見出し画像

私と摂食障害~今振り返って思うこと~55

みなさん、こんにちは。今日は、私の摂食障害の経験を振り返ってみて、今思うこと その55について書きたいと思います。

私と摂食障害~今振り返って思うこと~54 ⇩

昨日は、

私が今考えていることは、とにかく心身ともに健康でありたい、ということです。
心の面では、完璧主義を完全に手放すことは出来ないので、いい加減な(ほどほどな)完璧主義であることを心掛けています。とにかく、自分で自分を追い込んで満足するようなことにならないよう、無理なことは極力後回しにするようにしています。
身体の面では「自分の身体は食べる物で出来ている」と考えるようになり、身体の不調が解消されたり、健康維持のためになるようなものを積極的に摂取するようにしています。
そうやって健康を維持し、メンタル面でも自分で自分を追い込むことのないように、無理をしないことで「自分を大切にする」ことが出来るようになってきたと思っています。

ということを書きました。今日はその続きを書きたいと思います。

摂食障害が私にもたらしたもの㉘

「好きなもの」で自分を満たしていく

昨日に引き続き、今日は、ひとさんの記事を読ませていただいてヒントをいただきましたので、紹介させていただきます。

その中には、

今は自分の「好み」とお値段を天秤にかけて、「好み」を妥協することもしばしば。
でも、もっと身の回りのものを「好き」なもので囲むことができたなら… 生きることがもっともっと楽しくなりそう。

と書かれていました。今日は、私なりの「好き」なもので囲む、を書きたいと思います。

みなさんは、食べる物を選ぶ時に、好きな物や食べたい物を選んでいますか。

摂食障害真っ只中の頃の私は、仕事中の昼食など、吐かずに食べなければならない時には、とにかくカロリーが低いもの、糖質、脂質が極力含まれていないものを選んで食べていました。

そして、仕事帰りに過食のための買い物をする時には、値段が安いもの(お惣菜や菓子パンの値引きシールが貼ってあるもの)、値段の割に量が多いものを、一刻も早く帰って過食するために時間をかけて吟味することなく、買い物カゴに次々と入れていきました。好きな物や食べたい物をじっくり考える余裕はなく、とにかく甘くて、油っこくて、カロリーが高くて、量が多いものを、1円でも安く、1つでも多く買うことしか考えられませんでした。

過食嘔吐を続けていると、非常にお金がかかりますし、「どうせ吐いてしまうのだから・・・」という思いもあり、なるべく安く、たくさん食べられることを優先せざるを得ませんでした。

かといって吐かずに食べなければならない時にも、好きな物や食べたい物は「太る」し「食べてはいけないもの」というマイルールがありましたので、カロリーが低いもの、糖質、脂質が極力含まれていないものを選ばざるを得ませんでした。

今振り返って思うことは、過食してすぐに吐いて出してしまうのも、普通に食べて翌日などに「便」として出してしまうもの、大きな差はないのではないか、ということです。

摂食障害と縁もゆかりもない人が「どうせ便になるだけだから・・・」と言って、好きな物や食べたい物を食べても意味がない、と思うでしょうか。

私の考える「食べること」とは、生きるため、健康維持のための「栄養摂取」でもありますが、それと同時に、いやそれ以上に、好きな物や食べたい物を食べる楽しみや喜びだったり、人と「食べること」を共にし、おいしさなどの「感動」を共有する、コミュニケーションツールでもあると思います。

摂食障害真っ只中のみなさんは、人と「食べること」を共にし、おいしさなどの「感動」を共有することは難しいかもしれませんが、それであれば、いやだからこそ、好きな物や食べたい物を食べる楽しみや喜びを味わうことは忘れないで欲しいと思います。

過食嘔吐の時には、時間との戦いの中で、ただただ必死に詰め込むだけで、おいしさを感じたり、楽しんだりする余裕はないかもしれません。また、過食嘔吐のたびに好きな物や食べたい物を食べることは、経済的、あるいは地理的(近所に売っていない、そこに行かないと食べられない、など)に難しいかもしれませんが、「どうせ吐いてしまうのだから・・・」と、安くてたくさん食べられるものばかり選ぶのではなく、「好き」なもので囲むことがあってもいいと思います。

不幸にも摂食障害になってしまって、ただでさえ「食べること」が楽しみや喜びどころか、苦しみや絶望にしか感じられないかもしれませんが、だからこそほんの少しでも好きな物や食べたい物を自分のために選んであげる。

「好き」なもので囲む。「好きなもの」で自分を満たしていく。これも、昨日記事にした「自分を大切にする」ことに繋がるのではないでしょうか。

今振り返ってみると、あくまで私の場合ですが、たとえ過食嘔吐であっても(過食嘔吐だからこそ)食べたい物を、食べたいだけ食べる生活を続けたことが、間接的には摂食障害(過食嘔吐)克服に繋がったのではないかと思っています。

苦しみの渦中にいらっしゃるみなさんが、ほんの少しでも生きることを楽しんで、諦めないで、希望を明日へ繋いでいって欲しい、そう思っています。

この記事を書くヒントをくださったひとさんに、この場をお借りしてお礼申し上げます。ありがとうございました。また、無断で記事のリンクを貼ってしまったこと、お許しください。


今日もありがとうございます。

よろしければサポートお願いいたします。いただいたサポートは、今後、摂食障害で悩む方々のサポート活動に、大切に使わせていただきます。