、化け物に出会った者は、皆、記憶を失っていた。サムライの多くも被害に合ったと言うが、情けない限りである。サムライとして生きる者が、たかだか化け物に驚いて、すごすごと尻込みしたので

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御伽怪談第三集・第六話「闇を裂く産女」

御伽怪談第三集・第六話「闇を裂く産女」

  一

 貞享四年(1687年)のことであった。京の西の岡あたりに、この二、三夜、不思議な声がすると噂が立っていた。
 聞いた者の話では、赤子の泣く声に似ていると言う。鳥の声だと言う者もいたが、いずれにしろ不気味な出来事であった。もちろん夜中のみのことである。夏は過ぎていた。もうすぐ中秋の名月の明るい夜に、暗闇がさして鳴くと言う。誰も声の主を目にした者はなかった。だが、闇を切り裂くような、不吉な

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御伽怪談第三集・第五話「背中を流す女」

御伽怪談第三集・第五話「背中を流す女」

  一

 江戸時代に最も有名な有馬温泉は今でもある。延宝五年(1677)のこと。その頃の有馬温泉は今以上に繁盛していた。
 湯治とは言え、当時は冬に温泉には行かなかった。秋の頃に行き、冬の前に帰るのが定番であった。最低でも一週間は泊まったそうである。行き帰りに何日も歩くので、日帰りとか、数泊と言う訳にはゆかなかった。

 ある秋の日、尼崎に住む伝左衞門と申す町人が、持病の治療のため、有馬温泉へ向

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御伽怪談第三集・第三話「肝試しの代償」

御伽怪談第三集・第三話「肝試しの代償」

  一

 寛永の頃(1624)のことである。京に住む町人たちが頭を寄せ合い、知恵を絞り、つまらぬ与太話を繰り広げていた。
 奇しくも秋の満月の、しかも未の夜だった。遠寺の鐘が陰々と鳴り響く中、虫の音も何やら怖れるかのように聞こえていた。そよそよと揺れる芒の穂が、亡霊のおいでおいでのように見える夜であった。
 九月の未には碌なことがない。化け物の出る確率も上がるのだが、そんなことは露も知らない彼ら

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御伽怪談第三集・第二話「首之番が来た」

御伽怪談第三集・第二話「首之番が来た」

  一

 天下分け目の関ヶ原の戦乱もすでに終わり、徳川様の時代となって、のんびりとした平和な日々がやってきた。それから十数年の後、そろそろ化け物どもも狩をしなければならなくなった。戦国時代は人と人との殺し合いの時代。化け物がわざわざ狩らなくても死骸は豊富にあった。夜の戦場には喰い切れないほど転がっていたのである。しかし、それも終わりが来て、しばらくは喰い溜めで凌いできた。とうとう狩りをする必要に

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近世百物語・第九十三夜「青い波のたつ池」

近世百物語・第九十三夜「青い波のたつ池」

 トラウマなのかについては分かりませんが、何かの刺激を受けるとフラッシュバックのような記憶を映像として見ることがあります。何かに驚くと必ず同じ映像を見るのです。それは青い波が立つ池の映像です。水面には無数の光の点のようなものが写っています。どこなのか? いつの記憶なのかについては思い出すことは出来ません。
 ただ、かなり子供の頃からずっと見ているので、幼い頃の記憶であることだけは確かなようです。私

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御伽怪談第三集・第一話「戻り橋の魔物」

御伽怪談第三集・第一話「戻り橋の魔物」

  一

 室町時代、六代将軍・義教卿の頃のことである。戻り橋のあたりに怖ろしい化け物が出るとの噂が流れていた。もちろん、どのような化け物なのか見た者はなかった。ただ噂ばかりが先行して怖ろしげな尾ひれがついてゆくだけである。
 そんな時、都に播磨守の配下と申す名のある武士がいた。彼のことは宣善とだけ呼んでおこう。宣善は世を虚しく思い退屈していた。洛中で無意味な日々を過ごしていたのである。
 そんな

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近世百物語・第八十八夜「祝詞」

近世百物語・第八十八夜「祝詞」

 子供の頃から〈祝詞〉をあげて育ちました。それは播磨陰陽道の伝承者として当然のことでした。だから、少しも不思議には思っていませんでした。と言うより、
——他の人も、みんな祝詞を知っているものだ。
 と、勝手に思い込んでいました。
 子供の頃の思い込みは誰にでもあります。それが奇妙であろうとなかろうと、自分の中ではごく自然なことでした。

 さて、時と場合によって、祝詞をあげると雨が降ることがありま

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御伽怪談第二集・第九話「落ちた涙の先」

御伽怪談第二集・第九話「落ちた涙の先」

  一

 さぁ、いらはい、いらはい。皆さま方、可愛そうなのはこの子にござる。親の因果が子に報い、夜な夜な首がスルリと伸びて、行燈の油を舐めるでござるよ。さぁさぁ、ろくろ首の花子さんだよ。花ちゃんや。
「……はい」
 三味線を抱えた花子さんが、草津良いとこなどを爪弾きながら首を伸ばして……と、昭和の見せ物小屋は明らかに作り物だ。だが昔はこれで木戸銭を稼ぐことが出来た。今なら詐欺だとクレームを言われ

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御伽怪談第二集・第八話「飯炊きの名人」

御伽怪談第二集・第八話「飯炊きの名人」

  一

 女もしたる、ろくろ首と申すものを、男もしてみんとて……ではなけれども、その多くは首の長くなるものなどではない。首が抜けるのをろくろ首と称するが、広い世の中には珍しい男のろくろ首もいると聞く。
 江戸時代も後期のこと、今は浄国寺の先代住職・隠源が、まだ芝増上寺の寮に住んでおられた若き日の出来事であった。
 隠源和尚は、かの有名な隠元豆の禅師のことではない。彼に憧れた別な和尚の物語である。

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近世百物語・第七十八夜「画面に写るもの」

近世百物語・第七十八夜「画面に写るもの」

 まだコンピュータのモニタが液晶ではなく、ブラウン管だった頃のことです。ブラウン管の表面には後ろの景色がよく反射しました。室内での作業なので、いつも見なれた景色しか見えない筈ですが、時々、不思議なものが私の後ろを通り過ぎてゆきました。
 ゲーム会社で真夜中にひとりで作業していた時のことです。その頃は、まだ、文字の色がグリーンのみで、しかも数字と英語だけが表示されています。当然、日本語を表示すること

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近世百物語・第七十六夜「祖母のおとぎ話」

近世百物語・第七十六夜「祖母のおとぎ話」

 子供の頃、祖母が楠木正成公のことを話してくれました。子供が眠る時に、おとぎ話でもするかのように……しかしそれは、けして楽しげではありませんでした。と言うのは、軍紀物にあるような、血沸き肉踊るお話ではなかったからです。どちらかと言うと陰陽師としての正成公の伝説が中心でした。
 あまり知られていませんが、正成公の伝説には霊的なものを退治した物語が多くあります。
 われわれ播磨陰陽師が良く使う、

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御伽怪談第二集・第七話「かぶりつく首」

御伽怪談第二集・第七話「かぶりつく首」

  一

 越前の国・敦賀に、原仁右衛門と言うサムライが住んでいた。彼は『北窓瑣談』の著者・橘南谿の長年の友人であった。
 寛政元年(1789)十月の頃のこと、仁左衛門に所用が出来て、数ヶ月の間、京都へ旅したことがあった。
 仁左衛門の妻は名を〈お千代〉と申し、二歳になる幼な子を育てていた。何かと手間もかかる時期であるため、前から下女をひとり雇っていた。名を〈お峰〉と言う。お峰は優しい性格であった

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御伽怪談第二集・第六話「夜中に伸びる」

御伽怪談第二集・第六話「夜中に伸びる」

 世に、ろくろ首と言われるものは、ある種の奇病である。あるいは、これを〈飛頭蛮〉と称し、
——夜中に屋敷の中を飛び回る。
 などとも言う。首が伸びるのではなく、首が抜ける種類の病であると言う。

 享和年間(1800)、俳諧師に遊蕩一音と言う者がいた。
 彼は、まさしく、ろくろ首を目の当たりにした。しかも、抜ける首のものではなく、珍しい伸びるろくろ首である。
 一音はいわゆる優男であった。色白で、

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