星と鳥と風1 ~初まりの始まり

これは作者である私が生きてきた中で、体験した嘘のような本当の人生の基軸である。

そして愛の物語でもある。

全てを話すとあまりにも長くなるので軽く私を説明すると、1986年、愛知県岡崎市で産まれた。
母はjazzピアニストで、有名ではないが、音楽を生業にしていたようだ。
そんな母だが、私が産まれてすぐに父と離婚して、私は0才にして父に引き取られ、父の産まれ故郷である九州で、優しい祖父母に育てられた。
家は農家で、裕福とはいえないが、祖父母や父がひもじい思いだけはさせたくないと、一生懸命働いて育ててくれたお陰で何不自由なく幼少期を送っていた。
小さい頃の私は髪の毛が常に逆立っていて、気性も荒く、家の窓ガラスを割ったり、竹の棒でじいちゃんを叩いたり、まぁ俗に言う クソガキ だったと思う。今思うと小さな頃から不思議な事が身の回りで起こっていたが、子供な私はソレが普通の事だと思って過ごしていた。
私は産まれる前、母のお腹の中にいる時、いや、それ以前、父の中にいる時の記憶が残っている。父が感じた感情や母との恋愛模様、母がつわりの時に感じた嫌な感情さえまだ形の無い私の心に深く残っている。
それが原因なのかは分からないが、幼い頃から妙に察しのいい子供で、3歳になる頃には両親の離婚について、「大人の事情があったんだろう」くらいにしか思わなかったし、片親がいない事にそこまで寂しさを覚えなかった。それはきっと無駄に明るい父と、優しい祖父母のお陰も大きいとは思うが、それにしても大人の考えや言葉に対する理解は同年代の子よりあったと思う。

父は恐ろしいほどファンキーで、私が産まれる前までは名古屋でヤ◯ザをしていた。
九州に帰ってきたのは母との離婚もあったが、ヤ◯ザの抗争で12対1の決闘の際に1人をブロックで殴ってしまって、殴った相手が鯨のように血を噴き出して泡を吹いて倒れたのを見て、残りの11人もこれはヤバいと逃げ出し、父も人を殺めてしまったと、当時住んでいたアパートに逃げ込み、そこから祖父に電話をしたそうだ。(これは祖父から聞いた話しなので確実だと思う。)そして祖父が慌てて名古屋行きのチケットを買い、その日に九州から名古屋に足を運んだらしい。
とりあえず現場に行こうと、人を殺めてしまったかもしれない事への恐怖や猜疑心に襲われている父を無理矢理連れ出し現場に向かった。
到着した頃には、確かに夥しい血痕はあったが、死体らしき物は無く、その後のニュースでも何も取り上げられてはいなかったようだが、その話を聞いた中学生の僕は、ヤ◯ザなんだから、死ぬ覚悟くらいあったっしょ!くらいに思っていた。

その後、何も無く終わるはずもなく、相手方の組長から実家に電話があり、ヤ◯ザらしくヤンヤン言われたらしいが、それを対応したのも全部祖父で、今思うと、戦争を経験した祖父は相当肝っ玉じいちゃんだったんだなと今では少し誇らしく想う。
しかし、そこはヤ◯ザ、ましてや有名な看板を背負った組長がそんな電話一本で収まる話しな訳なんかなく、組長直々に実家に舎弟を連れて押しかけて来るのだった、、、

今日は遅いのでこれくらいで、続きが気になる方や、読んでやってもいいよと思って下さる方がいたらイイネや応援よろしくお願いします。

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