見出し画像

3ヶ月の休養期間で得たもの「スゴロクで例えるなら、3回休んで20マス進む、みたいなもの」

「入院するなど何ヶ月もお休みするというと、スゴロクで言ったら三回休めみたいな暗い話にも聞こえますよね。だけど三回休んでる間にしか、人は生きがいを考えないもんなんですよ。人はつまり三回休むけど三回休んだ後、20マス、40マス飛んでいいようになれる人がいるんです。」

こんなに今の私の状況を言い当てる言葉はなく。
昨日、ある方からそう言われて目の前がぱーっと明るくなりました。

まさしく、振り返るとあっという間だったけれど、
3ヶ月間の休養期間は、本当に濃密な幸せな時間になったと、言えます。

自分の弱さを知る

昨年8月から徐々に頚椎椎間板ヘルニアの症状がではじめて、このままでは次に転んだら全身不随になるほどの悪化状態と手術を勧められましたときは、突然の出来事に自分の身に起こったことが受け入れられませんでした。
日を追うごとに、ひどい痛みで体を動かせなくなり、外出はおろか横になる事さえも辛い状態に。

全身麻酔の手術はこれまで、盲腸と帝王切開で2度経験していて怖くないと思っていましたが、今回は前方から首を切開する手術。
「怖さ」が半端なく襲ってきました。
担当の先生からは、重度のヘルニアの場合、手術しても症状がとり切れない場合が結構な確率であること、また合併症のリスクで声が出なくなったり最悪死にいたることなども聞かされた。当然ながら、医師の立場から最悪のリスクまで丁寧な説明がなされると分かっていても、術後元通りの身体に戻れる人の確率は1/2程度と言われると、その時の私は自分が元に戻れるほうの1/2に入れる気がしなかった。
手術そのものへの不安だけでなく、術後どれほど回復できるのか、その後元通りの生活に戻れるか、仕事は続けられるのか、など見えない将来への不安に押しつぶされて、周りが見えなくなり、勝手に孤独感を感じて、心を閉ざして苦しい時間も過ごしました。

けれど、そんな私を家族が心配して温かく見守り続け、私の怖い気持ちを何度も親身になって聞いてくれて、この先なにがあっても支えようとしてくれていることにようやく気付いて、ひとりよがりになっていた自分を反省。
心配してくれた家族の存在を心から有り難いと思い、手術をしない選択はないのだからとようやく自分に起こった事態を受け入れ、健康な体を取り戻そうと手術の決心ができました。

このとき、こんなにもおろおろとした自分が自分の中にあるのかと、自分の中の弱さにあらためて気がつきました。

仕事のありかたを自分に問う

発症から2ヶ月後の10月、手術となりました。手術の方法は飛び出たヘルニア除去するために首の前方を切開して首の骨を削りとり、ヘルニアをかき出したあと、腰骨から削り取った自骨を埋め込み、首の骨を固定するというもの。本来ならさらに首を支えるために金属プレートを入れることも多いようですが、一生首に金属プレートを入れることに抵抗がありプレートを入れたくないという私の希望は伝え、切開して判断ということに了承して手術にのぞみました。

ヘルニアが2ヶ所飛び出していたこと、実際に開いてみたら長年の蓄積によるものと思われ状態が悪く当初の想定ほど簡単に除去できなかったらしく、手術時間は予定より長引きましたが、無事に成功。希望通り金属プレートも入れずに終えることができました。

前方固定術はヘルニアの手術としては一般的で実績がある術式で、担当の先生は脊柱専門医で経験豊富な先生。とはいえだからといって、人の身体にメスを入れるのが簡単ということはありません。術後に「思いのほか、たいへんでしたよ。でも、ちゃんととりきれましたからね。」と声をかけられたとき、本当にうれしくて涙がでました。
単に仕事だからこなす、ではなく、医師という仕事は、失敗が許されない重責を背負って日々働いておられることを感じ、本当に感謝という言葉だけでは言い表せない気持ちになりました。

手術後、ヘルニアが原因だった首肩の痛みは嘘のように消えていました。切開した傷の痛みもほとんど感じることなく「手術をしてよかった」と、晴れ晴れとした気持ちで、日に日に顔色がよくなりました。リハビリを受けてどんどん体を動かせるようになる私を見て、先生も看護師さんも理学療法士さんもその回復の速さをともに喜んでくださいました。
入院期間は2週間あまりでしたが、まだ病院はコロナ対応を継続していて、面会ができない状況だったこともあり、その間、常に看護師さんは気遣って声をかけてくれました。同年代の看護師さんとは仲良くなったりして、仕事について話すこともありました。「この年齢になると体にこたえるし、いつやめようかなと思うときもあるのよ」と、看護師さんの〝あるある〟らしいのですが、腰に巻いたコルセットを私に見せながら、笑ってそう話されました。同年代の体力は想像がつくので、大変だろうなと思いながら、それでもこうして私の世話をしてくれる看護師という仕事は、なんと尊い仕事だろうと、コロナ禍の時にエッセンシャルワーカーの仕事については話題になりましたが、自分がこういう経験をして、本当にそのすごさを感じました。
医師や看護師という仕事は、つねに患者の命と隣り合わせで緊張感が求められる仕事です。医療従事者の志を感じずにはいられませんでした。

同時に、相手からこんなに有難いと感謝される仕事に従事されていることを純粋にうらやましく思いました。
振り返って、私のこれまでの30年あまりの仕事はどうだっただろう、どれだけの人を幸せな気持ちにしてこれただろうか、と。
子どもが将来の夢の話をするときに、祖父母など家族を助けてくれたから自分も医者になりたいと思った、といった話を聞くことがありますが、この時の私はまさしくそれに近い気持ちになりました。
本当に誰かの役に立つ仕事…私の中でこの言葉が強く心に残りました。

健康な心と体が、日常にあふれている「幸せ」を気づかせる

術後2か月間は、首の骨を固定するための装具を装着します。寝るときも、お風呂に入るときも外しません。左右はもちろん上下も動かせません。頭を下方へ傾けると首への負担がかかるので、そういう動きも制限されます。
腰も大事ですが、首も大事な部位だと動かせなくなって、あらためて実感します。しかも装具でうなずけないよう顎が固定されいてるため、口を大きく開くことも不自由を感じます。お手洗い、はみがき、顔をあらう、ごはんを食べる、歩く、寝る、そんな生きるための必要不可欠な動作でさえ、まともにできません。
「無くして分かる」の言葉は深い。
「当たり前」はなく、すべては「有り難い」ことなのだとつくづく思いました。

そうして不自由な生活も日に日に慣れてくるとコツをつかみ、少しずついろんなことが手際よくできるようになります。
「おおー、うまくできた」
その時の気持ちはまるで5歳くらいの子どものようで、「できる喜び」を感じ、ただただ嬉しい気持ちになりました。
一方で私は自分の子育てについて、ふと、「できる喜び」を奪って育てていなかったろうか、と過保護気味だった自分の子育てを振り返りもしたり。

入院期間中、10日程度はベッドで横になっている時間が長く、病室の窓の外を見るとちょうど秋空が広がる良い時期で、窓をあけて心地よい風を感じ、流れゆく雲を飽きずに眺めていました。
「こんなに空が美しいと思ったのは、いつぶりだろう」
体は自由に動いていないけれど、私の心は自由に動きはじめていました。

「継続は力なり」がはじめて腑に落ちる

無事に退院し、3か月間の自宅療養に入りました。
洗濯、掃除、食事の買い出しや準備と片付け、など当たり前の家事ですが、装具を装着した身体を自由に動かせないだけでなく、入院前から動けなかった期間が続いていたため体力も落ち、どれも簡単にはできません。

「やろうと思ってもできないことを嘆いてもがんばっても、できないものはできないし、それよりなによりまずは体を少しでも回復させることが第一なのだから、無理をすること、がんばることをあきらめよう」そう心に決めました。

これまでの私は「がんばる」ことが当たり前だと、今までずっとそう思って過ごしていたように思います。だから、「がんばれない」自分が〝ダメな自分〟と思いそうになりましたが、本当にできないので、あきらめるしかありません。いやいや今は「がんばれない」のではなく「がんばらないことで健康になるのだから」と、だんだんとできないことに気持ちよく目をつむれるようになりました。

首に大きな振動がかかる動きも制限されていたので、車に乗ることも禁止。とはいえ、じっとしているだけだと、さらに体力も筋力も落ちます。実際、ふくらはぎがふにゃふにゃになっていて、これはマズイ、と思いました。
病院では体力回復のためリハビリで病院の建物を外周する程度の散歩と寝たまま首を動かさずにできる下半身の簡単な筋トレを毎日していました。まずはこれを続けてみよう、これならできるはず、とやってみることに。

3日、5日、7日、10日…気がつけば、毎日欠かさず続けられています。
実は「継続する」ことはどちらかというと苦手な私。せっかちではないと思いますが、結果をすぐに求めてしまうからだと自分なりに分析。それに運動も得意でないけれど、これまでダイエット目的でジムに通ってみたり、ウォーキングを始めてみたりしたことは何度もあります。でもいつも、頑張りすぎてどこか体を壊すなどして続けらずに止めたりしていた経験から、自分は運動を継続することはできない人だと思っていました。
ところが、です。

そんな私が今も続けていられるのには、この3つの理由だと思います。
●絶対に無理をしない
●目先の結果成果を求めない
●リビングのカレンダーに、できた日にシールを貼って見える化して「今日もできた自分」を褒める

少し、体の調子がよくなると、最初は15分程度の散歩のつもりが、20分、30分と時間を延ばそうとしがちになる自分を「いや、あかん。まだ、あかん。」と疲れない程度にと自分をセーブをしました。がんばりすぎると、これまでの続けられなかった自分と変わらないではないか、そう思い返して1ヶ月続けたら20分にする、2カ月続けたら30分にする、と焦らずゆっくりと計画的に取り組みました。そして、気負わずスマホひとつ持って歩きやすい靴に履き替えて、行きたい時に、行ける時間に、ふらっ行くというスタイルで。

よく8週間継続すると脳が習慣化できるようになると言われますが、まさしく2カ月くらい続けると、やることが当たり前でやらないでいられなくなりました。天気予報をみて雨の時間帯を避けるなど、どうしたら散歩に出られるかと考えるようになり、そうなるとしめたもの。
焦らずゆっくり。
そうできたのは、そうできるだけの時間の余裕とともに心にゆとりがあったからだと思います。

そしてやったことに対する結果成果を求めませんでした。「今日も歩けた。」と歩けた喜びを感じるので十分幸せな気持ちになりました。おまけに、ふらっとでかける散歩では、見上げた赤く染まる夕焼け雲の美しい色に感動したり、まぶしい朝日に清々しい思いをすることもしばしばで。
20年以上住み慣れた近所の景色であるはずなのに、「日常にある美しさ」に心震えることができました。散歩にでると、こんな気持ちになれると思うと、それが嬉しくて散歩がやめられなくなりました。

そして、筋トレもまた、しかり。入院していたときのままのメニューを続け、1ヶ月ほど経って散歩したときのこと。筋トレをする前は歩く時に脚の筋肉だけで歩いていたのだと思います、歩くと脚に疲れがたまって夜にはむくむのが当たり前でした。筋トレを続けてからというもの、歩くときに腰の下からお尻の筋肉がしっかり動いていることに気がついて。夜には靴下のあとがついていたのがなくなっているのです。これには本当に驚きました。
更年期の年齢、むくむのは仕方がないとあきらめていましたが、3ヶ月続けている今は、体重も落ちるという副産物にさらに喜んでいます。

投資で例えるなら、これまでの私はハイリスク・ハイリターンの株式投資みたいなチャレンジ精神でいたのかもしれない、長期分散型の積立投資でしっかりと資産を作る醍醐味を知らなかったのだと(笑)
「継続は力なり」先人の言葉は、やはり深い。
継続することで得られるものは、自分の想像を超える結果につながることもあり、継続した結果は裏切らないのだと、そんなことを今更ながらに気がつくことなりました。

そして健康は当たり前ではないし年代的にも20~30代の頃のように無理がきくような年代ではなくなっていること、そんな年齢を重ねている自分を今、自覚できたからこそ、これまでと同じ生き方、同じチャレンジの仕方ではうまくいかない、と思うようになりました。

新しい出会いが広がる可能性を感じる

そんな「継続」の楽しさを知った私が、体力も徐々に回復して「継続」してみたいと思ったのがもうひとつありました。それが、note。
わずか数か月のこの間に、私には大事な発見がたくさんあり、これを忘れてしまわないように、書き記しておきたいと思うようになりました。だからテキストで残すなら…やっぱりnote。
やみくもに今年の1月に始めてはみたものの、日々の忙しさもあり、発信することも考えられず、結果的に放置していました。けれど…「今なら、書けそう。」そう思って、数ヶ月ぶりにnoteに向き合ってみました。

まずは自分の記録用として書き始めてみることに。
いざ投稿してみると、早速、見ず知らずの方からの「スキ💖」が届いたりして、素直に嬉しいと思いました。私の体験を誰がどういう気持ちで読んでくださって、どんな感想を持たれたか、はわからないけれど「読んだよ」といサインに、誰かと「つながった」と思うと素直に楽しいと感じました。

けれど今度は誰かに読んでもらうことを意識すると書くのに時間がかかり、何度も読み返したりして結局公開しなかったり、が続くようになりました。どうしたら気負わず続けられるようになるのかと、noteで見つけたのが無料note講師 しもまゆさんのセミナー。これを受講してみることにしました。
講師のしもまゆさんも師匠と仰ぐ方ののnoteセミナーを受けた日から「自分との約束」として、noteの投稿を欠かさず続けたものの泣かず飛ばすの数年間があって、今があるというご自身の体験話されていました。それを聞いて「そうか!やはり継続なのか」と思い、成功した方のやっていることを素直に真似て実践してみようと、私も自分と「毎日続ける」を約束しました。

そうして今日で24投稿目。途切れることなく継続できています。写真投稿だけの日もありますが、毎日わずかでも文字を書き続けることで、慣れなのかもしれませんが「書く」という行為の自分の中のハードルが少しずつ下がってくるようになりました。もちろん毎回の投稿を誰かに読んでもらっていることがとても励みになります。そして、それに増してしもまゆさんの言葉をお借りすると「自分との約束ができている自分」が少し、自分で誇らしい。
おかげでずっと家に居てほとんど外出ができなかったにもかかわらず、noteを通してたくさんの新しい出会いに恵まれて充実した日々を過ごせています。

ひと皮むけて新しい自分と出会う

この3ヶ月間の1日1日の経験から、これまで出会ったことがない「自分」とたくさん出会うことができました。
「苦労は勝手でもせよ」とはよく言ったもので、これまで座学で学んでいてわかっていたような気になっていたことが経験によって「腑に落ちる」という感覚をたくさん味わいました。

結果的に、自分と向き合うに十分な時間と環境を私は今回手にしたのだと、思えます。気がつけば、人生100年時代と言われる折り返し地点にあり、思いがけない形でこれまで走り続けてきた足を止めて、一呼吸おくことで、これまでの自分の生きざまや仕事のことなどいろんなことを振り返るきっかけになりました。
そして健康に戻りつつある今、これからも生きていく上で私にとって本当に大切なものはなにか、自分が幸せと感じられるものが何か、自分の心がうれしいと思うことはなにか、それを自分に問い、その答えにたどり着こうとしています。

後半の人生を健康で楽しく幸せに生きるためのヒントをもらうことができ、今はワクワクする気持ちになっています。
自分自身とじっくり向き合う時間をこんな形でも持てたことは幸せだったと心から思えて。

「スゴロクで例えるなら3回休んで20マス進むみたいなもの。」
まさしく、その通り。

今日で休養期間が終わり、回復した体で明日から仕事がスタートします。
記念の今日の気持ちを、感謝の気持ちとともにnoteに残しておきたくて。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?