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春はミラクル起こります そして10年前のわたしへ 3.11を前に

今回は、はやしっぷ♡さん&Akkiy☆さんの企画に参加します。

ぷ企画「#春はミラクル起こります」をはじめます😊(3月企画)

【 第1ステージ 】

◆あなたのお子さんにまつわる、エピソードをシェアしよう!

例えば…
・痛い、辛い、冷や汗たらたら、出産日のできごと
・育児での失敗談、面白かったこと、ここだけの話🤫
・我が子は〇〇な性格、こんな人
・誰かに言いたかったけど、言えなかった我が子の変な特技
・あのエピソードを笑いに変えたい
・壮絶お受験狂想曲
・家族の才能をこっそり応援したい・アピールしたい
・「我が子だけの才能」ということにしている話

などなど、書ける範囲でお書きください🤫

◆応募期間:3月3日~3月12日まで。

◆ハッシュタグ:「#春はミラクル起こります」を付けてください。

◆応募方法:note記事に書いて、投稿してください。

皆さまからご応募いただいたエピソードは、まとめ記事にして、シェアいたします😊🌸

【 第2ステージ 】

ご応募いただいた記事の中から、エピソードを選び、
Akkiy☆さんが作品化いたします。お楽しみに🌸(1〜2作品)


私の娘は春生まれです。
3.11の1ヶ月後に生まれてきました。

2011年3月11日。
臨月の大きなお腹と、初出産、初育児への不安を抱えてマタニティーヨガのクラスに行きました。

その帰り、駅で大地震にあいました。
電車は止まり、携帯はつながらず、天気も悪くなってきました。

周りの人は、近くの避難所へ動き始めました。

私は、大きなお腹を抱えて、
冷たい学校の体育館の床で過ごすのは無理だと思いました。

妊婦が一番安心できる場所。
臨月、いつ産まれてもおかしくない。
考えろ。考えろ。
ダメもとで、1番近くの産婦人科へ。
受診したことのない病院へ歩いて行きました。
途中、いくつかあった公衆電話は長蛇の列。
天気が悪くなってきていたので、長蛇の列に並ぶよりも、
病院に早くたどりつきたい。とにかく座りたいで歩き続けました。

病院に着き、
この病院で出産予定ではないこと、
とにかく休ませてほしいこと、
電話を貸してほしいことを伝えました。

看護師さんが即答で、「いいですよ!」
「今、全員病室からロビーに集まって様子をみているので、
一緒に過ごしましょう」
「椅子がいい?床がいい?横になりたい?」と聞いてくれました。

これ書いてたら、感謝で涙が出てきた。

ソファには、病室から降りてきた出産後のお母さんたちが座っていました。
移動式ベッドでは、今出産を終えたばかりのお母さんが横になっています。
外来診療は終わった時間でしたが、私と同じく帰れなくなった方と一緒に待たせていただきました。

病院の公衆電話は誰も使っておらず、無事に父と連絡が取れました。

「車で迎えに来て」と言うと、もうあまり車に乗っていなかった父の返事は「ガソリン入ってないからなあ」とちょっとのんびり。
「とにかく、お願いだからガソリン入れて迎えにきて」
でもこれが結果的によかった。その後、さらに給油が大変になったことを覚えている方も多いことと思います。

とりあえず一安心し、ロビーのテレビを見たら、濁流が流れています。
最初、何が起きているのか認識できませんでした。

大きな揺れの後から胎動は感じられなくなっていました。
さらにお腹がキュッとなって、
テレビ映像を見なければよかった。と思ってももう遅いです。

暗くなってようやく迎えにきた父と、渋滞のなかを帰りました。
車のランプがいっぱい。みんな生きている。
父と二人なことに不安も感じていましたが、懐かしさも感じていました。
その日、他の家族は帰ってきませんでした。

急遽の里帰り。出産して病院から里帰りしようと思ってました。(結婚生活していたマンションの部屋はひどい有様だったそうで、その後帰っていません)
その日、何をたべたか覚えてないけど、布団を敷いて横になれることに感謝しました。
家族も皆、暖かい場所で夜を過ごし、次の日には帰ってきました。

それからの1ヵ月大変でした。
あの3月は天気がわるく、寒かったですね。
毎週になった健診に行くにも、駅のエレベーターは動いておらず、電車は間引き運転。
病院も薄暗く、検査が始まるときに機械の電源を入れるので時間がかかります。その間、待合室のテレビでは原発の様子が流れていました。

初めての出産で、おしるしが何であるかも分かりません。
不安と痛みで病院に行ったら、医師に一度帰るように言われました。
(タクシーで1時間以上かかる場所なので、家に帰るのは・・・)
でも助産師さんに、ファミレスで2、3時間過ごして戻っておいでと言われました。
戻ったら、交代になった助産師さん達が「よくここまで我慢したね」とすぐ入院手続きをしてくれました。
でも、そこから24時間産みの苦しみが続きました。
そして生まれた後も、泣きたいことがいっぱい。
産む時が一番苦しいなんて嘘だと思いました。

再び余震が激しくなっており、「避難するときは、この袋に赤ちゃんを入れて首から下げ滑り降りてね」と助産師さんに言われました。
授乳がうまくいかないし、
足が象みたいにむくんでいるし、夜は眠れないし、
シャワーを浴びながら泣きました。
(ホルモンの急激な変化は、本当にやばいですね。)

退院するときは、妊娠中体重増加を注意されていたのに元の体重にほぼ戻っていました。
1年後には、元の体重−10キロになっていました。
(妊娠中に増えた体重合わせると1年でマイナス25くらいだよー)

その後も想像を絶することが(震災や原発、育児とは関係なく)起こりました。
娘の存在が私を助けてくれました。
小さいから、守らなきゃもあったけれど、
それよりも
愛そのもの
いのちそのもの
を楽しんでいる娘の姿に
曇っていた私の目が覚め、私自身もあるがままの私に戻っていきました。

娘が私の元へやってきたのは
ミラクルでもあり
必然でもあるんだろうなぁ。


10年前の私へ


体重マイナス10キロびっくりしたでしょう。育児1年目、辛かったね。
2歳児も予測不能な動きをするから、ヒヤヒヤするよね。
でもね、もっと大変なことが起こるよ。

でも、絶対大丈夫だから。
私は、あなたの味方です。
応援のエネルギーを送ります。

何が幸せか、わかっていないと思います。

本当の幸せを感じる毎日がやってきます。
未来の私が言っているので間違いないです。
安心して、その道を進んでください。
茨の道を通らなくてもいいのかもしれないけれど、
近道のような気がします。

どこを通っても、本当の幸せを生きるようになります。

その子の手だけは離さないでね。
まだ離す時ではないよ。



みなさんも、10年前のご自分へ言葉を贈りませんか?

7年前6年前の私は、今日送った言葉や応援を受け取っていたようです。
それこそ、ミラクル起こります

本当に本当に辛くて、
どうしていいかわからないことが起こってどうしようと思っていると、
手のひらに金粉が現れていたのです。

不思議すぎて涙も思考も止まりました。
手のひらに突然現れた金粉を眺めたり、触ると心が落ち着き
「大丈夫」とまた前に進めたのです。

お金もいろいろな場所から現れました。
過去の私か、未来の私が置いておいてくれたのだなぁ。
「ありがとう」と言って使い、
余裕ができると、いつかの私のために楽しんでお金を隠しました。

そんな私は香りを創っています。
あなたのための香りです。


東日本大震災、熊本地震などでも活用された方法

赤ちゃんから使え、トラウマを抱えている方にもやさしい


避難所で活用されテレビでも紹介された方法。
私たち親子にもやさしく寄り添ってくれた方法。
私は、インストラクターとなり子育て支援施設で行なったり、講座開催するようになりました。
昨年から、オンライン開催しnoteのみなさまにも体験・受講していただいています。
その方法については、下の記事の後半をお読みください。


倉田エリさんの企画「#10年前のわたしへ どんな言葉をかけますか?」
にも参加します。


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